ライバルが突如いなくなったと同時に彼に想定外の展開になってしまった結果、今まで得意げに
なった北村であったが、あのときから時々「苦い思い出」として彼の心をぐさりと刺す事もあった。
(もしあのときに西原に東京での出来事を正直に伝えていればもしかしたら今頃著名な小説家に
なっていたかもしれない…)
 澄み切った青空を見ながら62歳になった北村は思った。西原に対する罪悪感と後悔は今でも少
しは残っている。けどこうして「自ら切り開いてあげた道」であるマンガに関係する職に就けた事だ
けでも救われたと思った。
 けど西原の【将来】と言う線路のポイントを北村が切り替えたのは事実である。確かにあの時西
原が書いた小説を出版したたカストリ雑誌はとっくの昔に廃刊になり出版社も昭和40年代に倒
産した。今ではたとえ事実であっても完全に時効になっている。
 けど北村のライバルとはいえプロの小説家になれる素質を持ちながらも自らの手で摘み取って
しまった罪は一生負わなければならない。たとえ今の西原にとって些細なことであっても……。
 翌日、北村は自身のパソコンで西原への年賀状を作成・印刷しポストに投函した。
数ヵ月後、北村の元に再び西原からの手紙が届いた。
 今度の日曜日に関東地方へ旅行するので、その時君に渡したいものがあるのでぜひ都内で会
いたい。とのことであった。
(なにやら展開が急だけど何か起きたのかな?)と不思議に思ったのだが、何よりも旧友との久し
ぶりの再会である。事情がどうであれ是が非でも会わなければならないと感じた。
 新宿駅近くの喫茶店。北村がよく利用する店であり、手紙の返信の際にこの店を指定してしてお
きながら約束時刻に遅刻してしまった。案の定既に西原は来ていた。
「お久しぶり」
 46年ぶりの再会である。もはや当時の面影など無く、二人とも平凡な初老の男になっていた。
北村は(とにかく話の主導権を取り、高校での事を謝罪しなくては……)と考えていた。
 西原は高校卒業後アルバイトをしながら本格的にイラストの勉強をする為に上京し都内の
デザイン学校に通った。そして満を持して書いたコミックが少年漫画雑誌社に採用され、連
載作品を持つまでになった。その作品はまずまずの人気で同社から別シリーズを依頼され続
けて執筆し、約10年間漫画家として活躍。その後はカルチャーセンターで素人にマンガの
描き方指導をする傍らデザイン関係の会社を設立したという。
 それを聞いて完全にマンガやデザインの人生を歩んできた西原が輝いて見えた。まさに
時代の流れに乗った人生の勝利者とも見えてきた。
 確かに昭和30年代の後半からマンガは一つの文化として確立され、今では大人がマンガ
を読む時代になり、完全な日本独自のサブカルチャーとして定着しているし、もはや全世界
が注目する芸術と言っても過言ではない。北村や西原が高校時代だった昭和36年には、
少年漫画雑誌と銘打ってもたいていは小説でマンガは数本程度であった。それが昭和30
年代末から昭和40年代にかけて既存雑誌もマンガの比率が高まり、各種マンガ専門雑
誌も創刊された。もはやこの時期がマンガは全盛期であり、少年向け雑誌に小説はほとん
ど載らなくなったという。むしろ大人向けの純文学の分野でないと小説は生き残れなくなっ
ていったのである。つまり西原の転換は時代の流れに沿ったものであり、あの時正直に
打ち明けたとしても彼の小説家としての寿命は長くは無かったであろう。
 結果として北村が仕向けた作戦は皮肉にも西原にとってプラスの要素であったという意
外な結末に終わった。けどどうしても謝罪しなければならないと言う気持ちが強かった。
 北村は「実は、西原に言わなければならない事があるんだ……それは高校の時、俺が
小説の原稿を持って東京に行ったよな。その時実はもう一箇所行っていたんだ。そこはエ
ロ小説を出版している零細出版雑誌社で、編集長が西原の小説を気に入ってくれて、作品
を採用してくれたんだ。けどその時俺がどう血迷ったのか『これは俺が書いた』と嘘を言って
しまったんだ。頂いた原稿料も全部俺の懐に入れた。そして翌日西原にその事を正直に打
ち明けなかった。西原が小説家になる姿を思い浮かび【俺に追い抜かされる】と思ってつい
嘘をついてしまい事実も隠してしまった。本当にすまない!」北村は深く頭を下げた。
 それを聞いた西原はきょとんとしていたが、過去の記憶を思い出すと納得し、
「そうだったんだ!けどあの時本当に小説家になっていたらおそらく今の自分は無かっただ
ろう。むしろ別の道を歩んでいたかもしれない。けど北村に『マンガに転向しろ』と言われた
時、今までの悩みが解決した思いで本当にありがたかった」とその時の思いを語り始めた。
「実はあの頃、俺は少し前から自分の小説の描写力に限界を感じ、むしろ絵の方に力を入
れた方がいいのかな、と思うようになってきた。そんな時北村が小説を出版社に持ってい
くという話を聞き、それなら自分の精一杯の力を出そうとしてあの小説を書いた。けど書い
ていくうちに小説の内容がだんだんとハチャメチャな展開になってしまうのが目に見えてし
まった。おまけに勢い余って先生のマンガまで書いてしまった。まあ小説の挿絵感覚で書
いたのだと思ってくれればいいと思い、あえて消さずに北村に渡した。そしてそれを見た編
集長が絵の方を認めてくれた。それなら(いっその事小説家になる夢はこの際思い切って
捨てて、本格的にマンガに力を入れるべきだ)と心に決めたんだ」
 西原の話を聞き終えて、北村は初めて聞く事実に驚いた。けど彼は彼なりに苦悩してた
んだな、と思った。
「実はあの絵を評価してくれたのもエロ雑誌の編集長だったんだ。確かにエロ全般を扱う
出版社だと絵にも目が行くみたいだな」
「確かにあの絵は高校生が描くぎりぎりの【色っぽい先生像】だったからな!」
 こうして過去の忌まわしい過去は清算され和解に終わった。
「ところで、今回君を呼んだのは訳があって……」
 コーヒーを飲み終えた西原が話し出してきた。そして足元に置いてあった紙袋をテーブ
ルの上に出した。北村が袋の中を見ると新聞の折込広告大の紙がたくさん入っている。
 それは原稿用紙である。月日が経っているようで紙もかなり変色している。
「実はこれは俺が高校の頃から書いていた小説の原稿なんだけど、マンガ家になろうと
決意した後も小説家の夢を捨てきれずにずっと押入れの奥にしまっていた。けどこれらを
日の目を見せずにこのまま風化させてしまうのはどうかと思うようになった。多分俺が死
んだらこの作品も全て燃やされてしまうだろうと思うと、何となく切なくなってきた。その時
過去の友人を調べてみたら高校時代の友人である北村の事を思い出して……」
 北村は西原の書いた過去作品を読みながら聞いていた。例の零細出版社で採用され
た学園物の小説の下書きも残っている。
「どうにかして俺が書いた小説をこの世にどんな形でもいいから残してくれたら幸いと思っ
ていたんだ。今では小説の自費出版も簡単になり、素人でもインターネットのホームペー
ジ公開が出来る時代になった。けど俺には自費出版できる出版社も知らず費用も無い。
また機械操作が苦手でパソコンはおろかワープロ使えない。そう思っている矢先に北村
のパソコン打ちの年賀状が届いた。北村ならきっと俺の作品をパソコンで清書が出来る
し何らかの方法で保存なども出来ると思い、僅かな希望を託しながら手紙を書いたんだ」