当時の状況を考えていると義男に対する前田所長の振る舞いは今でも不思議に思う。
(なぜこんな俺が所長に気に入られたのか)と思うと本当に夜も眠れない日もたまにある。
けど実際のところは一番信頼でき、かつ慕われていた上司の下で働けたのだから幸せこの
上ないのではあるが。しかも今義男が居るのがかつて一緒に働いていた灯台の前だから尚
更鮮明に思い出されてくる。
(まあ、少しでも手がかりがあるに越した事ないが……)と義男は思った。 考え込んでいる義男
を見て信一郎が心配して、
「御父さん、何を考え込んでいるんだい?」と近寄ってきた。
「そうか、お前にはまだ話してなかったっけ。実は俺がここで働いていた時の件で今でも気にか
かる事があるんじゃ。所長がなぜか俺のことを気に入ってくれて、他の職員にはちょっとした事
で腹を立てるのに、俺だけはなぜか結構大きな失敗を犯してもそれほど怒られなかったんだよ」
「それは単に御父さんの人柄がよかったからでは?」と信一郎は無難な回答をした。
確かに言われてみればそうかもしれない。けど義男にとってはそれが最善の答えとしては未
だにどこか釈然としなかったのであった。
(きっとまだ何かあるに違いない……)と義男は思った。
時間というのは時として残酷なもので、そうこう考えているうちにも時間は容赦なく流れ去り、
太陽も沈みかかっている。灯台の影もだいぶ長くなっている。
信一郎は携帯電話からタクシー会社に電話して、ここに来てもらうように頼んだ。
この灯台にいられるのもあと数分だ。義男にとっては懐かしくまた思い出深い灯台ともお別れ
になる。多分一生のうちにここに来ることは二度とないだろう。義男にとってはこの灯台と、【惜
別の時を迎える】事になる。
義男は今のうちにこの灯台をしっかりと脳裏に焼きつかせた。そして官舎があった辺り、そして
灯台から市街地へ向かう一本道、そしてこの雄大な太平洋……。
10分もしないうちにタクシーがやってきた。ついに義男と灯台の別れの時間がやってきた。
4人はタクシーに乗り込んだ。義男は小さくなっていく灯台を大きな眼で見ていた。(これが最
後の別れだ)と心に刻みながら……そして灯台は義男の視界から見えなくなった。
タクシーは林の一本道を通りぬけ、住宅地へと進んでいった。
車で行くとたった5分くらいで走り抜ける距離の、灯台へと続く林の一本道だが、かつては交通
事情のせいもあるかも知れないが、この道を進むのにかなりの時間がかかったように思えた。
灯台へとつながる一本道は港から8キロメートルほど離れている。駅や港の周辺にはそこそこ人家や店があったが、海岸
線沿いに進むにつれ人家が少なくなり、1キロも歩くと海と山になってしまう。東北の田舎町だから仕方ないのであるが。
それでも途中に集落が1.2箇所はあったが、農家が10軒くらいしか家が建っていない本当に小さいところだった。
生活必需品は海上保安庁の補給船が月に1回岬に米を直接運んで来てくれる以外は食料は自給するか近くの店まで
買いに行かなければならないのであった。
もっともここは岬。魚介類は豊富にある。海藻類は磯まで行けば取れるし、魚も釣ればいいのだし、漁港に行けば、売り
物にならない2等品を漁師から安値で分けてもらえる。
後は歩いて10分くらいかかる灯台に一番近い集落にあるたった一軒の店で一応食品や雑貨などは買える程度だ。
日常品以外のものは国鉄の駅がある港町の店まで往復1時間かけて歩いていかなくてはならない。また今では考えられ
ないが昭和30年代末までは地方から来たという行商の人(女性が多かった)が時たまここにも来てくれて一般的な食品や
山海の産物を売りに来てくれたのだった。
灯台には庁で管理する官車があるにはあるが、海上ブイや灯台周辺の巡回時や緊急時等の他は使えないのであった。
そのため買出しやちょっとした用件はすべて徒歩で対応しなければならないのであった。
買出しといっても職員と家族全員の分があるので大八車やリヤカーで行かないと到底持ちきれないのであった。しかもこ
の灯台では若年者が主な仕事となっているのであった。すなわち俺がもっぱら買い出し担当であった。
その店まではうっそうと茂った林の中を通るのだが、昼間でも木々に遮られて薄暗いのであった。
最初のうちはうっそうとした林が俺は気味悪くて嫌だったが次第に嫌ではなくなってきたのであった。
それもそのはず、公認で「下界」に降りられるからである。時間までに帰ればいいのだし、港まで行けばそこそこの遊びも
あるし。ま、灯台のなかでは一番の若造であるのであまり羽目をはずして他の先輩職員に余計な迷惑かけるのも嫌なの
