商店街とコロッケと出来心  「書き込み寺」第23回企画参加作品 お題・現存する建物

「お父さん、さっきニュースでやっていたんだけど、東京の豊洲(とよす)駅前に大きなデパートが
開店したんだって。今度の休みに行ってみたいな!」
「じゃあ日曜日に家族で出かけてみるか」
「わあい!約束だよ!」
 ある日の夕飯時、TVのニュースをつけていたら大型ショッピングセンターの開店の特集を行っ
ていた。地下鉄の駅周辺を再開発し、大型ショッピングセンターを建設したとの事。
「駅前が綺麗になって便利になったみたいだって」と息子の嫁は言った。
「また大型ショッピングセンターの開店か。昔ながらの商店街は消えていくばかりだな……」
と関根正春さんは日本酒を飲みながらつぶやいた。正春は今年67才。会社を定年退職し年金暮
らしの悠々自適人生を送っている。

 日曜日、子供の約束通りTVで紹介していたショッピングセンターに出かけた。
 関根家は埼玉県の東武東上線沿線にあるつきのわ駅前の分譲住宅に住んでいる。聞いた話
だが、この地域は10年前はただの畑であった。東京へ電車一本で行けると言う立地上の利点を
生かし鉄道会社が周辺の土地を購入し、駅を開設しその周辺に住宅団地を造成したらしい。
 都心まで1時間と言う利便性と比較的安い販売価格が人気を呼び入居者が増え、今では駅前
にスーパーが出来た。将来的には駅周辺が大規模な住宅地になる計画である。東京都市圏のい
わゆる【ドーナツ化現象】の結果できた町であり、ある意味時代の流れでもある。
 一家は自宅から歩いてすぐのところにある駅から池袋行きの急行電車に乗った。都心からかな
り離れている為一時間当たりの運転本数は少ないものの座って都心まで行けるので便利である。
 沿線のあちこちで新しい住宅や団地が建っている。やはり都心から比較的近いと言う事で住む
人も多いのだろうか。いくつも大型ショッピングセンターが出来ているし、別のところでは既存の
商店街も残っている。
 終点の池袋駅で地下鉄に乗り換え30分。一家は豊洲駅前の大型ショッピングセンターに着いた。
 店内に入るなり正春は「まるで商店街だ!」と驚いた。建物内が丸ごと商店街になっているのだ。
 ファッションを中心に中小の小売店等が通路を挟んで整然と立ち並んでいるのである。形を変え
ながらも商店街は今でも残っているのだな。と感心した。
 こうなるとビル自体が一つの町である。さすがに学校はビルの中に入っていないものの、映画館
も医院もレストランも塾も娯楽施設も銀行ATMもスポーツクラブもギャラリーもショッピングセンター
のテナントとして入っている。
 このショッピングセンターにいるだけで買い物は楽しめるし遊ぶことも出来、一日中楽しめる。
 かつても商店街に行けばある程度のものは揃うし大人が数時間遊べる店もあるにはあった。
 息子夫婦はセンター内のファッションモールで買い物をすると言って別れた。正春は孫を連れて
3階にあるゲームコーナーに向かった。
 ゲームセンターの前で、「お爺ちゃんがお母さんに内緒でお小遣いをあげるからお昼まで遊んで
なさい。お爺ちゃんは近くにいるから」と言い孫に1000円札を渡した。正春は同じ階にある自動販
売機でコーヒーを買い、ゲームコーナーの隣にあるベンチに腰をかけた。
(今はこういう所があちこちに出来て本当に便利になった。昔と比べたらはるかに良くなった。俺が
若いときは商店街を歩くだけでも人通りが多く大変だった)
 今では考えられないかもしれないが、昭和30年代は道路が舗装されてなく、、駅前の商店街と
言ってもでこぼこ道なのが普通であった。もちろん雨が降ると道路がぬかるんで大変であった。
 当時は金持ちの人も少なく、自動車も高級品であったので、商店街に行くにも徒歩か自転車で
行かなければならない。しかも今のようにスーパーマーケットが無かったので毎日の食材を買う
にもいくつかの店に行かなくてはならなかった。けどそれがまた楽しみでもあった。
 冷蔵庫があまり普及しいない時代なので毎日商店街に行って買い物をするのであるが、行きつ
けの店に行くと商品を負けてくれたり付け払いもしてくれるし、何しろ店の人と世間話が出来る。そ
れと比べれば今は……。コーヒーを飲みながら正春はつぶやいた。
「そういえばあれからずっと行っていないが、あの町も今では変わってしまったのかな……」
【あの町】とは正春にとって思い出深い町であり苦い経験がある町でもあった……。


