さらに管理人は島崎の様相を観察し始め、
「そう言うあんたも、きれいな背広着て酒に酔っていて……」
と詮索し始めたので、彼は話を聞き流し、机にあった鍵を持って客室へと消えた。
客室に入ると、
「これは……布団と枕しかない……、まあ安旅館だから仕方ないな」
背広を脱いで、ワイシャツのまま島崎は床に入った。
(明日は電車に乗って郊外の町に行き、当時の町並みでも見てこようかな……)
と心に決めた。
翌朝、眩しい朝日で目覚めた。新宿の真ん中ではあるが、高いビルは平成時代より多くな
いので太陽の日はさんさんと輝く。
島崎は背広を着てかばんは客室に置き、財布と携帯電話だけを持って簡易旅館を後にした。
なぜ電波が飛んでいない時代なのに携帯電話が必要なのか?と言うと、したたかな島崎は、
携帯に内蔵しているカメラで当時の様子を写真に撮っておこうと思ったからだ。
(とりあえず朝食を食べないと)と思い、駅前を見渡した。当たり前だが早朝なのでどの店も閉
まっている。昭和30年代だからコンビニももちろんなく、自動販売機もない。駅に行けば立ち食
いそば屋くらいは営業しているだろうと思い、新宿駅に向かった。
「さすがに新宿駅は今も昔もそれほど変わりないな。まあ今と違って作りはシンプルだけど」
駅構内を探し回っても食事ができる様な所が見つからないので、国鉄(現在のJR)の改札で
切符を買い、片っ端からホームに降りて食べ物屋を探した。そして山手線のホームの片隅で
朝から営業している立ち食いそば屋を見つけた。
島崎は安いかけそばを食べながら、電車が何本も発着し多くの客が乗降しているのを見た。
現在山手線で走っている5世代前の車両(101系)で、車体全面に黄緑色の塗装がされている。
けれど島崎は山手線にはあえて乗らず、私鉄の路線に乗る事にした。私鉄沿線なら庶民的雰
囲気が残る町に出会える可能性が高いと思ったからだ。
島崎は一度国鉄の改札を出て、私鉄の乗り場に向かった。適当に切符を買い、ホームに停
車していた急行電車に乗り込んだ。電車からの風景を見ながら、
(派手な看板はなく、ビルは少ないけど、今とそれほど車窓は変わっていないな)と思った。
しかし区部を過ぎたあたりで車窓風景が一変した。ビルが消え一軒家や商店が中心となり、
水田や畑も車窓から見えた。
電車に揺られること数十分、島崎は比較的中規模であろう町の駅に降り立った。島崎にとっ
ては過去現在を通じてはじめて訪れる地だ。
島崎は平成時代では営業マンだが、ルートセールスが主で、飛び込みの営業や、ましては
知らない町での新規開拓は苦手だった。その為初めて降り立つ町には些かの不安があった。
そこは営業マンの島崎、(もし町の中で道に迷っても駅に向かって歩けばいい。そして新宿ま
では駅から電車に乗れば帰れるのだから)と考えると気が楽になった。
駅の改札を出るとすぐに商店街になっている。いわゆる駅前商店街である。道幅は車一台
が通るのがやっとの幅。路面はアスファルトで舗装していないが、それなりに整備されている。
駅前通りだけあって居酒屋や喫茶店やパチンコ店こそはあったが、多くは衣料品屋・電器
屋・本屋・金物屋といった生活関連の店が立ち並んでいる。
「午前中だけど、どの店も繁盛しているな」と、思わずつぶやいた島崎。
そのような風景は25歳の島崎にとっては新鮮であった。平成時代では郊外にある比較的
大規模なスーパーマーケットやデパートに行けば、この駅前の店で売っている物はたいてい
そろってしまう。けれど今は昭和34年。大きなスーパーマーケットやデパートもまだまだ珍し
い時代(当時はどこでも商店街が充実しているからスーパーマーケットは必要ないんだな)と
改めて思った。
駅から500m位歩くとだんだん商店が少なくなっていき、普通の住宅やアパートが立ち並ぶ
ようになった。どうやら駅前商店街は自然消滅した感じだ。
「ま、こんなところは平成の時代にも、地方の小さい町に行けば沢山あるな」と分析した島崎。
住宅地を暫く進むと家並も途切れ、空き地や畑が目立ってきた。ここは島崎が思っていたよ
りも田舎町なのかもしれないのか。そこには比較的小さな川も流れていて土手には雑草が