で、遊びはほどほどにはしているけれど……
その買出しも昭和40年代に入ると道路も整備されるようになり、岬の灯台の一番近い集落までの道は簡易ながら舗装も
されるようになると、ある程度は移動が楽になってきたのであった。
灯台に配属されて5年。俺も20代後半になっていた。わずかな給料をはたいてバイクを買ったので買出しや港までの
移動も以前よりは楽にはなった。
灯台勤務も5年以上続けると板につき、たいていの業務は一人でこなせるようになった。また制度の多様化や新しい
技術の開発によってそれに見合った資格も海上保安庁本部から取るように薦められた。俺自身も無線やフォークリフトの
資格や船の運転免許をこのころ取得したのであった。
灯台にも新しい設備や海上にあるブイを点検修理する設標船というのも導入された。
事件が起きたのは俺が船の免許を取ってすぐのある日。小さい設標船に乗り、洋上にあるブイ(灯浮標)の点検を一人
で行っていた時だった。
当時の設標船は今のよりも規模が小さく、操縦室と作業をする為の簡易な機械しかなかった。
「これでやっと今日の点検は終わるな」と思ったその矢先、急に大風が吹いてきたのだった。
俺の乗った船は小さいので風の影響で波が大きくなると船が大きく揺れる可能性がある。船酔いには強いのだが、比
較的重要な機械もあるのでそれらの保護のため、急いで灯台まで戻らなければならない。
ふと灯台のほうに眼をやると灯台の脇のほうで黒い煙が空に舞い上がっていたのだった。
「火事だ!!」俺は焦った。灯台の脇といえば官舎があるところだ。官舎から火災が発生したのだ!
俺は設標船のスピードを最大まで上げて大急ぎで岬に戻った。到着するなり俺は大慌てで船から飛び降りると官舎
の方へと駆け出した。
現場に駆けつけるとすぐに他の人に協力を促し、全員で火事の消火にあたった。そのおかげで幸い官舎の火事は
ボヤで済んだ。川上さんの部屋の台所を少し焦がしたくらいで済み、特に大きな被害はなかった。
「ああ、これで一安心だ。」と俺はホッと肩をなでおろした。そして何気なく灯台のある方を見上げた。 するとさっきま
で乗っていた設標船が沖の方に漂流し始めていたのだった。
「!!!」俺はいまさらになってはっとした。火事のことで頭がいっぱいで、一番大切なことである船を停泊するときに
きちんとイカリを降ろすのを忘れてそのままの状態で降りてしまったのだった。
別の職員が大急ぎで別の巡視船に乗り込み、海上に漂っている船に追いつき、非常用のロープで沖に流されていた
船を連結させた。気づくのが早かったので大事に至らなかったのが幸いだった。設標船は元あった船置き場にどうにか無
事に安置することができた。
これは全くの俺の不注意だった。俺は前田所長に叱られた。けど雷という程ではなく、長時間正座させられ簡易な反
省文を書かせられた程度であった。この処置は他の職員からすると異例の処置だという。未遂とはいえ、設標船の管理不
十分での漂流ということになれば数十万円(今の通貨単位に換算すると数千万円)の損害ということになる。さらに洋上ブ
イの点検すらもできなくなってしまうという惨事になりかねなかったのであった。
他の職員からすると「普通ならこれで始末書を書かされて減給されるはずの失態なのに。まあ、官舎の全焼を未然に防
いだからその点を考慮しての処置だろう」という結果で納得したみたいだ。
その日の夜、渡辺一家は駅前の旅館に宿泊した。港町だけあって新鮮な魚介類が夕食の膳に
色とりどりに飾られている。家族全員魚が好きなので一家は舌鼓を打ちながら都会ではなかな
か味わう事のできない新鮮な海の味覚を心行くまで堪能した。
信一郎はまだあの事が心のどこかに引っかかっていて、酌を交わしながら義男に質問してきた。
「御父さん。灯台の上司だった前田さんって言う人は御父さんを贔屓(ひいき)していたのでは?」
義男は猪口に注がれた酒を一口飲むと、
「贔屓か……よく同僚に言われたことがあったな……」
「もしかしたらそうかもしれませんよ。きっと御父さんに何か心を動かす要素があったとか……」
信一郎もしきりに糸口を引き出そうとしている。
「そうかなあ……確かに大きな失敗をしたけど、何となく処理されたり、逆に前田さんが罪をか
ぶったりしたこともあったし……」
「きっとそうかもしれませんよ」
義男は遠くを見つめ「前田さんは、この俺を一人前の灯台守として育ててくれたことは確かだ。
けど俺が何か恩返しもしなかったし、また彼は俺に対しての見返りすらも考えてなかった」
「後輩が立派になればそれでいい。と思ったのでしょうね」
「やはりそうかもしれんな……」
