しかし、店主は雷を落とさなかった。それどころか意外な言葉が返ってきた。
「怪我は無かったか?」
 俺はきょとんとした。けどここで動揺したら嘘がばれてしまうので、
「いえ、幸い何ともありません」と答えた。
 すると店主は、「そうか。それなら良かった。早く着替えて風呂に入ってきなさい!」と一言言う
だけであった。
 風呂に入りながら俺はあの時の店主の言動について考えた。
 集金額のほとんどを横領して、ばればれの嘘をついて証拠隠滅を施しても店主は怒る気配すら
見せなかった。本当に俺を信じているのか?それとも嘘に騙されているだけなのか?
 あれこれ頭の中で考えても結論は出なかった。その日の夕飯は全く美味しくなく、夜もほとんど眠
れなかった。まるで刑務所にいるような雰囲気であった。

 翌日、昨日の事をおかみさんにその事についてそれとなく質問した。
 そうしたら意外な答えが返ってきた。
「うちの人は、とにかく従業員の体だけが心配していたの。お金なんか働けばまた稼ぐ事ができる。
けど人間と言うのはいざ怪我をしたら働けなくなる。人を雇うと言うことはそれだけ大切なことなので
すよ。金より物よりも人を大切にすれば自然と人望がついてくるものですよ」
 確かにその通りである。しかも少しの集金額の事で騒いでもその人の士気を下げるだけであるし、
ちょっと損害が出ても店の経営に大きな支障は出ない。完璧な人間は絶対いないのは事実だし、
無くなった物はあれこれ追求しても仕方のないものである。
 そう考えるとこの店の主人は偉大な人だと思うようになってきた。それと同時に大金を横領した事
に反省と後悔をするようになった。

 俺は後からでも店主に正直に白状していればよかったのかもしれない。けど店主に白状できない
で終わってしまったのである。
 実はあれから数日後俺の両親が急病になったという電報が俺の元に届き、看病の為に故郷の秋田
に帰らなくてはならなかったのである。
 事情が事情なだけに店主もおかみさんも俺の退職を認めてくれた。さらにおかみさんは秋田駅まで
の切符代として3000円が入った封筒を俺に手渡した。
 そうなるとますますあの時の事を白状しないといけないと思った。けどそれを言おうとしてもお金は
すでに振り込んで手元に無い。白状して怒られながら店の人と別れるのもお互い辛いものがある。
 そう思うと白状も出来なかったのである。俺が言えたのは、
「長い間有難うございました。この店で培ったことは忘れません」の一言であった。
「うちの店でよく頑張ってくれた。本当に感謝している。この切符代はわしからの退職金だと思って欲
しい。早く故郷に帰って親の面倒をきちんと見るんだぞ」店主は俺を見ながらそう言ってくれた。
 店主の顔は怒ってなく、どことなくさわやかな笑顔であった。
 そして俺は切符代の入った封筒を財布に入れ、少しの手荷物を持って牛乳店を後にし、駅へと向
かったのである。
 あれ以来俺はあの牛乳店に行っていないし店主夫婦とは連絡すらも途絶えた。というか今まであ
の私鉄の駅すら降りていない。と言うかあんな悪い事をしてしまったので前いた所には行きたくなか
ったのである。
 秋田で親を看病し、最期を看取った後に結婚し、そのまま秋田の会社に就職した。もちろん遊び
狂う目的で奪った集金のお金はそっくり親の医療費と葬儀代に姿を変えた……。


