義男はしばらく東屋に座り当時の様子を思いふけっていた。息子夫婦と孫は灯台の周りを散策し
たり携帯カメラで写真を撮っている。確かにここの灯台は他の全国の灯台と比べても大きい方に
入る。なにしろ30mくらいの高さがあるからかなりの迫力だ。
現在では技術の向上により灯台は遠隔操作と自動制御になっているので無人化された。船の
航行に重要な機器が沢山あるので、今では灯台内の入り口は保安上厳重に鍵がかかっている。
その内部に義男はかつては仕事で入っていたのだった。
「おじいちゃん、この中は何があるの?」早速海斗が質問してきた。
「この中には一番上に海を照らす大きなレンズと電球。下には灯台の明かりを照らしたり消したり
する機械があるんだよ。また船に音で知らせる霧笛を動かす機械もあるんだよ」
義男は昔を思い出しながら語った。最初の頃は慣れない機械操作や点検にてこずったのだが。
前田さんに呼ばれて俺は灯台の前に行った。前田さんは緊迫した顔で、
「これから灯台の中に入って、点検する機器を案内する。室内は非常に狭く重要な機械が多いの
で取り扱いには十分気をつけること!」と指示を受けた。
前田さんは2重にかかっている鍵を開錠すると大きな扉を開けた。
室内は確かに狭かった。6畳に満たない電気室には生まれて初めて見る大きな装置が所狭しと
立っている。直方体の白い装置に沢山のスイッチやメーターやランプがついている。
「これは何ですか?」
初心者の俺は前田さんに質問した。
「ああ、これは『灯台制御盤』だ。この灯台のいわば心臓部で、灯台を点灯点滅させたり、異常を
通知したり停電時電源を切り替えたりするんだ」俺は何となく納得した。
「そしてその脇にあるのが『霧制御盤』といって霧笛を動作する装置。その隣が『蓄電池盤』と『直
流電源盤』だ。たとえ停電時の場合でも必ず灯台は照明を点さないといけない。その際に発電機
を始動する時に使うバッテリーだ。そして一番奥にあるのが『受電引き込み盤』で、電力会社から
の電気を引き込んで変圧する装置だ」
沢山の盤に囲まれた室内は盤から発生する熱で暖かかった。
奥の部屋には非常用発電機と周波数変換機がある。停電時でもランプを灯したり霧笛を鳴らし
たりできる装置だそうだ。
2階から上は吹き抜けになって長い螺旋階段が続いている。俺たちは息を切らしながら階段を
登っていった。最上階にある小さい窓から外を見ると辺り一面海と空と林。真っ青な太平洋はとて
も綺麗で素直に感動した。
そこには灯台のシンボルである大きなレンズと電球がある。今は昼なのでそれほど光力は強くな
いが夜になるとまるで昼間のようにこの室内は明るくなるそうだ。ランプは消耗品なので定期的に
レンズの点検やランプの交換があるという。その話になると前田さんは急に説明的になり、
「危険な高所作業になるのでレンズやランプの点検は絶対に一人では行わない事!」と俺に教え
えてくれた。一通りの説明を受けると俺と前田さんは灯台から出た。
明日からここが俺の職場となると不思議にやる気が沸いてきた。それと同時に(果たして船の安
全を守る仕事が俺に勤まるのだろうか……)と言う不安もあった。
10年間ここを職場としていた義男だが、この地を訪れるのは20年ぶりであった。
義男にとってここは「あまり訪れたくない場所」であったからだ。東京の本部勤務に戻っても、あ
えてこの灯台を管轄しない西日本の海域担当にしてもらったくらいの徹底ぶりだった。
今回の旅行も義男だけが最後まで行くのを反対していたのだから。けど「海斗に本物の海の豪
快さを見てもらいたい」という美佐江の言葉が彼の心に突き刺さり、渋々OKを出したのであった。
義男が最後にここを訪れたのは昭和59年にこの灯台が無人化される際の職員立会いとその後
のお別れ会に出席した時であった。過去にこの灯台で働いていた人もこの時ばかりは全員駆け
つけ、各種引継ぎ業務のあと灯台の入り口の扉を牛島さんが封印したのだ。
その時の情景が今でも義男の脳裏に焼きついている。
もちろん前田所長も来ているのかと辺りを見回した。
彼は義男の一番の理解者であり義男も彼を慕っていた。そのため前田さんにもう一度会いたか