義男は、結局は答えの出ないものなのかと小さく溜息をついた。
(なぜこんな俺が所長に気に入られたのか)と思うと本当に夜も眠れない日もたまにある。
けど実際のところは一番信頼でき、かつ慕われていた上司の下で働けたのだから幸せこの
上ないのではあるが。しかも今義男が居るのがかつて一緒に働いていた灯台の前だから尚
更鮮明に思い出されてくる。
(まあ、少しでも手がかりがあるに越した事ないが……)と義男は思った。 考え込んでいる義男
を見て信一郎が心配して、
「御父さん、何を考え込んでいるんだい?」と近寄ってきた。
「そうか、お前にはまだ話してなかったっけ。実は俺がここで働いていた時の件で今でも気にか
かる事があるんじゃ。所長がなぜか俺のことを気に入ってくれて、他の職員にはちょっとした事
で腹を立てるのに、俺だけはなぜか結構大きな失敗を犯してもそれほど怒られなかったんだよ」
「それは単に御父さんの人柄がよかったからでは?」と信一郎は無難な回答をした。
確かに言われてみればそうかもしれない。けど義男にとってはそれが最善の答えとしては未
だにどこか釈然としなかったのであった。
(きっとまだ何かあるに違いない……)と義男は思った。
時間というのは時として残酷なもので、そうこう考えているうちにも時間は容赦なく流れ去り、
太陽も沈みかかっている。灯台の影もだいぶ長くなっている。
信一郎は携帯電話からタクシー会社に電話して、ここに来てもらうように頼んだ。
この灯台にいられるのもあと数分だ。義男にとっては懐かしくまた思い出深い灯台ともお別れ
になる。多分一生のうちにここに来ることは二度とないだろう。義男にとってはこの灯台と、【惜
別の時を迎える】事になる。
義男は今のうちにこの灯台をしっかりと脳裏に焼きつかせた。そして官舎があった辺り、そして
灯台から市街地へ向かう一本道、そしてこの雄大な太平洋……。
10分もしないうちにタクシーがやってきた。ついに義男と灯台の別れの時間がやってきた。
4人はタクシーに乗り込んだ。義男は小さくなっていく灯台を大きな眼で見ていた。(これが最
後の別れだ)と心に刻みながら……そして灯台は義男の視界から見えなくなった。
タクシーは林の一本道を通りぬけ、住宅地へと進んでいった。
車で行くとたった5分くらいで走り抜ける距離の、灯台へと続く林の一本道だが、かつては交通
事情のせいもあるかも知れないが、この道を進むのにかなりの時間がかかったように思えた。
灯台へとつながる一本道は港から8キロメートルほど離れている。駅や港の周辺にはそこそこ人家や店があったが、海岸
線沿いに進むにつれ人家が少なくなり、1キロも歩くと海と山になってしまう。東北の田舎町だから仕方ないのであるが。
それでも途中に集落が1.2箇所はあったが、農家が10軒くらいしか家が建っていない本当に小さいところだった。
生活必需品は海上保安庁の補給船が月に1回岬に米を直接運んで来てくれる以外は食料は自給するか近くの店まで
買いに行かなければならないのであった。
もっともここは岬。魚介類は豊富にある。海藻類は磯まで行けば取れるし、魚も釣ればいいのだし、漁港に行けば、売り
物にならない2等品を漁師から安値で分けてもらえる。
後は歩いて10分くらいかかる灯台に一番近い集落にあるたった一軒の店で一応食品や雑貨などは買える程度だ。
日常品以外のものは国鉄の駅がある港町の店まで往復1時間かけて歩いていかなくてはならない。また今では考えられ
ないが昭和30年代末までは地方から来たという行商の人(女性が多かった)が時たまここにも来てくれて一般的な食品や
山海の産物を売りに来てくれたのだった。
灯台には庁で管理する官車があるにはあるが、海上ブイや灯台周辺の巡回時や緊急時等の他は使えないのであった。
そのため買出しやちょっとした用件はすべて徒歩で対応しなければならないのであった。
買出しといっても職員と家族全員の分があるので大八車やリヤカーで行かないと到底持ちきれないのであった。しかもこ
の灯台では若年者が主な仕事となっているのであった。すなわち俺がもっぱら買い出し担当であった。
その店まではうっそうと茂った林の中を通るのだが、昼間でも木々に遮られて薄暗いのであった。
最初のうちはうっそうとした林が俺は気味悪くて嫌だったが次第に嫌ではなくなってきたのであった。
それもそのはず、公認で「下界」に降りられるからである。時間までに帰ればいいのだし、港まで行けばそこそこの遊びも
あるし。ま、灯台のなかでは一番の若造であるのであまり羽目をはずして他の先輩職員に余計な迷惑かけるのも嫌なの
で、遊びはほどほどにはしているけれど……
