正義を買った男

 昭和30年代。
 福島県の地方都市に住む小学3年生、小島健一。彼はクラスでも特に目立つタイプでもなく、
いじめっ子でもなく、かと言っていじめられっ子でもない、ごく普通の少年だ。
 明るいタイプであったがもともと気が弱いので、それを隠す為に自ら強そうなリーダー格の子の
下で遊び、クラス内で弱い者いじめがあっても数人の仲間と一緒に取り巻くか、あるいは誰かが
いじめられている姿を静観するしかない。
 けど健一は心の中でこう思った。
(このままいじめられっ子を放っていいのか?可哀想ではないか!)
 確かに数人に囲まれて集中的に殴られたり蹴られている姿を見て、誰しも快いとは思わない。
けれどいじめられっ子からのとばっちりを受けるのを恐れて、いじめを止めさせよう、いじめられて
る子を助けよう。といった行動までは起きないのである。
 いわば健一も弱い人間なのである。意欲はあるものの勇気が振り絞れなくて行動に移せなか
った。もっともいじめを目撃している多くの児童がそうなのだが……。
 けど(このままでいいのか?強い人の下について行くだけでなく、もっと人に慕われる人である
べきではないか?)と自問自答する日々が続いた。
  数日後。健一は毎月愛読している少年雑誌でこんな広告を見つけた。
「【正義】を身につけよう」
 今で言うハウツー本の通販である。現在でも通信販売は大人気だが、昭和30年代には子供
相手のいかにも胡散臭そうな商品や実用的な玩具や本などの通信販売も個人商店を中心に存
在していた。
 さらに広告にはこのような説明文が記載してある。
「これを読めばどんな気弱な君でも一躍人気者に。正義の心を持てば世の中を明るくできます」
美辞麗句が文面を踊っている。さらにとどめを刺すように文末には、
「今回お買い上げの方先着10名様に、【効果覿面(てきめん) 正義バッジ】をもれなく進呈します。
あて先:東京都中央区日本橋蛎殻町(かきがらちょう)12番地 趣味の雑貨 雅藍堂(がらんどう)」
「・・・・・これだ!」
 健一は思わず息を呑んだ。
 この本を買って読めば自分も【正義の味方】になれる。当時流行していた勧善懲悪ものの漫画
や小説の主人公を気取れる筈だ。
 おもむろに貯金箱に手が伸びる。陶器製のポスト形の貯金箱を壊して硬貨を数える健一。
「千円くらいある!これで買えるぞ」
 健一は貯金を全て切手に代え、本を注文する内容のメモと本代の切手を封筒に同封して、雅藍
堂に送った。
 数日後彼の元に「【正義】を身につけよう」が届いた。
 早速梱包を解き、中に入っていた本を読んでみた。
 けど読んでも読んでも健一の意とする記述がどこにもなかったのである。書いてあるのはごく当た
り前の自己啓発とイメージトレーニング程度であった。この程度なら雑誌の企画記事と同じくらい
である。しかもこの本は雅藍堂とは関係ない大手出版社からの発行である。
(失敗したかな。こんな本買うんじゃなかったかな……)と思い、その本を放り投げようとしたその
時、本のページとページの間から小さい紙袋が転がった。
(そうか、おまけでついてきた【正義バッジ】だな。どうせこれもただの玩具だろう……)と思いなが
らその紙袋を開けた。
 真っ赤に塗られたバッジと折り畳まれた紙切れが一枚入っていた。「どうせこんなもの……」と思
いながらも健一は紙切れに書かれた文を読んだ。
手書きで「……このバッジは身につける人の正義を高める不思議な力を持っております。正義の
心をもって清く正しく行動をして下さい。なおくれぐれも乱用せぬようご注意願います。 雅藍堂 店
主敬白」と小さい紙切れに几帳面な人が書いたような細かい文字でびっしりと書かれている。
(そうだったんだ……)