青々と茂って、名もなき花が咲いている。川の水は透き通っていて川底の岩や泳いでる魚の
姿が橋の上からでも見える。川の上流の方を見ると魚を掬って遊んでいる子供がいる。
(そうか、今日は日曜日だから!)島崎は思った。
橋を渡り四つ角を曲がると広い原っぱに出た。島崎が想像したとおり、原っぱでは小学生の
男の子たちが元気に遊んでいる。缶蹴りをしている5人くらいのグループ、バケツの底でベー
ゴマをしている2人組、バットの素振りをしている子……。どの子も皆元気で、眼も生き生きと
輝いている。
原っぱでの遊びは平成時代の子供では体験できないものばかりだ。原っぱに一本茂って
いる木も、この時代の子供から見ると木登りしたり木の枝を千切って振り回したり、セミを捕っ
たりする一種の遊び道具にもなるのだなと感じた。物の少ない時代でも工夫と想像で色々な
道具や遊具を編み出すことのできた子供……ある意味平成時代の子供よりも幸せなのかな、
と思った島崎はすぐさま携帯電話を取り出して、元気に遊んでいる子供たちの写真を撮影した。
原っぱの前の通りを右に曲がり、更に進むと静かな住宅地になっている。駅前通りと違って、
のどかな佇まいなので、どの家も平屋で窓も玄関も空いている家が多い。島崎はその様子に
思わず唖然とした。平成時代には全く考えられないほどに無用心だからである。
一方、21世紀の世の中はというと、ちゃんと家に鍵をかけても強盗の被害があるのだから、
そう考えると物騒極まりない。
このあたりの地域住民の結束が強いのか、もともと犯罪が少ない土地柄なのかは島崎には
分からないが、当時は家の玄関を開けていても強盗の被害がそれほどないのかもしれなと考
えた。庶民は盗られるような金目の物や高額の金をあまり所持していない時代なのか、そう
でなければこんなに開放的には出来ないからだ。
住宅街を暫く歩くと、駅前ほどではないにしろちょっとした商店街になっていた。肉屋・八百
屋・魚屋・パン屋・タバコ屋・銭湯・駄菓子屋……。それを見て、
「ここは、地元住民の台所と言った感じの商店街だ!」生まれて初めてみる風景に感動した。
本で読んだのだが、昭和30年代では冷蔵庫は高価で、冷蔵庫を持っていない家が多かっ
たので毎日の献立で必要な分だけ商店で買い物しているそうだ。
だからこそ食品の店が商店街ごとに必ず一軒以上はあり、この地区に住む人全てがお得意
様になっているそうだ。道路越しから見ても、この通りの店はどことなく、親切な感じの店主が
多いと感じ取れる。
(きっと夕方になると多くの買い物の客で賑わうのだろうな)
島崎は夕方の商店街の風景を、勝手に想像して見た。
携帯電話の時計が正午を指した。朝食がそば一杯だけだったのでおなかがすいてきた。島
崎は商店街の真ん中にある小さな食堂に入った。
「いらっしゃい!」
店に入ると快活な店主の声。食堂はこじんまりとしていてカウンター5席とテーブル3客しか
ない。場所柄かもしれないが昼時でありながら客は島崎以外誰もいない。
いくらタイムスリップしたとはいえ、【昼間からビール】というのもどうかと思い、当たり障りの
ないメニューの定番でもあるカツ丼を頼んだ。テーブル席で雑誌を読んでいた店主は注文を受
けると無言で厨房に入った。
島崎はカツ丼が出来上がるまでのしばらくの間、狭い店内を見渡した。壁には手書きであろ
うメニューの他には、酒メーカーのポスターが数枚貼られている。定番の着物姿の女優のもの
だ。けど殺風景な店内に色を添えている事は確かだ。
カウンターの方を見ると地元商店がスポンサーであろう小さいカレンダーが張ってある。ちな
みにレジらしきものは置いてなかった。隣のテーブルの上に新聞が置いてある。
(昔の新聞記事を見てもつまらないな)と思うと、新聞には手を出さなかった。
そうしているうちにカツ丼が出来上がった。
「出来立てでおいしい!」との島崎の声に、店主も思わず大きく頷いていた。味付けは醤油が
主体になっていて、化学調味料を一切使わない素材を生かしたつくりで感心した。
島崎はカツ丼をおいしく戴き、満足して食堂から出た。