宿を出るなり島崎は、夕方までどこで時間を潰そうかと思った。
ふと彼の頭に一つのプランが浮かび上がった。新宿といえば【日本一の歓楽街】である歌舞伎
町があるではないか!
「午前中だけど、ちょっと寄ってみるか」
と半分助平心を抱きつつ歌舞伎町へと【出陣】した。
靖国通りを越えて歌舞伎町の商店街に入った。思惑通りに劇場や映画館が沢山建っていて今
も昔も変わらない歓楽街である。平成時代には無いアイススケート場が西武新宿駅近くにあった
のが驚きだった。……けど歩けど歩けどいわゆる風俗営業と言った遊興店がない。
きっと他の通りにあるのだなと思い、【さくら通り】という通りに向かった。
「あれ、肉屋がある。魚屋がある。……ごく普通の商店街だ……今と大違いだ!」
後になって分かったことだが、かつては今の新宿2丁目界隈に赤線と呼ばれる売春地帯が、新
宿ゴールデン街に青線と呼ばれる非合法売春地帯があった。昭和33年の法改正により様相は
変わったが、昭和34年ではまだ名残が残っていたらしく、歌舞伎町より華やいでいたという事だ。
今でもゴールデン街は残っているが、あの場所は平成時代も昭和30年代とほとんど変わらな
い風情を残しているので、無理して行く必要はないし、飲み屋ばかりなので今行っても店はま
だ開いていないだろうと思った。
島崎としては歌舞伎町が今と大きく変わっていたのが何となく心残りだった。もっとも要因とし
て風営法改正とかライフスタイルの変化とかあるのだけれども。
歌舞伎町で遊ぶスケジュールが空振りに終わった為、今日の予定を変更せざるを得ない。
まだ夕方まで時間は沢山ある。駅の方に視線を移すと、駅前では路面電車がひっきりなしに
発着している。
(路面電車か……)
平成時代に東京で現存している都電(路面電車)は荒川線だけになってしまったが、全盛期
には都内に沢山の路線が存在して東京都民の貴重な足になっていた。
島崎は「よし、どこに行くか分からないがとりあえず乗ってみよう!」と意を決し、駅前の停留
所に止まっている路面電車に乗り込んだ。
時間帯の関係からか車内には客がほとんどいない。すぐさま車掌が来て、運賃15円を払うよ
うにと言われた。
(安いな)と思いポケットから小銭を見つけると車掌に渡した。島崎にとっては15円は本当に小
銭なのだが、都電運賃から考え計算すると、当時は15円でもそこそこの金額になるらしい。
発車時刻が来たらしく、運転手がおなじみのベルを鳴らすと都電はゆっくり動いた。
新宿の街も今と比べると派手な装飾はないが、デパートはあるし、高くはないがビルもある。
やはり自動車の数は今よりはるかに少ない。
島崎はまるで子供のように窓の外の風景を興味深く眺めていた。しばらくすると島崎を乗せ
た都電は不思議と見慣れた風景に出た。その場所は、今で言う秋葉原の付近だ。
万世橋(まんせいばし)のたもとで停車したので島崎は都電から降りた。
秋葉原といえば、平成時代はコンピューター&アニメ関係の店ばかりが林立し、別名【オタ
クの聖地】とも呼ばれているが、この時代はそんな店は一軒も無く純粋な電気街であった。
店の様相も派手なネオンサインも少なく地味であるが、それなりに活気があり、今でも営業
している老舗電気店もちらほら見受けられた。
けど秋葉原に行っても別段買うものは無く、所持している金もそれほど多くない。島崎は今
と趣が異なる秋葉原の町を散策し携帯カメラで何枚か撮影した後、秋葉原から上野までそれ
ほど距離がない為、徒歩で上野に行く事にした。
「上野駅周辺は、今とほとんど変わっていないな!」
庶民的な雰囲気を醸し出しているアメ横も今と昔も同じくらいに活気がある。今と比べてファッシ
ョン関連の店は少なかったが、むしろこの時代の方が鮮魚店も多く賑やかなくらいだ。