その買出しも昭和40年代に入ると道路も整備されるようになり、岬の灯台の一番近い集落までの道は簡易ながら舗装も
されるようになると、ある程度は移動が楽になってきたのであった。
灯台に配属されて5年。俺も20代後半になっていた。わずかな給料をはたいてバイクを買ったので買出しや港までの
移動も以前よりは楽にはなった。
灯台勤務も5年以上続けると板につき、たいていの業務は一人でこなせるようになった。また制度の多様化や新しい
技術の開発によってそれに見合った資格も海上保安庁本部から取るように薦められた。俺自身も無線やフォークリフトの
資格や船の運転免許をこのころ取得したのであった。
灯台にも新しい設備や海上にあるブイを点検修理する設標船というのも導入された。
事件が起きたのは俺が船の免許を取ってすぐのある日。小さい設標船に乗り、洋上にあるブイ(灯浮標)の点検を一人
で行っていた時だった。
当時の設標船は今のよりも規模が小さく、操縦室と作業をする為の簡易な機械しかなかった。
「これでやっと今日の点検は終わるな」と思ったその矢先、急に大風が吹いてきたのだった。
俺の乗った船は小さいので風の影響で波が大きくなると船が大きく揺れる可能性がある。船酔いには強いのだが、比
較的重要な機械もあるのでそれらの保護のため、急いで灯台まで戻らなければならない。
ふと灯台のほうに眼をやると灯台の脇のほうで黒い煙が空に舞い上がっていたのだった。
「火事だ!!」俺は焦った。灯台の脇といえば官舎があるところだ。官舎から火災が発生したのだ!
俺は設標船のスピードを最大まで上げて大急ぎで岬に戻った。到着するなり俺は大慌てで船から飛び降りると官舎
の方へと駆け出した。
現場に駆けつけるとすぐに他の人に協力を促し、全員で火事の消火にあたった。そのおかげで幸い官舎の火事は
ボヤで済んだ。川上さんの部屋の台所を少し焦がしたくらいで済み、特に大きな被害はなかった。
「ああ、これで一安心だ。」と俺はホッと肩をなでおろした。そして何気なく灯台のある方を見上げた。 するとさっきま
で乗っていた設標船が沖の方に漂流し始めていたのだった。
「!!!」俺はいまさらになってはっとした。火事のことで頭がいっぱいで、一番大切なことである船を停泊するときに
きちんとイカリを降ろすのを忘れてそのままの状態で降りてしまったのだった。
別の職員が大急ぎで別の巡視船に乗り込み、海上に漂っている船に追いつき、非常用のロープで沖に流されていた
船を連結させた。気づくのが早かったので大事に至らなかったのが幸いだった。設標船は元あった船置き場にどうにか無
事に安置することができた。
これは全くの俺の不注意だった。俺は前田所長に叱られた。けど雷という程ではなく、長時間正座させられ簡易な反
省文を書かせられた程度であった。この処置は他の職員からすると異例の処置だという。未遂とはいえ、設標船の管理不
十分での漂流ということになれば数十万円(今の通貨単位に換算すると数千万円)の損害ということになる。さらに洋上ブ
イの点検すらもできなくなってしまうという惨事になりかねなかったのであった。
他の職員からすると「普通ならこれで始末書を書かされて減給されるはずの失態なのに。まあ、官舎の全焼を未然に防
いだからその点を考慮しての処置だろう」という結果で納得したみたいだ。
その日の夜、渡辺一家は駅前の旅館に宿泊した。港町だけあって新鮮な魚介類が夕食の膳に
色とりどりに飾られている。家族全員魚が好きなので一家は舌鼓を打ちながら都会ではなかな
か味わう事のできない新鮮な海の味覚を心行くまで堪能した。
信一郎はまだあの事が心のどこかに引っかかっていて、酌を交わしながら義男に質問してきた。
「御父さん。灯台の上司だった前田さんって言う人は御父さんを贔屓(ひいき)していたのでは?」
義男は猪口に注がれた酒を一口飲むと、
「贔屓か……よく同僚に言われたことがあったな……」
「もしかしたらそうかもしれませんよ。きっと御父さんに何か心を動かす要素があったとか……」
信一郎もしきりに糸口を引き出そうとしている。
「そうかなあ……確かに大きな失敗をしたけど、何となく処理されたり、逆に前田さんが罪をか
ぶったりしたこともあったし……」
「きっとそうかもしれませんよ」
義男は遠くを見つめ「前田さんは、この俺を一人前の灯台守として育ててくれたことは確かだ。
けど俺が何か恩返しもしなかったし、また彼は俺に対しての見返りすらも考えてなかった」
「後輩が立派になればそれでいい。と思ったのでしょうね」
「やはりそうかもしれんな……」
義男は、結局は答えの出ないものなのかと小さく溜息をついた。