「仲間が新たな旅立ちに出かける……松本には必ず成功してほしい」
小野は一言一言かみ締めるようにつぶやいていた。
その言葉は、長谷川には小野もいずれは新たに新天地に羽ばたきたい、と内心思っている
かのように聞こえた。
長谷川の推測が当たったのか、小野は長年勤めていた建設会社を一身上の理由で退職
した。この事実は松本にとってはショックであった。けど長谷川は【あの時】に予兆を感じてい
たのでそれほどではなく、「やはりか……」と思ったのだが。
小野が言うには、今までいた会社の運営形態が、旧体制な社長のワンマン経営で古臭い
し、重役筋も一族で固められているので、社員の率直な意見や提案が受け入れられなくて
嫌、との事らしい。
更に小野は次のような大きな野望があった。
「これからはコンピューターの時代。時代の先端を進めば未来は明るいし有望企業だってな
り得る」と。
小野は、今までの建設会社を同時に退職した数人で、新たに会社を設立する事になった。そ
して小野もいずれは社長になるという約束まで交わされたらしい。
松本と長谷川は小野の猛烈な意気込みに驚き、幼なじみとして成功を祈るばかりであった。
3人は上野の居酒屋で小野の新会社発足と会社の繁栄を祈るという口実で飲み会を開いた。
小野にとっては、この時に飲んだ酒ほどおいしいものはなかったらしい。
翌年小野たちは東京の上野にコンピューターソフト制作会社を設立した。開設祝の花環を多
くの賛同・協力企業からのほかに、松本と長谷川からも戴いた。
小野の意見で半強制的に開設にこぎつけた経緯から、賛同する同志がなかなか集まらず、
従業員5名という半ば見切り発車的ながらのスタートであった。
小野の会社の主力商品は独自開発した経営支援ソフトだ。実はそのソフトは小野の知人が
開発した物で、以前の建設会社勤務時にある程度製品になり得るものを作成していた。それら
を改良して業務用として販売しているのだった。
昭和58年の事なのでまだまだコンピューター関連は黎明(れいめい)期であり、今と違いコ
ンピューターはまだまだ企業向けの機械であった。けれど当時から多くの専門家や大学教授
が、コンピューターは近未来には一般化し、近い将来一般家庭にも普及するだろうと予想し
ていた。従って小野たちのソフト会社は業界からも先駆け的な存在としてにわかに注目しは
じめてきた。もちろん一部の関係者からは時期尚早との意見はあるにはあったが……。
大方の予測通り設立後最初の数年は主に企業からの受注が多く、比較的安定した収益
があり、小野の会社は概ね順調だった。
専門家の指摘通り、平成に入ると少しずつコンピューターも家庭に普及し始めてきた。小野
の会社も一般家庭向けのコンピューターソフトもいち早く開発販売してかなりの利益を得て多
くの収入を得ていたらしい。
それよりやや早く、昭和60年頃から日本もバブル景気に突入し、多くの国民が好景気の享
受を受けていた。長谷川も松本も好景気の折から収入も増え、生活に余裕も出てきた。
1989年には、3人とも結婚し、新たな生活も歩み始めていた。
小野は会社の同僚と春に結婚し、長谷川は歌手時代からのファンであるという年下の人
と夏に、松本は名古屋で知り合った人と秋に。偶然にも同じ年に結婚したのであった。各人
ともお互いの仕事の合間を縫って挙式に参列した。
もう3人とも30代だ。青春時代だった10代、20代をあっという間に駆け抜けてきたという感じ
か。これからは3人ではなく、3世帯ということになるのか。けど僕たちの友情はたとえ新しい
家族が増えても変わらないものであるとそれぞれ思っている。
もちろんそれぞれの夫人とも色々な形で交流しているし、いずれ生まれてくる子供を含め、
3家族で活動する時期も来るだろう。
しかし、いい時代はそれほど長くは続かないのであった。
