あの事件がきっかけで高橋は他のグループからいじめられる事はなくなった。
 しかし相変わらず一人寂しく本を読んでいるのを見て、少しでも学校生活が楽しくなれば、と思い
健一自らが高橋を誘うようになった。最初のうちは健一は高橋を勉強を教えてくれると言う見返り
を求めていたのでとても可愛がった。高橋も健一を本当の兄弟であるかのように尊敬し慕ってい
た。もちろん高橋にとっていじめから救ってくれた健一は恩人に当たるからである。
 放課後野山で遊んだり、一緒に川で遊んだり、宿題を教えてもらったり、二人は【親友】として楽
しい時を過ごした。
 けれど高橋は中学・高校になっても健一の後を追っているのであった。
「恩を忘れない」という気持ちは痛いほどわかるが、今となっては健一は高橋の存在がうっとうしく
感じ始めてきた。高橋がいる関係で入りたい部活にも入れず、健一が憧れている同級生のいるグ
ループにも入れないでいた。いつまでも高橋の尻拭いはしたくない。とまで思い始めた。
 今となっては「あの時正義の心を持って助けなくてもよかった」とまでも考えるようになった。しか
しその考えが健一の知らない部分の感情を少しずつ動かし始めていたのである。
 ある時から、(高橋が嫌がる事をさせればいい)と思うようになり、高橋に少しずつ横柄な態度を
持つようになった。 最初は靴を隠したり菓子などを使い走りをさせるくらいだったが、だんだんエス
カレートしてきて、店のものを盗むように指示したり、高橋を裸にさせ性的な嫌がらせをしたり、学
校をサボって一日中町をうろついたり、と言う風に高橋への攻撃を進めていった。
 つい数年前まで高橋に対して行ってきた【正義】とは全く相反する事をしたのである。もちろんそ
の時もあのバッジのことは頭の片隅にもなかった。
 けれどそんな攻撃に対しても高橋はけなげに行動をしていた。普通の人なら嫌がる使い走りや万
引きも指示通りにしてくるし、たとえ友人の前で裸にされ辱め(はずかしめ)にあわれても涙の一粒
も見せなかった。
(何と言う精神力だ!俺の嫌がらせを全く苦にも思っていない。むしろ喜んでいるではないか!)
 健一も完全に屈服して、今まで高橋にしていた事をすべて謝り、これからも親友として長く付き合
うことを約束した。
 後日高橋に聞いたら「ある種のゲームのようで嫌がらせとは全く思ってもなかった」との事。いじ
められたときの精神力かそれとも単に遊びに思えたのか健一が呆れたのも無理もない。
 高校生くらいになるとだんだん異性にも気になってくる年頃である。もっとも昭和30〜40年代は
今のような性情報が氾濫してなく、雑誌を見ても裸の写真もほとんどなく、せいぜい雑誌の水着グ
ラビア程度のものであった。それでも男性諸氏にとっては女の人の体が見られる男性向け雑誌を
好んで買っていたそうである。
 もちろん健一も高橋も例外ではなく、雑誌のグラビアなどを見て思い思いに妄想にふけっていた。
その時代は恋愛に対し保守的て初(うぶ)な人が多く、何かのきっかけや積極的に文通とかをやら
ないと恋人が作れない場合が多かった。
 けれどそんな二人にもチャンスが訪れたのである。
 ある雨の日。二人がいつものように駅へ向かっていると、一人の女性がうずくまってしきりに何か
を探しているようだった。
(話を聞こうか。それとも無視して立ち去るか……)と思っていると健一の正義が突然心の底から
沸き出した。
(バッジもつけていないのに……)あの赤鬼の形をした正義バッジを捨てずに取って置いたからな
のか一瞬不思議に思ったが、何かの正義が働いたみたいで、手足が自分の意と反して勝手に動
き出す。 健一は何の躊躇いもなくその女性に声をかけた。
「どうしたのですか?」
すると女性は「この辺りで財布をなくして……」と悲しそうな声。
 どうやら財布を落として困って探しているところだった。高橋はこんな雨の中で他人の財布を捜す
事が面倒で嫌な顔をしたが、健一の一言で雨の中、財布捜しを手伝った。
 10分後、側溝のどぶに落ちているのを見つけた。女性は感激した。
 そして二人に思いがけない言葉を言ってきた。
「この財布には定期券と鍵が入っていたので見つからなければ家に帰れませんでした。本当に有
