翌日主人からも、
「昨日はどうもありがとう。そしてご苦労様。たくさん家を回ってくれてわしからも感謝する。お礼に今
月の給金を少し増やしておくから」と言ってくれ、集金金額については一言も言わなかった。
 俺は(集金の金を使った事はおかみさんも店長もばれていない!良かった!)と感じた。
 ここで止めて置けば良かったのかも知れない。いくら小額とも言えども人様から預かったお金。絶
対に自分の金ではない。けどこれに味を占めたのが苦い思い出につながったのである……。
 あれから店主は俺の能力を高く買ったのか、時々集金業務も任された。もとから話下手で、集金を
する事が苦手な俺なので、
「あの時はまったく分からなかったので適当に挨拶し集金に回ったのです」と集金の仕事をするのを
やんわりと断ろうとした。けれど店主はどう思ったのか俺の発言を変に解釈して、
「なら一度だけわしと一緒に回ろう。わしの集金するのを見ればお前もコツがつかめるし、お客さん
もお前の顔を覚えてくれるだろう」と答えた。
 そして俺は半強制的に集金役も勤めることになったのである。その頃になると店主も俺の事を安
心したのか、集金のお金を毎日店主に納めなくても良くなり、全部集金を終えた時点で店主に金を
納める方法に変わったのである。
 はっきり言って初めから集金業務はやりたくなかったのだが、店主に逆らうと店を出て行かなけれ
ばならないかもしれないので我慢して仕事をした。
 不思議なもので、何回かやってみると少しは集金をするのが楽しくなってきた。けどもともとあまり
好きではなかった仕事を、給料アップという店主の口車に乗せられてやらされているという理不尽
さも高まってき始めてきた。そうなっていくと、俺の心の中にある悪の部分が積極的に働いた。
 心の奥に住む悪魔のささやきを聞き入れた結果、集金してきたお金の一部を【出来心で】自分
の懐に入れるようになって来たのである。
 最初のうちは数百円単位の些細な額であった。けど毎回集金袋を店主に返す際も一言も俺に
クレームも言わなかったのである。
 いつも「ご苦労様」の一言だけ。ひょっとして店主は集金の金額をきっちりと計算して無いのかと
思うくらいであった。
 相手が何も反応してこないのをいい事に、俺は回を重ねるうちに集金のお金を盗む金額を少しず
つ増やしていった。もちろんそのお金は飲み食いや遊興に使ったのは言うまでも無い。
 ある時は数千円もの金額を盗んでも店主は何も無かったような顔をしている。いくら何でも計算す
れば伝票の金額より集金してきた金額が少ないのがすぐ分かるというのに俺を疑う事すらもしない。
 そうなると何となく俺のほうが居心地が悪くなってしまうものである。
 ある日俺は店主にそれとなく質問した。
「うちの店は儲かっているの?」
 店主は表情を変えずに、
「何とかなっている。いくら零細牛乳店といってもそう簡単に潰れはしないさ」
「お客から払われる牛乳代とか……」
「ああ、牛乳代は牛乳業者から仕入れた原価に、うちの方で配達料と人件費と手数料を上乗せさせ
た金額なので、はるかに儲かるように出来ているのだ」
 店側で牛乳代を高く算出しているのである。そう考えると少しくらい集金金額が少なくても店として
は大して損害になっていない事になる。こうなると何となく安心した。
 俺のした行為は悪い事だが、少しくらいは目をつぶれる理由がきちんとあるのだ。という自分勝手な
解釈をしたのである。
 はっきり言ってあの時は俺もどうにかしていた。とにかくあの時は金を稼ぎたい、というかお金を手
に入れたいという気持ちで一杯だったからであろう……。