平成3年、小野は自らの会社の社長に就任した。しかし、好景気だった時代は過ぎ去り、
その頃にはバブルが崩壊していたのだ。
会社の経営もバブル崩壊直後から傾き始めていたのだったが、社長就任直後、小野は
株価急落は一時的なものだと考えていた。その結果判断を誤り更に追い討ちをかけるよう
に危機管理の意識も不十分だった。しかも後発のコンピューターソフト会社が台頭し、経営
がますます苦しくなっていった。
小野の就任後2年で会社は事実上倒産した。バブル崩壊の煽りを直撃した形であった。
気が付いたら発足時に結成した仲間も小野を裏切ってしまい、社員も平成になって採用し
た人しか残っていなかった。
小野は社員に謝罪し相応の賃金を支払うと、会社の財産(備品)も全て失い、負債だけが
残った形となった。
(俺の経営は間違っていたのか……)
差し押さえになった社長の椅子にもたれかけると小野は大きなため息をついた。会社は
破産手続きを取ったためこれ以上の負担はなくなったが、仲間の信用を失い、社員にも顔
向けできない。必ず銀行に返済しなければならない負債も残っている。
いっそのこと自殺して責任を取ろうか……という考えが脳裏を掠めた。けど俺には長谷川
がいる、松本がいる。そう思い直すと小野は藁にもすがる思いで二人に連絡した。
二人は事情を聞くと納得し、返済金を肩代わりしてくれるとの事。やはりもしもの時の友だ
と痛感させられた。
小野はただひたすら二人に土下座したい気分であったが、「水臭い」と言われ一蹴された。
特に長谷川には更に借りを付けた形になった。なぜなら長谷川の会社に運良く入社できた
からだ。けれどこれは長谷川の会社としてもありがたい存在であった。
長谷川の会社の社長は、少し前から小野の動向を独自につかんでいたらしく、彼の会社が
倒産したとの情報をリサーチ会社から得ると、役員が水面下でアプローチを取っていたらしい。
会社経営力と営業に秀でいた小野を獲得する事によって会社の運営にプラスになると思っ
たからだ。
もっとも幼なじみであるという関係上から小野は長谷川と違う部署である埼玉の支店に就職
となったのは言うまでもない。
バブル崩壊の尾は長く響き、平成の世は不景気の波がそこかしこに押し寄せている。更に
追い討ちをかける様に経費節減・コンピューター化・生産拠点がコストの安い海外へ変更な
ど、経営上にも難しい世の中になっていた。
けれど、デフレで物価が下がり賃金水準が下がってもある程度は生活ができるし、パソコン
をはじめとするIT機器の普及によって一般市民の生活も向上してきた。
平成11年。3人は45歳になっていた。
3人ともすでに家庭を持ち、それぞれ幸せな生活を送っている。子供も小学生になっている。
3人にとってまた久しぶりに再会の時が訪れた。
松本の会社が経営多角化によって東京に支店を開く運びになり、、松本が東京支店の副
支店長として昇格したのだった。
3人にとっては6年ぶりの再会だ。お互い貫禄も出て、家庭でも会社でも頼もしい存在になっ
ている。
新橋の大衆割烹でお互い酌を交わしながら近況を語り合った。
小野は営業課長に、長谷川は開発担当係長、松本は運送会社の副支店長。それぞれ
肩書きも立派になり、会社の一翼を担っている。
有名人になった人、子供の時の夢を果たせた人、果たせなかった人、人生の浮き沈み
を肌で感じた人、安泰の生活を送った人……さまざまな道のりをたどっていき、今は3人とも
それなりに円満に生活している……
「これもまた人生なのだ」小野は日本酒を片手にしみじみと語った。
知らず知らずのうちに徳利が増え、昔の話になっていった。
歌手時代に知った芸能界裏話、鉄道の話……各人にとって新鮮な話題ばかりだ。自分が
歩んでいない道だが、なぜか共有した感じになった。それも幼なじみの【魔力】なのか……
