ここのショッピングセンターは、核となる大型店と100近い店がテナントとして入っている。
 規模は大きくは無いが、午前中に行ったショッピングセンターと同じ様式である。ただこちらの方
が大型デパートの系列というだけで建物の半分を使っていてゆったりと作られていて、残りの専門
店街がやや寄せ集め的な感じになっているのが気になった。
 中に入っているテナントも洋品からカメラ・雑貨・食品・レストランなど多種多様である。
おそらくこの町では旧来の商店街にあった店をこのショッピングセンターのテナントとして引き入れ
ているらしい。
 正春は地下に降りた。普通のデパ地下のように色々な店が入っていて活気に満ちている。
 その中に営業している店で、正春にとって昔懐かしい店の名前があった。昔の商店街の中にあ
った八百屋と同じ名前である。あの時は実際に野菜は買わなかったが、商店街でいつも威勢のい
い掛け声で売っているのを耳にしたので、自然と覚えてしまった。ひょっとして駅前再発の時にここ
に移転したのだろうと思った。
 正春は思い切ってその店の従業員に話しかけてみた。
「すみません。お宅の店は昔、駅前商店街で店を出していましたよね?」
「はい、そうですが……。このビル完成と同時にここに移転しました」
 脈があったと思ったのか正春は失礼を承知で、
「昔の話で恐縮ですが、かつての商店街に『大原牛乳店』があったかと思いますが、この店は今は
どうなっているかご存知ですか?」
 と尋ねた。大原牛乳店とは正春が住み込みで働いていた牛乳店の名前である。
「ああ、大原さんね。私も良く知っています。……確かあの店は10年以上前に店をたたんで今では
この近所に住んでいると聞いた事があります」
と答えた。
(ひょっとして)と思い店の主人に礼を言い、この店でフルーツのセットを購入した。そして念の為、かつて自分が勝手に持ち逃げした集金の金額を店内にある銀行ATMで引き出した。
 可能性は高くは無いが、お世話になった牛乳店の店主とおかみさんに会えるかもしれないと思っ
たからだ。
 正春は駅前の交番で牛乳店の店主の家の新しい住所を訊き、無茶を承知で尋ねる事にした。
 その結果、店主の大原さんは今では駅からやや離れたところの都営住宅に住んでいるとの事。
 正春は駅前からバスに乗り、アポなしでかつての店主の家を訪ねた。
 ベルを鳴らして出たのは間違いなく店主のおかみさんであった。
「こんにちは。お久しぶりです。この町の牛乳店で昔働いていた関根と申します」
 すぐに分かったのかおかみさんは、
「ああ、あの時の!立派になられたねえ」と嬉しそうに答えた。
「今日東京に用事があって出かけてきたついでにこの街に立ち寄ったので、久しぶりに牛乳店に
顔を出してみようかと思い……」と答えたが本心は違っていた。
 目的は一つ。かつて自分が持ち逃げした金を返しに来たのだ。
 小さいアパートであるが正春は部屋に案内された。
 大原さんは今では娘さんとの二人暮しだそうだ。店主は数年前亡くなり、おかみさんも80歳を過
ぎている。時の流れというものは残酷で、おかみさんもかなりの高齢になってしまったが、面影だ
けはかろうじて残っている。
大原さんが思い出話を始めようとしたので正春は、
「私が店を出る数日前に、『集金の金を川に落として無くしてしまった』と言ったが、本当は私は、
川に落ちて金をなくしたのではなく、集金の金を自分の郵便貯金口座に入れて着服していたんだ。
あの時は遊ぶ金が欲しくてついつい魔がさしてしまい、さらに言い訳逃れの嘘をついてしまった。
本当に済まなかった」と言い平謝りをした。
 しかし大原さんは笑いながら、
「いいのよ。もう昔のことなんだから。私もあの時の関根さんの言動は一目で【嘘】だと分かったし、
夫も薄々は知っていたかもしれなかった、けど決して口には出せなかっただろうね」
「本当なのですか!けどなぜ私が盗んだことを知ってて知らぬ振りをしていたのですか?」
「それは、よく夫が話していたことだけど、『人間と言うものは、突然持ち慣れない金を持つと性格
が変わる』ものなのだ。だから新人に集金を頼むときは、例え最悪の事態が起きても絶対に怒ら
ないと誓ったそうだよ。確かに誰しもひょんなことで大金を持つと(この金が自分のものになれば
いいのに)と思うのは当然である。それを我慢するのが人生なのだが人によってはついつい悪
魔のささやきに負ける事もある。そこで叱っても良かった。けどその時点でその人は「悪い事をし
た」事を他人にさらけ出され一生十字架を背負う事になってしまいかえって逆効果になってしまう。
ならばそのまま放って置くいたそうだよ。あの人は万一従業員が集金の金や店の金を持ち逃げ
しても絶対に警察に通報しなかったし、関根さんの時も夫はどこにも通報しなかったんだよ。夫は
警察に通報することによってせっかくその人が培ってきた人生をたった一度の過ちだけで台無し
にすることだけはしなかった。その人にとって『ある意味の社会勉強』をしたのだし、店にとっても
持ち逃げした金は退職金だと思えば済むことである。関根さんだってあの時はきっと魔がさした
のでしょう。けどこれによって人として更に成長したと思われます。今更【着服した金を返せ】と言
う気は全くありません。あの日から今日まで自分がしてきた悪事に対し懺悔と後悔の気持ちがあ
ればそれでいいのですから」
 ここまで聞いて正春は涙を流した。本当に店主は偉い人だと思ったのである。またそれを陰で
支えていたおかみさんもさすがだと思った。
 確かに正春はあの時魔がさしたのである(厳密には初めて集金した夜にコロッケを買った時か
ら何回も)。つい出来心で集金の金を使ってしまったのである。けどそれを見抜くのも敢えて黙認
するのも店主の采配。大原店主は後者のほうである。けどそれによってずっと正春の心の隅で
悩み続けたのは確かであるが。
 大原さんはもらったみかんとりんごとバナナをテーブルに置き、バナナを食べ始めた。
 正春はすっかり気が晴れてどこかさわやかな気持ちになった。長年の胸のつかえがやっと取れ
た感じだ。

 「ところで牛乳店は何でやめてしまったのですか?」と正春は尋ねた。
「関根さんが店を出てしばらくは夫が配達と集金をし、その後新たな人を雇い20年近く営業をし
ていました。けど時代が平成になったあたりから人々の生活が変わったのか牛乳を瓶で飲む人
が減ってきたのよ。そして最大のお得意様であった銭湯も閉店してしまい、お得意様も減った結
果15年前に店を畳んだのよ」
 時代の流れは否応なしに小さな牛乳屋にも押し寄せたのであった。確かに今では牛乳はスー
パーで1リットル入りの紙パックで買う時代である。
 正春は仕事のことや秋田での話、牛乳屋での思い出を語っているうちにあっという間に4時を
回ってしまった。久しぶりの思い出話に花が咲きすぎたようである。
「どうも居心地が良すぎて長居をしてしまいました。今度は孫を連れてこの辺りに来た時に寄ろ
うかと思います」と言い大原さんと別れた。
 店はなくなってもおかみさんだけでも話が出来てうれしかった。出来れば店主が生きているうち
に来たかったのだが……。
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