ったからであった。過去のことのお礼を含めて……
けど、その時には前田所長の姿はなかった。義男は一瞬不安になった。
しかし他の職員から見れば前田所長は「鬼の前田」と言われ、何かと口うるさい人だったらしい。
石巻の割烹旅館で行ったお別れ会の際にも、参加した元職員が口々に
「前田所長に色々と口うるさく言われたのが嫌だった」、とか、「あの人は俺にとって最低の上司
だった」と罵声を言っていたのを覚えている。確かに灯台勤務だった頃も、いざ仕事となるとまる
で人が変わった様に厳しい人になると言う事は義男自身も知っていた。本当に「人に厳しく自分
に厳しい人」の典型であった。もちろん他の職員にも威厳の態度を取っていた。けどなぜ義男だ
けが不思議に彼に気に入られていたのだった……
前田さんは仕事となると急に厳しくなるから気をつけた方がいいぞ」
官舎の隣の部屋に住む川上さんが俺にこう忠告して来た。
俺は、「そうですか……」と受け答えたが、間髪を入れず、
「日常点検の時に変なボタンを押したり、ちょっとでも操作を間違えたりすると、『何バカなことをするんだ。船が進路を見失っ
てしまったらどうするんだ。船は灯台の灯だけが頼りなんだぞ。俺達は船員の命にかかわる仕事をしてるんだぞ!!』と、
まるで雷を脳天に落としたように怒鳴られるぞ」
川上さんは隣に聞こえるくらいの大声で俺にこう注意した。
確かに重大な仕事をしているから怒られて当然だとは思った。
俺は納得した。
同じような内容を牛島さんにも言われた。この灯台では「鬼の前田」と代々そう言い伝えている。
けれど俺は駅前の港で前田さんを見たときはそんな風には思えなかった。確かに大柄で力はありそうだが恐いという風には
思わなかったからだ。
もちろん人間であるからその時の状態や気分などの諸条件で人格ががらりと変わる人はいるので、それはそれで当たり前
なのかもしれないが……
同僚にそう言われるとさすがに俺も怯みはじめてきたのか、前田所長と一緒に仕事をするときはどことなく緊張して働く様
になった。
(仕事をミスると必ず雷が落ちる……)
俺は一つ一つの作業を慎重に行うようになった。もちろんそれによって仕事を早く覚えるようになったことは事実だが。
俺が前田所長に対して警戒し始めたのが察せられたかどうか分からないが、俺がここに来て3ヶ月目の日、 −それは丁
度非番の日で朝から官舎の自室で寝転がっていた− 夕方6時頃、突然玄関でノックをする音がする。
(この時間に行商人というのもおかしいし……誰だろ……)と思いながらドアを開けるとそこには前田さんが妙にニコニコ
した顔つきで立っていた。
「今日家内がカレーをたくさん作ったので、よかったら食べに来ないか?」
との事。ま、上司の言う事は従わないといけないだろうと思いながらも久しぶりにカレーが食べられるというので喜んで伺っ
た。前田さんの奥さんが作ったカレーはどこか懐かしい味がしておいしかった。
「ちょうど昨日仙台からいい肉が送られてきたから……」と奥さんもしきりにお代わりを勧める。
俺はお代わりを断ると前田さんは少し不機嫌な顔をした。
夕飯を食べ終わると「最近私に対する態度が妙だがどうかしたのか?」と早速質問してきた。
俺は口を濁らすと「ははあ、きっと川上か牛島がわしの悪口を言ったからか?」と矛先を変えてきた。俺は小さい声で、
「……そうです……」と答えた。
前田さんは「やはりそうだったか……最近お前の様子が変だったと思ったから……」と頷いた。
けどそんなことには全く怯まず、「外野がどうこう言っているが気にしなくていい。あいつらには適当に言わしておけ。俺は
お前をとても気に入っている。たとえ所長であっても変に気を使わなくていいぞ。もちろんお前が何かヘマをしたらきっちりと
叱るがな!」と前田さんは笑いながら大声で話した。
俺は安心していいやらおかしな気分になった。前田さんは他の従業員には容赦なく叱り、その為恐れられ、俺にだけは特
別親切にしている。今日のカレーでも他の職員には食べさせなかったし。
前田さんは俺を贔屓しているのか?それとも単に若年者を優遇しているのか?それとも?