3人は久しぶりに思い出話に浸って至福の時を過ごした。
小野は一言一言かみ締めるようにつぶやいていた。
その言葉は、長谷川には小野もいずれは新たに新天地に羽ばたきたい、と内心思っている
かのように聞こえた。
長谷川の推測が当たったのか、小野は長年勤めていた建設会社を一身上の理由で退職
した。この事実は松本にとってはショックであった。けど長谷川は【あの時】に予兆を感じてい
たのでそれほどではなく、「やはりか……」と思ったのだが。
小野が言うには、今までいた会社の運営形態が、旧体制な社長のワンマン経営で古臭い
し、重役筋も一族で固められているので、社員の率直な意見や提案が受け入れられなくて
嫌、との事らしい。
更に小野は次のような大きな野望があった。
「これからはコンピューターの時代。時代の先端を進めば未来は明るいし有望企業だってな
り得る」と。
小野は、今までの建設会社を同時に退職した数人で、新たに会社を設立する事になった。そ
して小野もいずれは社長になるという約束まで交わされたらしい。
松本と長谷川は小野の猛烈な意気込みに驚き、幼なじみとして成功を祈るばかりであった。
3人は上野の居酒屋で小野の新会社発足と会社の繁栄を祈るという口実で飲み会を開いた。
小野にとっては、この時に飲んだ酒ほどおいしいものはなかったらしい。
翌年小野たちは東京の上野にコンピューターソフト制作会社を設立した。開設祝の花環を多
くの賛同・協力企業からのほかに、松本と長谷川からも戴いた。
小野の意見で半強制的に開設にこぎつけた経緯から、賛同する同志がなかなか集まらず、
従業員5名という半ば見切り発車的ながらのスタートであった。
小野の会社の主力商品は独自開発した経営支援ソフトだ。実はそのソフトは小野の知人が
開発した物で、以前の建設会社勤務時にある程度製品になり得るものを作成していた。それら
を改良して業務用として販売しているのだった。
昭和58年の事なのでまだまだコンピューター関連は黎明(れいめい)期であり、今と違いコ
ンピューターはまだまだ企業向けの機械であった。けれど当時から多くの専門家や大学教授
が、コンピューターは近未来には一般化し、近い将来一般家庭にも普及するだろうと予想し
ていた。従って小野たちのソフト会社は業界からも先駆け的な存在としてにわかに注目しは
じめてきた。もちろん一部の関係者からは時期尚早との意見はあるにはあったが……。
大方の予測通り設立後最初の数年は主に企業からの受注が多く、比較的安定した収益
があり、小野の会社は概ね順調だった。
専門家の指摘通り、平成に入ると少しずつコンピューターも家庭に普及し始めてきた。小野
の会社も一般家庭向けのコンピューターソフトもいち早く開発販売してかなりの利益を得て多
くの収入を得ていたらしい。
それよりやや早く、昭和60年頃から日本もバブル景気に突入し、多くの国民が好景気の享
受を受けていた。長谷川も松本も好景気の折から収入も増え、生活に余裕も出てきた。
1989年には、3人とも結婚し、新たな生活も歩み始めていた。
小野は会社の同僚と春に結婚し、長谷川は歌手時代からのファンであるという年下の人
と夏に、松本は名古屋で知り合った人と秋に。偶然にも同じ年に結婚したのであった。各人
ともお互いの仕事の合間を縫って挙式に参列した。
もう3人とも30代だ。青春時代だった10代、20代をあっという間に駆け抜けてきたという感じ
か。これからは3人ではなく、3世帯ということになるのか。けど僕たちの友情はたとえ新しい
家族が増えても変わらないものであるとそれぞれ思っている。
もちろんそれぞれの夫人とも色々な形で交流しているし、いずれ生まれてくる子供を含め、
3家族で活動する時期も来るだろう。
しかし、いい時代はそれほど長くは続かないのであった。
平成3年、小野は自らの会社の社長に就任した。しかし、好景気だった時代は過ぎ去り、