 あれからも俺は集金の金を勝手に盗んでいたのである。もはや【出来心】の範疇を軽く超え、【闇
の副収入】の領域にまで達していた。
 けどこのままではいけないという気持ちも生まれてきたのである。
 この牛乳店で嫌々ながらも集金もしているし配達もしている。今となっては俺がいないと店がやっ
ていけないのである。こうなると今俺が辞めたら店の人が困るのは目に見えている。けどこのままこ
の店でずっと働く訳にはいかないだろう。いつしか俺も結婚し家庭を持つのだから、いつまでもこん
なアルバイト勤めではだめであろう。いつかはきちんとした会社に就職し安定した収入を得なけれ
ばならない。
 しかしこの店にお世話になっているし俺の後釜は今の所居ない。出来れば後腐れがないうちに店
を辞めて他の所に行きたい。けど辞めるにしてもどういった切り口で言ってみるか……。俺は悩んだ。
 あの時思い切って口頭で「事情があってここを辞めたいのですが」と言えば何事も無く済んでいたか
も知れない。けど実際には【最悪のパターン】の選択肢を選んでしまったのである。

 俺はいつもながら悪魔のささやきを参考にしてしまい、(俺が何か問題を起こせば店主も俺を雇うの
をやめるかもしれない)と判断し、それにはどのようにしたらいいのかをあれこれ考えた。
 故郷の親にも迷惑を掛ける真似は絶対にやりたくない。集金したお金を持ってそのままトンズラし
てもいいのだが、店に私物を置いたままだというのも気になる。となると……。
 月末。俺はいつものように朝早く店を出て、日が暮れるまで一生懸命集金業務行った。今回は、う
ちの店で最大のお得意様である銭湯の集金も行ったので、かなりの金額が集まった。
 最終日、すべての客の集金を終えると普段はそのまま店に帰るのだが、その足で郵便局に向かった。
 窓口で通帳と集金かばんに入っているありったけのお金を係員に渡し、
「全額通帳に振り込んでください」と言った。目的は唯一つ。十数万円あれば半年は働かないで何と
か暮らす事が出来るし、今迄できなかった豪遊もすることができる。
 係員はかばんから出した大量のお札を見て驚き不審に思った。
「このお金はいったい……」と尋ねると、俺は、
「故郷の親に半年まとめて仕送りするのです」と適当に嘘をつき係員を納得させ通帳を渡した。係員は
淡々と手続きを済ませた。通帳を見るときちんと入金されている。
 しかしその足でそのまま店に向かうと問題がある。
 俺はある一つの証拠隠滅ストーリーを考え、ちょっとした【身支度】をする為に商店街を走り抜けた。

 商店街を離れ、近くの川原に行って自転車や服や手足を泥で汚しわざと川の水を頭からかぶり川の
中に集金かばんを落とした。ずぶ濡れになった集金かばんを肩に下げると、再び商店街に向かった。
 まだまだ人通りの多い商店街、俺の見ずぼらしい姿を見て、通りすがりの人は口々に、
「何あの人、雨が降っていないのに全身びしょぬれよ!」
「あの牛乳屋さん、変な格好!」
「あいつ頭がどうかしているんじゃないの!」
 いう数々の罵声を発した。けど、今の俺にとって町の人の評判なんか二の次である。とにかく俺が描
いたシナリオを難なくこなせばいいのである。
今はほんの序の口である。店に着いてからが本番なのだから。
 牛乳店の扉を開けると俺は大声で泣き叫んだ。
「店長さーん!ごめんなさーい!」
その声を聞いて店主は駆け出してきた。泥だらけになった俺の姿を見て、
「こんな格好でどうしたんだ!」
「実は集金を済ませて家に帰ろうとしたところ、自転車のハンドル操作を誤って川岸に落ちてしまっ
たのです。集金かばんを持ったまま……」
 もちろん俺のでまかせであることは言うまでも無い。
 間髪を言わず話を続けた。
「必死になって川原から這いずり上がったんだが、その弾みでかばんを川の中に落としてしまった」
店主は俺の話を真剣に聞いている。
「それからどうした!」
「大急ぎで川の中に戻ってかばんを探したら川底に沈んでいるのを見つけ大急ぎで拾った。けど中
には数枚の硬貨と伝票の束しか残っていなかった……」
 そしてその場で土下座して、
「お札を全部無くしてしまいました。本当にごめんなさい!」と泣きながら叫んだ。
 全て演技である。俺は店主の雷が落とされるのをただただ待った。
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