正春は豊洲のショッピングセンターのベンチに座りずっと回想していた。時計は11時を過ぎ、飲ん
でいたコーヒーもとっくに冷めている。
 すると小遣いを使い果たしたのか遊ぶのに飽きたのか孫がそばにやってきた。
「お爺ちゃん。どうしたの?」
「大丈夫。ちょっと昔のことを思い出していただけだから……」と言った。そして、
「そろそろお父さんお母さんのところに行こうか?」と話すと孫は了解した。
 2階はファッションモールと銘打っているだけあって衣料品の店が集まっている。フロアを回廊でき
るように通路が整備しており、その円の内側外側にひしめき合う様に小さい店が並んでいる。
 いわば各地に出来ているアウトレットモールと同じような感じである。関根さんは古い人なので最
近のアウトレットモールの事情に疎いが、だいぶ前にハワイに行った時に立ち寄ったアラ・モアナ・
センターのようなものだと解釈した。
 回廊内を歩き回っていると買い物していた息子夫婦に出会えた。嫁は欲しいものが買えたみた
いで満足そうな顔をしている。
 ふと時計を見ると12時近くになっている。息子夫婦は、
「そろそろお昼にしましょうか。3階に行けばレストラン街があるからそこに行こう」と言った。
 4人はエスカレーターでレストラン街に行った。
 ショッピングセンターのレストランと言うことで、蕎麦屋、トンカツ屋、バイキングレストラン、パスタ
屋、すし屋、ラーメン屋等種類も豊富だ。比較的格調高いショッピングセンターなのか、いわゆるフー
ドコート形式にはなっていなかった。
 時間帯からどの店も込んでいたが、比較的空いているラーメン店に入り昼食を食べた。
 嫁が午後からどうしようか、と思った矢先、息子が、
「皆でショッピングセンター内のスーパーを見て回って、夕飯の買い物をして帰ろうか?」と言った。
嫁と孫は賛成した。けど正春は迷った。そのまま一緒にスーパーをぶらっと見てもいい。酒のつまみ
になるものでも買っておきたい。けどせっかく東京に出たのだから……。
 無謀だとは思ってもあの時牛乳店に住み込みしていた町に行って見たいと思ったからだ。
「あれ、御儀父さんはどうするの?」嫁が尋ねると、
「俺は…午後からちょっと用事を思い出したのでここを出たいのだが、いいかね?」と答えた。
「ちゃんと夜までに家に帰れればいいよ」と息子が言ったので、3人に遠慮しながらショッピングセン
ターを後にした。
 正春が以前働いていた牛乳店のあった町は私鉄の西武新宿線沿線にある。池袋まで戻ってJR
山手線で高田馬場に行き、そこから西武線に乗り換えれば行ける。
 ここからだと大体1時間もあれば行ける。帰りは川越を経由すればいい。
 正直言ってあの時は職探しに半分必死になっていたので、乗ってきた路線の沿線のことまでは記
憶に無かった。
 秋田に帰る際も親の病状のことで頭の中は精一杯だったので窓の外を見る余裕は無かった。
 そのため西武線沿線については記憶が無かったが、おそらく今よりもビルは少なく普通の住宅ば
かりであったと予想される。
 現在ではビルが立ち並んでいる典型的な都会風景に変わっている。
 20分くらいで正春が前住んでいた町、田無駅に着いた。やはりこの町も駅前が再開発されてい
て、駅前に大きなショッピングセンターが出来ている。駅のデッキと直結していて、改札口を出てそ
のままで店内に入れるという便利さである。
 駅とショッピングセンターをつなぐ通路から駅前の通りを眺めると、小さい商店街が残っている。
 正春はショッピングセンターの店内をぐるっと回り、それから駅前を散策してみた。
 しかしどの店も新しい店ばかりで、古くから営業しているような店は見当たらなかった。もしあった
としても新たに立て直したか何かで当時の面影は残っていない。
 やはり時代の流れはどの町も受けている。私鉄沿線とは言えどもたいていのところは旧来の商
店街が残っていないのである。
 昔のように食料品や生活必需品が個人経営の店で販売している形態はほとんどなく、レストラン
やファッションの店などに変わってしまっている。
 スーパーマーケットやコンビニに行けば、食料品やたいていの物は揃ってしまう時代になった。
 確かに昭和30年代はコンビニはもちろんなく、スーパーマーケットもほとんど無かった。
 食料品が一箇所でまとめて買える方が客は便利だし、店側にとっても仕入れが一括で出来る。
考え方によっては今の方がはるかに合理的である。
 せっかくショッピングセンターに来たのだから前々から買おうと思っていた酒の肴でも買って家に
帰ろうかと思い、再びショッピングセンターの中に入った。
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