当時は素人の自作小説などの投稿は出版社によっては盛んに行われていた。郵送の他に、
今回の北村のように直接出版社に赴いて編集者などに作品を見せてお伺いを立てるケース
も多かったという。
 この手の方法でプロになった人もいるらしい。もちろん芥川賞のような大型文学賞も当時か
らあり、受賞した事によってプロの作家になった人も大勢いた。
 北村がまず行った少年向け雑誌の出版社にも、すでに数人の人が投稿作品を携えて【審
判】を待っていた。各地から小説家という夢を求めてプロへの道を切り開こうとする、いわば
金の卵である。
 小一時間ほど待った後北村の順番が回ってきた。逸る心を抑えながらも北村は編集長室
のドアを開けた。
 そこはやはり一筋縄ではいかない強敵が待ち構えていた。いかにも鬼編集長と思える人
が、持参した作品を一通り目を通した後ため息をつきながら、
「君たちはまだまだ甘いね。ネタは古臭いし展開も幼稚だ。他人の手垢のついたような作品
なんぞを当社で採用する事は出来ない。もう一度頭を冷やし構想から練り直して来なさい!」
 予想通りであった。やはり一介の高校生の書く作品では大手少年雑誌への採用は程遠い
道のりである。
 北村はさんざん編集長に苦言を言われ、まるでぼろ雑巾の様にあしらわれたのであった。
この人は直接出版社に赴いて伺いを立てに来た若者全てにこのような態度を取っているに
違いないと思った。
(やはり無謀であったか……)
 意気揚々に出陣したはずであったが結果は予想通り全滅である。北村は意気消沈して出
版社を後にした。
 その次に行った少年雑誌社にも最初の行った所と似たような事を言われた。ただここでは
さっきと違い温厚そうな担当者から各作品ごとに寸評と大まかな指摘を受け、それぞれ文章
の技術向上を図るように言われた。
 まあこれがプロの作家を目指す誰もが通過する儀式なのである。どんな業界でも誰でもい
きなりプロになるわけがない。ある人にけなされ、またある人に指導をうけ、またある人に励
まされてやっと日の目を見る地位までたどり着けるのだ。現在プロで活躍している人も苦しい
下積み時代が必ずあったのだから。
 北村にとって今日の出来事は、プロになる為の大事な洗礼とでも受け取ったほうが賢明だ。
 この出版社に行って採用不採用は別にして、とにかくプロに向かってのかすかな希望だけ
はつながった感じであっただけでもいいだろう、と思った。
 都内を歩き続けていくうちにタイムリミット(上野発福島行き午後1時8分・日曜日の夜に山
形駅に着く為にはこの列車が最終便)が刻一刻と近づいてきた。
 出版社巡りをあきらめてもう帰ろうか、思ったその時、上野駅近くにある小さい雑居ビルの
一室の窓に【出版】という文字を見つけ(こんな小さい出版社なら何とかなるだろう?)と僅か
な希望を胸に狭い階段を上った。
 本当に小さい雑誌社のようで、5坪にも満たない社内には編集長兼社長のような人しかい
なかった。
(どうせ本になるのだから零細出版でもこの際いいか)と思い編集長に挨拶し、自分たちの作
品を手渡した。
 小太りの編集長は面倒臭そうに作品に目を通した。原稿用紙の最初の1枚を読んだだけで
テーブルに置いてしまう作品がある一方、ある一作品だけは原稿を隅々まで読んでていた。
 煙草を吸いながら「使えそうなのはこの作品だけだな。話も面白いし」とのつぶやき。
 一読した後「この作品は君が書いたのかね?」と言った。
 原稿を見せてもらうとこれは西原の書いた、例のドタバタ学園小説であった。その瞬間(ああ、
西原に抜かされた!)と感じた。けど(この人は僕の名前も知らない。よって僕が西原を名乗って
もばれない。現在西原は山形にいて東京にいるのはこの僕だ!)と思った、その時は【罪悪感】
という気持ちは彼の心には無かった。
 北村は、ややしどろもどろになりながらも「……そうです」と答えた。
 編集長兼社長は「作品もいいし、原稿用紙の裏に描かれた女の絵も色っぽい。これなら多少