 この店はこのバッジを売る目的でわざと書籍と抱き合わせで販売していたんだ。バッジだけでは
不思議な力があろうともだれも信頼しないから、あえて本の広告にして「おまけ」と装って販売した
のだ。健一はなんとなく納得した。
 翌日、赤鬼の形をした正義バッジをシャツにつけて登校した。当たり前だがバッジをつけても全く
反応が無い。健一は内心(やはりこれも意味の無いおもちゃに過ぎないな)と思い始めてきた。
 しかしこのバッジの力が実際に形になって表れたのであった。
 昼休み。相変わらずクラスの数人のいじめっ子が、いつもの児童を取り囲み、からかい始めて
いる。しばらくしてリーダー格の背の高いいじめっ子が、どこから持ってきたのか水が入ったバケ
ツを持ち上げてその子の頭にかけようとした。
 今日のいじめはいつも以上に陰惨だ。健一の心の中から今まで全く感じなかった【正義】の心が
沸き始めた。そしてそのいじめの中に勇敢に立ち向かったのである。普段なら恐れをなしてそんな
考えすら起きないのである。
「何をする!その子がびしょぬれになって風邪引くだろう!」
 新たな【敵】の登場でリーダーは、一瞬気が緩んでしまい、バケツを持つ手がふらつき、そのはず
みで自らの顔にバケツの水が少しこぼれた。しかしリーダーはすぐに体制を元に戻すと、
「お前もびしょぬれになりたいのか!」と健一に対し詰め寄ってきた。
 その直後健一は思いがけない敏捷力でひっくり返したバケツを避け、いじめっ子リーダーにもの
凄い剣幕で近づいた。リーダーは同級生の意外な行動と、普段では全く見ない鬼のような様相に
怯み始めた。数秒の沈黙の後健一は自分では全く体験した事のない感情が体中に駆け巡ると、
他の教室にも響くような大声でこう叫んだ。
「二度とこの子をいじめるな!もしいじめたら俺がただでは置かない!!」とそばにあった椅子を
持ち上げたまま、もの凄い剣幕でいじめっ子リーダーに迫った。
 いじめっ子グループはその場にひれ伏すと子分格の子達はバツが悪くなったと感じ一目散にそ
の場から離れようとした。
 健一は親分を見捨てて逃げ出す子分たちに対し、
「お前たちは卑怯者だ!早くいじめられっ子に対して謝れ!」と叫ぶともう逃げられないと思ったの
か全員が次々と謝り始めた。
 涙をこぼしているいじめられっ子は予想外の展開にきょとんとしたが事情が飲み込めたらしく泣き
止むと自分の席に向かった。
 それを見ていた児童が一斉に喝采した。あわてて職員室から駆けつけた担任が教室に着いた時
は既に事は終わって、健一も普通の少年に戻っていた。
  放課後、一人の男の子が健一の元に近づいた。
「あの……」
「ん、僕に何か用かい?」
 話を聞くと、その子はさっきまでいじめられていた子で、名前を高橋修二と言った。
 真面目で秀才だが、運動神経がなく、無口でクラスで一番地味な存在で、いじめられっ子にあり
がちな要素を全て持っていた。健一も今まで面と向かって話した事がない。
「小島君。僕を助けてくれて有難う。この恩はずっとずっと忘れないよ」
 健一にとっても悪い気はしなかった。友人を助けるのは当たり前の事だし、クラス全体が陽気な
雰囲気に戻ればそれでいいと思ったからである。また健一自身も【弟分】が欲しかったからである。
 クラス内にはいくつかのグループが存在していたが、男子は男子のグループ、女子は女子のグル
ープで行動している。そのグループも頭のいい人・そうでない人・金持ちの人でまとまってグループ
になる傾向がある。これはいつの時代も小学生程度はその傾向が強いのであるが。
 このくらいの年齢は男女のカップルというのはあまり存在せず、もしいてもからかいの対象になる
のである。よって男だけ女だけの友人は当時では当たり前だったのである。もちろんそこから親友
になるケースも多い。