夢は小説家

 「おっ、あいつから年賀状が届いている……」
 平成20年元旦。東京の郊外のとある市に住む北村雅彦さんは一人書斎でつぶやいた。
 今でこそ北村さんは中堅の食品製造会社の営業課長という地位にいる平凡な会社員である
が、かつては、ある一つの夢に向かってがんばっていと言うた経験がある。
 その夢とは小説家である。学生時代から本を読むのも書くのも好きで、高校では文芸部の部
長も務めたほどであった。
 卒業後大学に行きながら大手出版社が主催する新人文学賞を目指し応募を繰り返していた
が、結局一次審査にも突破出来ず不発のまま青春時代を過ごした。卒業後は小説家になると
言う夢は捨て、親の親戚が経営する会社に就職し今に至っている。
 けど小説家にはならなくとも、趣味の一環として物書きは続けている。
 北村が今いる書斎も、自宅を新築する際家族の反対を押し切ってただでさえ建坪が少ない家
に、苦心して屋根裏の部分を書斎スペースとして捻出したほどである。
 たとえ屋根裏部屋と言えども北村の部屋である事には変わりない。還暦を越えてはいるもの
の体は丈夫で、毎日書斎に続く階段を上り、自分で【天守閣】と言って悦に入る事もある。
 最近では六十の手習いで始めたパソコンのおかげで執筆活動も簡単になり、しかも自己満
足に近い形ではあるがホームページを開設し自作の小説などを公開している。
 北村はパソコンデスクの前で久しぶりに届いた【あいつ】の年賀状を読んでいる。【あいつ】と
は高校時代の親友で同じ文芸部の仲間でもあった西原の事である。北村と同じく小説家を目
指していたライバルでもあった。しかし彼は大学卒業後消息が途絶えていた。実に46年ぶりの
便りであった。
 年賀状によると西原は今は大阪に住んでいて自ら開設したデザイン会社の社長をしている。
「社長か……あいつも知らないうちに立派になったな……」
 親友に久しぶりに音信がつながった喜びと、ライバルに先を越されたという苛立ちの両方が北
村の心で揺れている。
 新年早々から嬉しいやら悔しいやら……といった感じの北村であった。
「そういえばあいつの奴には借りがあったな…………」北村は年賀状をキーボードの上に置き
窓から外を眺めた。窓の外は青空が広がっていた……

 ……昭和36年9月。山形県のとある高校の文芸部室。
 高校生の北村は、部員に向かって、
「来月に開かれる文化祭だが、今年は初めて文化祭で文芸部として文集を販売する事になっ
た。文集に載せる作品、一人一点を来月始めまでに書き上げるように。内容は問わない」
と言った。
 正直ここまでたどり着いたのも北村の力であった。顧問の反対を押し切り「小説が集まらな
ければ僕の作品で文集の全ページを埋めます!」とまで言い切り、文化祭での販売を許可し
てもらったのである。
 もちろん高校生なので、きちんと製本されたものではない簡単な文集であるので、売り上げ
はせいぜい一部30円程度でしかならないが、それでも各人の作品が他の人に読まれると言
う事は部員としてありがたい存在であった。
 10月の初めには部員全員の小説が出揃ったので文集の製作に取り掛かった。
 もちろん昭和三十年代はコピー機もワープロもパソコンもないので、印刷は原稿の文字一文
字ずつ謄写版(ヤスリ板の上にロウを塗った原紙を乗せて鉄筆でこすり小さい穴を開ける ガリ
版とも言う)で製版し、その原版を絹スクリーンの下に張りインクのついたローラーを転がして
印刷する方式である。昭和50年代まで学校や職場で広く行われていた簡便な印刷方法であ
る。しかもそれら道具は部活としての扱いになり学校の備品が使えた。
 もちろん北村の学校にもガリ版や印刷道具は一式揃っている。部活動の一環なので顧問か
ら備品の使用を許可してもらっている。これらの作業を全員で放課後遅くまで続けたお陰で何
とか文化祭前日までに印刷と製本(ホッチキスで留めるだけ)が無事に終わった。あとは売る
だけである。
 そして文化祭当日。部員たちの熱心な販売が功を奏し、用意した文集200冊が完売した。読
後の読者の反響や感想も上々で部員一同喜びに満ちていた。
 文化祭が終わり一週間後の放課後、文集完売を記念しささやかな打ち上げを部室で行った。
もちろん打ち上げとは言っても高校生なので酒は出ず、ジュースとお菓子程度であるが。
 北村は文化祭の成功と自作小説の反響が好評だという事についつい気が大きくなってしま
い、心にも無い事を部員の前で口にしてしまった。
「これだけみんなの小説が好評なら、駄目を承知で東京の少年雑誌の出版社に行って作品を
見せてもらっては?うまくいけば雑誌の連載が取れるかも!」
 もちろん部員が誰一人考えもしない事であり、静かだった部室が突如騒然とした。
「こんな田舎の高校生の書く小説が東京で通用するのか?」
「無茶すぎるんじゃない?」
「もう少し大人になってからでも遅くないのでは?」
 無茶だ無謀だ時期尚早だとの罵声が聞こえてくる。けど部員の誰もが口には出さないもの
の「本当にひょっとする
と小説家デビュー出来るかも?!」という【大きな夢】を抱き始めていたのも確かだ。
 その一人が西原であった。
 異様な雰囲気のままお開きになった打ち上げ会の後、北村の許に真っ先に相談に来たの
が西原であった。
「さっき北村君が言った話は正気か?」西原が真顔で尋ねた。
「……つい勢いで言ってしまったがいまさら後には引けない。たとえ無茶でも行くだけ価値は
ある。僕だって小説家を目指しているし、その気持ちは君も同じかもしれない」
「やはり東京に行くのか?」
「うん。出版社の人に自分の作品をけなされ笑われるかもしれないが、それを覚悟で乗り込
んでみる!」
 静まり返った部室に二人の闘志は心の底から湧き始めていた。

 11月。北村は両親を説得し東京に行く事を許してもらった。そして決行の日までに自身と西
原が【初陣】に向けて新作の小説を書き終えた。
 ちなみに部員にも作品の募集をかけたが結局西原以外では誰も新たな挑戦者は無く、部
員の承諾を得て文集の中から読者の反響が高かった二人の作品の原稿も東京に持ってい
く事にした。
 山形から上野までの往復運賃1840円は文集の売り上げと部費と北村の小遣いから捻出
する事になった。
 土曜日。北村は早い夕食を食べると3人分の原稿用紙をかばんに詰めて家を出た。心の
中は小説家という壮大な夢に向かって既に突進していた。
 そして山形駅を午後7時16分に発車する列車に乗り、期待と不安を抱きながら東京へと
向かった。
 翌朝早く上野駅に着いた北村は早速交番で少年向けの雑誌の出版社の場所を尋ねた。
 出版社へと向かう電車の中で、西原から預かった小説を拝読してみた。確かに今回の出版
社へ持ち込む為に書かれた作品であり、かなりドタバタ的な学園コメディーである。所々際ど
い場面もある。さらに原稿用紙の裏側には登場人物の女教師のイラストまで書かれている。
肌の露出が多い服を着た教師が脚を広げて椅子に座っているポーズでかなり大胆である。
(この内容じゃ文化祭では出せないな……よくこんな作品を書く勇気があったな!)と苦笑した。
 けど内容的には明らかに北村の方が上だなと確信した。北村の作品は正統派のファンタジー
であり少年雑誌には王道とも言えるストーリーだ。