話を肉付けをすればうちの雑誌に載せてもいいだろう」と言うと、
「ちなみに名前はどうする?本名だと問題があるだろう。」と困った顔をした。
 室内を見ると山積みにされた返本から判断して、この出版社はいわゆるカストリ雑誌(昭和20〜
30年代に流行した、エロチックな要素を持つ低俗雑誌)を出版しているのであった。
 入る時には気づかなかったが、机の下にはこの出版社の雑誌であろう半裸の女性のイラストが
書かれた本が数冊あった。
 いくら自分の作品であろうとも本名でカストリ雑誌に作品が載れば、いくら東京から遠く離れた
山形であろうとも本屋で販売されるのだから、不特定多数の人に読まれることになる。万一学校関
係者がこれを読んだらどう反響がくるかわからない。もしかしたら停学もありうる。
 あれこれ考えて自分の出身地である山形をひっくり返した「形山太郎」というペンネームで西原
の作品が採用された。そしてその作品を別の人が書くことを許す事と引き換えに匿名扱いで投稿
されたと言う形にしてくれるとの事。
 そして編集長は数千円の原稿料を北村に手渡した。西原の作品は所々お色気な雰囲気を漂
わせた学園小説であり、確かに高校生が書く作品としてはやや逸脱しているものの大人向け娯楽
作品としては完成している。
 なんとなく敗北感を持ちながらも北村は部屋を後にし、急いで上野駅に向かった。

 結局大都会東京で北村が得たものは、自らの作品に対する罵声と作品レベルアップへのちょっと
したアドバイスと、西原が書いた作品の原稿料であった。
 そして何よりも大きかったのは西原の作品を「自分が書いた」と嘘をついた罪悪感であった。
 たとえ低俗なエロ小説雑誌でも本になり出版されるということはある意味凄い事であり、恥ずべき
点もあるが褒めるべきである。それを自らの保身と照れ隠しのため嘘をついてしまった。
 さてこのことを山形に帰って西原に伝えるか迷った。
 正直に「カストリ小説ではあるが君の書いた作品が採用された」といえば西原の【勝ち】であり自
分に抜かされてしまうのである。下手したら西原だけが小説家になってしまうかもしれない。
 ライバルの功績が賞賛されるのが嫌いな北村にとってはこの事は侮辱そのものだ。どうせこの
事実を知っているのは僕だけだ。そもそも、あの零細出版社を見つけたのは僕であり、初めから
この出版社に行くとも部員に伝えてない。
 そしてそうと決めれば頂いた原稿料は自分の懐に納め、西原に対しては事実を隠し適当な
アドバイスだけを報告する事にした。
 今の北村は完全に邪になっていた。これによって友人の将来を結果的に自らの手で曲げて
しまったのである。
 月曜日、北村は昨日の大急ぎで行った東京への旅の疲れを背負いながらも、何事にも無か
ったような素振りで登校した。そして部活の時間、全員に昨日の成果を伝えた。
「昨日、約束どおり部長自ら東京の少年雑誌社に行って来た。結果は予想通り全員不採用
であった。しかしある少年雑誌社だけは各作品ごとに評とアドバイスを受けた。概要をメモに
記したので後で取りに来なさい」
 部員たちは「思った通りだ」「どうせ無駄だったな」などと予想通りの発言が聞こえた。
 部活終了直後に西原が北村の所にやってきた。メモを渡すと、
「ある出版社の編集長から西原君が書いたイラストはとても斬新ですばらしいとの評を受け
た。これからは小説よりもマンガの時代だからマンガのほうに力を入れればきっと活躍でき
る」と話した。
 西原は感激し、「これからはマンガ主体に描こうかと思います!」と元気のいい声で答え部
室を後にした。
 北村は心の中で(やった!)と思った。ライバルが書いた作品が零細出版社ながらも採用
された事を告げない事でライバルのプロ躍進へのきっかけを摘み取り、結果として土俵から
蹴落とした事が一番の功績だからだ。
 さっきの発言は彼の【方針転換宣言】でありこれで西原の小説家への道は閉じたと同然であ
る。案の定次週の部活の時に、西原は文芸部の退部届けを部長である北村に提出した。