……昭和31年。俺は中学卒業後、生まれ故郷の秋田県から集団就職によって上京してきた。
 最初は都内にある金属加工会社に勤めたが、仕事が厳しく1年で辞めてしまった。その後はアル
バイト先を転々と勤めた末、縁あって東京の西部にある田無(たなし)市の牛乳屋に住み込みで働
く事になった。そこの店では若い配達員が辞めてしまい、職員を応募していた矢先だったので俺は
すぐに採用された。その時俺は17歳であった。
 体力があり配達経路をすぐ覚えてくれたと言う事で店主は俺の事を気に入ってくれた。そうなると俺
も仕事にやりがいが出てくるようになった。
 牛乳屋に勤めて半年経ったある日の朝、店主が、
「関根君。済まんがわしの代わりに集金に行ってくれないか。いつもはわしが行くのだが、今日は今
から横浜の親戚の家に告別式に行かなければならないんだ。全部の家に回らなくていいからできる
所までで構わないから。よろしく頼むよ」
と言った。俺は集金かばんと集金伝票を受け取ると店主は大慌てで店を飛び出した。
 俺は集金をする事自体初めてであったが、手探りでやっていくうちにだんだんとコツをつかみ、昼迄
にはスムーズに集金が出来るようになった。そして日没までに集金すべき家の約7割程度済ませた。
 集金業務はもちろん、お金を扱う仕事も今まで経験した事が無かったので、わずか数時間で結構
な額のお金を持つことも生まれて初めてだった。自分が集金してきたお金だけど、かばんの中には
おそらく1万円程度は入っているだろう。
 そう考えるとふと一つの考えが頭の中をよぎった。
(これだけ集金かばんの中に金が入っているのだから少しくらい自分の事に使っても店主にはばれ
はしないだろう)
 集金業務は本来は店主が行う仕事、俺はたまたまピンチヒッターとして店主の代わりとしてやって
あげたに過ぎない。本当はせっかくの休みの日なのでどこかに遊びに行きたかったのだけど、それ
を我慢してやったことの無い仕事を半分嫌々ながらしているのだから。
 ならば少しくらい使っても問題は無いだろう。店主がこれだけ大量の集金の金額を正確に把握して
いる訳でもないし、集金途中でどこかに落としたとか客に多く渡し過ぎたと言えば弁解できるだろう。
 考えているちに自転車は住宅地から商店街に入っていった。牛乳店は商店街の真ん中にある。
 商店街は夕暮れ時という事だけあって多くの買い物客でにぎわっている。特に食べ物関係の店
に多くの買い物客であふれている。
 その時俺のお腹がグーッと鳴った。昼飯もろくに食べないで集金をしたので空腹である。
 すると商店街の中に肉屋があるを見つけた。店先からおいしそうなコロッケのにおいがしてきた。
不思議なもので空腹時にはどんなものでもおいしく感じるである。コロッケと言えば店で出してくれ
る食事でたまにコロッケがおかずとして出てくるが、冷め切った安いコロッケにしょうゆをつけたもの
しか食べたことが無かった。
 それでも衣食住を提供してもらっている牛乳店のおかみさんに文句が言える筋合いではないので
(今は雇われている身、所詮はそんなもんだ)と思いながら仕方なく食べていたのであった。
 肉屋の店先にあるのは揚げたてのほくほくしたコロッケである。においに誘われついつい、
「2個ください」と言い、集金かばんの中から5円玉を出した。
 ほんの出来心であった。俺は生まれて初めて他所様のお金を自分の為に使ってしまった。ついつ
い美味しそうなにおいに誘われて、悪い事とは知りながら……。
 肉屋の主人は揚げたてのコロッケにソースをたっぷり付け紙袋に入れてくれた。俺は熱々のコロッ
ケを店先で頬張った。そのコロッケは俺が今まで食べた中で一番おいしかった。濃厚なソースが適度
にしみこんだ揚げたてのコロッケの味を心行くまで堪能した。
 肉屋の主人も「旨いか?」とたずねてきた。俺は無言で頷くと再び自転車をこぎ出した。
 牛乳店に着くなり、おかみさんに集金かばんと集金伝票を渡した。
 おかみさんはお金でずっしりと重くなっている集金かばんを渡されるや否や、
「初めてなのにこんなにたくさん集金してくれて……今日はご苦労様。主人に伝えておきます」
 とねぎらってくれた。勿論ほんの出来心で集金のお金を使って買い食いした事は隠した。
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