その頃にはバブルが崩壊していたのだ。
会社の経営もバブル崩壊直後から傾き始めていたのだったが、社長就任直後、小野は
株価急落は一時的なものだと考えていた。その結果判断を誤り更に追い討ちをかけるよう
に危機管理の意識も不十分だった。しかも後発のコンピューターソフト会社が台頭し、経営
がますます苦しくなっていった。
小野の就任後2年で会社は事実上倒産した。バブル崩壊の煽りを直撃した形であった。
気が付いたら発足時に結成した仲間も小野を裏切ってしまい、社員も平成になって採用し
た人しか残っていなかった。
小野は社員に謝罪し相応の賃金を支払うと、会社の財産(備品)も全て失い、負債だけが
残った形となった。
(俺の経営は間違っていたのか……)
差し押さえになった社長の椅子にもたれかけると小野は大きなため息をついた。会社は
破産手続きを取ったためこれ以上の負担はなくなったが、仲間の信用を失い、社員にも顔
向けできない。必ず銀行に返済しなければならない負債も残っている。
いっそのこと自殺して責任を取ろうか……という考えが脳裏を掠めた。けど俺には長谷川
がいる、松本がいる。そう思い直すと小野は藁にもすがる思いで二人に連絡した。
二人は事情を聞くと納得し、返済金を肩代わりしてくれるとの事。やはりもしもの時の友だ
と痛感させられた。
小野はただひたすら二人に土下座したい気分であったが、「水臭い」と言われ一蹴された。
特に長谷川には更に借りを付けた形になった。なぜなら長谷川の会社に運良く入社できた
からだ。けれどこれは長谷川の会社としてもありがたい存在であった。
長谷川の会社の社長は、少し前から小野の動向を独自につかんでいたらしく、彼の会社が
倒産したとの情報をリサーチ会社から得ると、役員が水面下でアプローチを取っていたらしい。
会社経営力と営業に秀でいた小野を獲得する事によって会社の運営にプラスになると思っ
たからだ。
もっとも幼なじみであるという関係上から小野は長谷川と違う部署である埼玉の支店に就職
となったのは言うまでもない。
バブル崩壊の尾は長く響き、平成の世は不景気の波がそこかしこに押し寄せている。更に
追い討ちをかける様に経費節減・コンピューター化・生産拠点がコストの安い海外へ変更な
ど、経営上にも難しい世の中になっていた。
けれど、デフレで物価が下がり賃金水準が下がってもある程度は生活ができるし、パソコン
をはじめとするIT機器の普及によって一般市民の生活も向上してきた。
平成11年。3人は45歳になっていた。
3人ともすでに家庭を持ち、それぞれ幸せな生活を送っている。子供も小学生になっている。
3人にとってまた久しぶりに再会の時が訪れた。
松本の会社が経営多角化によって東京に支店を開く運びになり、、松本が東京支店の副
支店長として昇格したのだった。
3人にとっては6年ぶりの再会だ。お互い貫禄も出て、家庭でも会社でも頼もしい存在になっ
ている。
新橋の大衆割烹でお互い酌を交わしながら近況を語り合った。
小野は営業課長に、長谷川は開発担当係長、松本は運送会社の副支店長。それぞれ
肩書きも立派になり、会社の一翼を担っている。
有名人になった人、子供の時の夢を果たせた人、果たせなかった人、人生の浮き沈み
を肌で感じた人、安泰の生活を送った人……さまざまな道のりをたどっていき、今は3人とも
それなりに円満に生活している……
「これもまた人生なのだ」小野は日本酒を片手にしみじみと語った。
知らず知らずのうちに徳利が増え、昔の話になっていった。
歌手時代に知った芸能界裏話、鉄道の話……各人にとって新鮮な話題ばかりだ。自分が
歩んでいない道だが、なぜか共有した感じになった。それも幼なじみの【魔力】なのか……
3人は久しぶりに思い出話に浸って至福の時を過ごした。