ちょうど時間も昼時なので、アメ横にある大衆割烹で食事をした。実は平成時代でも同じ場
所で昭和の時代をそのままの雰囲気で残っている〔大統領〕という酒場で、島崎もたまにちょ
っと一杯引っ掛けた事がある。
「せっかく上野に行ったのだから足を伸ばして浅草にも行こう!」
上野〜浅草と言えば日本で一番最初に地下鉄ができた区間というのは前から知っていたの
で、話のネタになると思い(今経験している事自体物凄い話のネタなのだが……)地下鉄に乗
り込んだ。昭和30年代は東京の地下鉄も路線が少ないけど、昭和40年代以降路面電車の廃
止を契機に各地で地下鉄工事が急ピッチ行われていくのであった。
浅草に着いた島崎が最初に驚いたのは平成時代よりも活気があったということだ。もっとも
仲見世は多くの観光客が来ているが、この時代は映画館や劇場や演芸場などが集中する六
区地域が特に賑わっていた。娯楽がまだまだ少なかった時代、映画や寄席は庶民にかなりも
てはやされていた。まあ、これも各家庭にTVが普及してなかったのも要因なのだけれども。
さすがにここまで来ると島崎も都電の路線網が分からなくなる。まあ、夕方までまだ時間があ
るし、いざとなればタクシーもあるしと思い、隅田川を渡った所で止まっている電車に乗り込んだ。
電車は意外にも南に進んだ。平成時代に浅草から隅田川を下る観光船があるが、まるでそ
の船の如く都電は東京湾に向かって進んでいる。島崎は不安になった。まあ、東京都内なの
は確かなのだけど……
島崎が乗った路線は月島で終点のようだ。平成時代ではもんじゃ焼きの町として下町の人
情味溢れる地域だが、当時はごく普通の町で、商店街アーケード化の工事が行われている。
島崎が昨日見た郊外の駅前商店街とほぼ同じであった。やはりあの様な商店街はどこでもご
く普通に見られたのだなと感じた。
その時都電が近くにある停留所に停まっていた。どうやらこの路線もここで終点のようで、客
が全員降りると運転手は行き先方向幕を手で回して【新宿駅前】と変えた。
島崎は喜んだ。「これに乗れば新宿に帰れる!」
その時太陽は西に傾きかけていた。島崎が車両に乗り込むとすぐにドアが閉まり、電車は静か
に発車した。
電車は暫くすると隅田川にかかる橋を渡った。
(これは勝どき橋みたいだな)島崎は思った。勝どき橋といえば、隅田川に大きな船が通る時に橋
が真っ二つに開く事で結構知られていた。もちろん2008年現在、橋は開かない。昭和34年でも開い
ていたかどうかは島崎は分からなかったが。
路面電車の旅も最後にふさわしく、銀座を通過した。今も昔も華やかさはあまり変わってい
ない。建物の看板や装飾も今まで見た中では豪華なものだし(それでも今のものにはかなわ
ないが)通りのビル群も今までの風景に比べればかなり高層だし、道行く人もおしゃれな格好
だし。路面電車が走っているのを除けば平成時代をそれほど大きくは変化していない。車窓か
らの東京の風景を楽しんでいるうちに電車は無事新宿駅前に到着した。
時間も午後4時位になっている。そろそろ思い出横丁にある飲み屋が開き始める時間だ。昭
和30年代から平成時代に戻る(であろう)時間が刻一刻と近づいてきている。
島崎は携帯の電池が無くなるまで島崎が見ている新宿の風景をカメラに撮った。今まで数日
間過ごした過去の東京。古きよき町並み、活気があった商店街、豊かな自然、快活な子供た
ち、そしてのんびり街中を走る路面電車……どれも平成時代にはほとんど残っていないもの
ばかりだ。今の方が確かに便利になったのだが、何か大切なものをどこかに置き忘れていっ
たのか、と感じた。
だからこそ昭和30年代を再現したテーマパークが各地にオープンし、平成時代の庶民はそ
こに行ってレトロな雰囲気の中で癒されている。