難う。もし良かったらでいいのですが友達から付き合ってくれませんでしょうか?」
 思いのよらない言葉に二人は有無もなく首を前に振った。
 その人は同じ町に住む大学生で名前を細田京子といった。たまたまあの駅に用があって降りその
帰りに財布をなくしたそうである。
 3人は学校に行く同じ電車に毎日乗って、色々な話をした。その時は健一も高橋も心が躍った。
 けれど数ヵ月後健一の心に変化が見られた。京子が目が悪くなって眼鏡をするようになり、話の
内容も文学や歴史のことに傾き始めたのである。
 健一のイメージとして眼鏡顔があまりいいルックスに見えなくなったのと、自分が頭があまり良くな
く、二人の話題についていけなくなってきた。そして過去にも高橋の存在がうっとうしいと感じた時分
のことを思い出した。
(細田さんと高橋をひきつければ二人が恋仲になる、すると俺からは遠ざかってくる)これはいいチャ
ンスだと思い、ある日高橋にこう言った。
「俺は降りるよ。どう見ても俺と細田さんとはつりあわない。高橋の方が話題もついていけるしきっと
いいカップルになる」と。
高橋は喜び、
「こういってくれて有難う。本当に小島さんは僕の大切な人だ!僕が細田さんを大切にします!」
高橋の目に涙がこぼれた。
 健一も(これで本当によかった)と思い一人で家路に着いた。
 それ以来高橋はあまり健一と一緒に行動をとらなくなった。細田さんと二人で仲良く歩いている姿
を見るとたまにうらやましがったりはするが(これでいいんだ)と思い何と無く納得したのであった。
 大学卒業とともに高橋は福島に留まる事になり、健一は東京の会社に就職が決まった。
 故郷を出て行く日。家族とともに高橋と細田さんも迎えに来てくれた。
「本当に有難う。小島さんのことは一生忘れません」との言葉が印象的だった。
 動き出す電車の窓から消えるように流れていく故郷の山々を見ながら、
(これでよかったんだ。高橋は細田さんでよかった。それにしても高橋はまた俺に色々教えてくれ
たな……)と思った。
もちろんこれが全てあのバッジの【力】の一部だとはまだ少しも思っていないのである。
 健一が東京の会社に勤めるようになってから数年。手紙が彼の元に届いた。高橋からである。
【このたび僕と京子は結婚することになりました。僕も京子も小島さんがいなければ絶対に出会えな
かったと思います。また僕にとっては小島さんがあの時助けてくれなかったら僕は今おそらく生きて
はいなかったでしょう……】
 手紙には二人の結婚に至ったいきさつや、高橋がいじめを苦に自殺しようとした事まで達筆な文
字で事細かに書かれていたのであった。
 これを読んで健一は思った。
(自殺まで考えていたとは……あの時高橋をいじめから助けて本当によかった)
 そして健一は同封していた結婚式の案内状の出席欄に丸をつけてポストに投函した。
 福島市内での高橋と京子の結婚式に出席し2次会まで参加し、午後7時44分発の特急電車に乗り
込み、上野駅に着いたのは午後10時44分、そこから更に国電に乗り換えて健一の住む駅にたどり
着いた時は午後11時を軽く過ぎていた。けれど健一はまっすぐ家に帰ろうとはしなかった。
 子供時代の【弟分】結婚の喜びと飲み足りなさから、いつも行くスナックに足を運んだのであった。
ここのスナックは駅前でありながらどこか場末の雰囲気を醸し出している。昭和初期の佇まいを残
した店内と安い料金が気に入り、健一は少し前からこの店の常連であった。
 一人水割りを飲みながら結婚式の情景を思い出していた。
(京子は知らないうちに綺麗になったな……)それもその筈。結婚を機に眼鏡からコンタクトレンズ
に変えたのだから。そうなると健一の心もだんだん穏やかではなくなってきた。
(一番初めに京子を助けてあげようとしたのはこの俺だ。けどどういうわけか今では高橋のものにな
っている。あの時俺がもう少し妥協して恋の主導権争いに強気でいたなら……)
 彼の脳裏に哀しみと悔しさが溢れ始めてきた。けど今となってはいくら悔やんでみてもどうしようも
ない。ある一時期に起きた自分の心の乱れから自ら手を引いたのであるから。