外は暗くなりかけている。田無駅前の商店街はそこそこ客が行き来している。
昔のように人が多すぎて商店街をまっすぐ歩くことができないと言ったことは今では無くなった。
確かに駅前の商店街だけあって人通りはあるにはあるが普通に通行が出来る程度である。
それに変わって駅前のショッピングセンターに多くの車が吸い込まれてきて同じくらいの車が駐
車場から出て行く。
昔の商店街の機能は今ではショッピングセンターやスーパーマーケットに取って代わってしまっ
た。それでも店内の活気は今も昔もあまり変わっていない。
正春は40年の時を経てすっかり変わってしまった思い出深い町を後にし、田無駅から西武線
の本川越行きの電車に乗り込んだ。
本川越駅に降り、自宅があるつきのわ駅に行く為に東武東上線に乗り換えようとしたが、改札
を降りても東上線の川越駅はどこにもなかった。本川越駅と川越駅は少し離れているのだ。
正春は駅員に川越駅までの道を聞いた。路線バスに乗るか商店街を南に進めば着くという事
だ。今日は商店街ずくめの一日であるので、正春はまだ立ち寄る事がなかった川越の商店街を
散策しながら駅に向かうことにした。
両駅の間は賑やかな商店街になっていて絶えず買い物客でにぎわっている。さすがに埼玉県
で一番栄えている商店街だと言われているだけある。
しかし店舗の傾向としては時代の流れを反映してファッション関係の店や飲食店が中心であり、
昔ながらの食品店などの店はほとんど無いのが印象的であった。
現代にマッチした新しい商店街として今でも元気に残っている地域が身近にあるの素晴らしい
と正春は感じた。
正春がつきのわ駅に着き自宅に帰ったのは午後7時を回っていた。息子一家はすでに帰宅し
ていた。
「御儀父さんお帰りなさい。あれから一体どこに行っていたの?」嫁がすかさず問いかけた。
「実はせっかく東京に来たのだから、と言うことで、あれから俺が昔住み込みをしていた田無と
いう町に行って来たんだ。そしたら昔と大きく変わっていて、駅前が再開発され、大きなショッピ
ングセンターが出来ていたんだ」
「今では駅前にはたいてい大型ショッピングセンターがありますから」と息子。
「そして俺が働いていた牛乳屋に行こうと交番で尋ねたんだが、閉店したらしいとのことだった……」
「そうでしたのか。じゃあ当時の面影すらも残って無かったんでしょうね」
「ああ、そうだった」
正春はお世話になったおかみさんと会って来た事はあえて言わなかった。
「ねえ、お爺ちゃん。昔の商店街はどうなっていたの」孫が質問してきた、
「お爺ちゃんが若いころは、今のようにショッピングセンターやスーパーなんて無く、その代わり駅
前には肉屋だの魚屋だのたくさんのお店があって、多くの買い物客で賑わっていたんだよ」
「そうなんだー!」
孫の眼が輝き始めている。孫にとっては昔ながらの商店街は夢のような物語なのだろう。
「そろそろ夕飯にしますよ」と嫁の声。
「じゃあ、おじいちゃんの話は夕飯食べてからゆっくり話そう」
「分かった!早く夕飯にしてー!」
関根さん一家のその日の夕飯はショッピングセンター内のスーパーで買ってきた出来合いのコ
ロッケとメンチカツとポテトサラダであった。
正春は一口食べた瞬間、
「あの時のコロッケと同じ味だ!」と叫んだ。正春はふと電子レンジ台の方を向いた。
台の上に買ってきたメンチカツと肉団子が店の袋にまだ残っている。おそらく明日の弁当用な
のだろうか?その袋に【肉のイケダ】と印刷されれている。
(肉のイケダ??)しばし考えた後に正春ははっとした。
「この店の名前、俺が昔商店街で食べたコロッケを売っていた店と同じ名前だ!」
息子は驚いた。ショッピングセンターの中の肉屋で買ったのだからこの肉屋もかつては商店街
で営業していたかもしれない。
「ひょっとしたらこの中に御儀父さんが住んでいた町が入っていない?」嫁は店の袋を見せた。
裏側にこの肉屋の支店名前がずらっと書かれている。【田無本店 石神井(しゃくじい)店 赤羽
店 豊洲店……】
やはりそうであった。あの商店街にあった店である。しかも自分が初めて集金の時に盗んだ金
でコロッケを買った店……。
さすがにこれは本当の偶然なのかもしれない。けど再びあの時の思い出が鮮明に浮かび上が
ったのである。
肉屋が業務拡大し支店が開店しても、あの美味しかったコロッケの味は当時をそのまま受け継
いでいる。
正春は「この肉屋のコロッケは安くて美味しかった。俺が買った時は揚げたてにたくさんソースを
つけてくれてそれはそれはうまかった!」
息子夫婦は「そうだったんですか!本当に偶然と言う物は不思議ですね」と言った。
正春は当時を懐かしみながらソースをたっぷりかけたコロッケを食べた。勿論あの時、【出来心】
で買ったという事実は自分の心の奥に仕舞って、他人には絶対に話さないのだが。
けれど正春にはたとえ出来心とはいえ、今でもあの時に犯してしまった罪を今でも悔やんでいる。
そしてこれからもコロッケを食べるごとに、胸にチクッと刺さるほろ苦い思い出となっていくだろう。
昔はどの町にも商店街があってどこでも多くの客でにぎわったと言う。
時代は変わり商店街も様変わりした。
今でもにぎわっている商店街がある一方で、周辺の大型店に客を取られ寂れてしまった【シャッ
ター商店街】も多い。
けど考え方次第では大型店でのショッピングモールが【現在の商店街】と考えてもいい。
時代は変わっても買い物の楽しみは全く色褪せていない。けど毎日の夕飯の献立を考えながら
商店街の店を回る楽しみはなくなってしまった。
今から考えると多少不便であってもこの時代の買い物が一番楽しかったのでは?と思う。正春も
その一人であった。けどこれらの形式は平成の時代には合わないのかもしれない。ただこの頃の
思い出は正春も、そしてその当時を生きてきた全ての人の心の中にずっと残り、若い世代にも語り
継げられるであろう。
【完】
参考サイト: 西武鉄道 http://www.seibu-group.co.jp/railways/index.html
東武鉄道 http://www.tobuland.com/
東武不動産(つきのわ住宅団地) http://www.tobufudosan.co.jp/
ららぽーと豊洲 http://toyosu.lalaport.jp/index.shtml
田無アスタ http://www.asta.co.jp/
川越クレアモール http://www.creamall.jp/
yahoo地図 東京都西東京市・埼玉県川越市周辺
この作品は古典落語「厩火事(うまやかじ)」を一部参考にしました。
つきのわ駅は埼玉県滑川町に実在します。
作品中の店舗は架空のものであります。また作品中のショッピングセンターは、ららぽーと豊洲・
田無アスタをモデルにしましたが一部異なる箇所があります。