そう思っているとすかさず、
「といっても別にお前のことが『好き』で親切にしてないから勘違いしないようにな」と付け加えた。
(そうするとなぜだろうか???ひょっとして俺をここの次期所長にするとか!?)と逆にあれこれ考えてしまう。
まあ、明日以降特に細かく考えて働かなくてもいい点は安心したけど……
たり携帯カメラで写真を撮っている。確かにここの灯台は他の全国の灯台と比べても大きい方に
入る。なにしろ30mくらいの高さがあるからかなりの迫力だ。
現在では技術の向上により灯台は遠隔操作と自動制御になっているので無人化された。船の
航行に重要な機器が沢山あるので、今では灯台内の入り口は保安上厳重に鍵がかかっている。
その内部に義男はかつては仕事で入っていたのだった。
「おじいちゃん、この中は何があるの?」早速海斗が質問してきた。
「この中には一番上に海を照らす大きなレンズと電球。下には灯台の明かりを照らしたり消したり
する機械があるんだよ。また船に音で知らせる霧笛を動かす機械もあるんだよ」
義男は昔を思い出しながら語った。最初の頃は慣れない機械操作や点検にてこずったのだが。
前田さんに呼ばれて俺は灯台の前に行った。前田さんは緊迫した顔で、
「これから灯台の中に入って、点検する機器を案内する。室内は非常に狭く重要な機械が多いの
で取り扱いには十分気をつけること!」と指示を受けた。
前田さんは2重にかかっている鍵を開錠すると大きな扉を開けた。
室内は確かに狭かった。6畳に満たない電気室には生まれて初めて見る大きな装置が所狭しと
立っている。直方体の白い装置に沢山のスイッチやメーターやランプがついている。
「これは何ですか?」
初心者の俺は前田さんに質問した。
「ああ、これは『灯台制御盤』だ。この灯台のいわば心臓部で、灯台を点灯点滅させたり、異常を
通知したり停電時電源を切り替えたりするんだ」俺は何となく納得した。
「そしてその脇にあるのが『霧制御盤』といって霧笛を動作する装置。その隣が『蓄電池盤』と『直
流電源盤』だ。たとえ停電時の場合でも必ず灯台は照明を点さないといけない。その際に発電機
を始動する時に使うバッテリーだ。そして一番奥にあるのが『受電引き込み盤』で、電力会社から
の電気を引き込んで変圧する装置だ」
沢山の盤に囲まれた室内は盤から発生する熱で暖かかった。
奥の部屋には非常用発電機と周波数変換機がある。停電時でもランプを灯したり霧笛を鳴らし
たりできる装置だそうだ。
2階から上は吹き抜けになって長い螺旋階段が続いている。俺たちは息を切らしながら階段を
登っていった。最上階にある小さい窓から外を見ると辺り一面海と空と林。真っ青な太平洋はとて
も綺麗で素直に感動した。
そこには灯台のシンボルである大きなレンズと電球がある。今は昼なのでそれほど光力は強くな
いが夜になるとまるで昼間のようにこの室内は明るくなるそうだ。ランプは消耗品なので定期的に
レンズの点検やランプの交換があるという。その話になると前田さんは急に説明的になり、
「危険な高所作業になるのでレンズやランプの点検は絶対に一人では行わない事!」と俺に教え
えてくれた。一通りの説明を受けると俺と前田さんは灯台から出た。
明日からここが俺の職場となると不思議にやる気が沸いてきた。それと同時に(果たして船の安
全を守る仕事が俺に勤まるのだろうか……)と言う不安もあった。
10年間ここを職場としていた義男だが、この地を訪れるのは20年ぶりであった。
義男にとってここは「あまり訪れたくない場所」であったからだ。東京の本部勤務に戻っても、あ
えてこの灯台を管轄しない西日本の海域担当にしてもらったくらいの徹底ぶりだった。
今回の旅行も義男だけが最後まで行くのを反対していたのだから。けど「海斗に本物の海の豪
快さを見てもらいたい」という美佐江の言葉が彼の心に突き刺さり、渋々OKを出したのであった。
義男が最後にここを訪れたのは昭和59年にこの灯台が無人化される際の職員立会いとその後
のお別れ会に出席した時であった。過去にこの灯台で働いていた人もこの時ばかりは全員駆け
つけ、各種引継ぎ業務のあと灯台の入り口の扉を牛島さんが封印したのだ。
その時の情景が今でも義男の脳裏に焼きついている。
もちろん前田所長も来ているのかと辺りを見回した。
彼は義男の一番の理解者であり義男も彼を慕っていた。そのため前田さんにもう一度会いたか
ったからであった。過去のことのお礼を含めて……
けど、その時には前田所長の姿はなかった。義男は一瞬不安になった。
しかし他の職員から見れば前田所長は「鬼の前田」と言われ、何かと口うるさい人だったらしい。
石巻の割烹旅館で行ったお別れ会の際にも、参加した元職員が口々に
「前田所長に色々と口うるさく言われたのが嫌だった」、とか、「あの人は俺にとって最低の上司
だった」と罵声を言っていたのを覚えている。確かに灯台勤務だった頃も、いざ仕事となるとまる
で人が変わった様に厳しい人になると言う事は義男自身も知っていた。本当に「人に厳しく自分
に厳しい人」の典型であった。もちろん他の職員にも威厳の態度を取っていた。けどなぜ義男だ
けが不思議に彼に気に入られていたのだった……
前田さんは仕事となると急に厳しくなるから気をつけた方がいいぞ」
官舎の隣の部屋に住む川上さんが俺にこう忠告して来た。
俺は、「そうですか……」と受け答えたが、間髪を入れず、
「日常点検の時に変なボタンを押したり、ちょっとでも操作を間違えたりすると、『何バカなことをするんだ。船が進路を見失っ
てしまったらどうするんだ。船は灯台の灯だけが頼りなんだぞ。俺達は船員の命にかかわる仕事をしてるんだぞ!!』と、
まるで雷を脳天に落としたように怒鳴られるぞ」
川上さんは隣に聞こえるくらいの大声で俺にこう注意した。
確かに重大な仕事をしているから怒られて当然だとは思った。
俺は納得した。
同じような内容を牛島さんにも言われた。この灯台では「鬼の前田」と代々そう言い伝えている。
けれど俺は駅前の港で前田さんを見たときはそんな風には思えなかった。確かに大柄で力はありそうだが恐いという風には
思わなかったからだ。
もちろん人間であるからその時の状態や気分などの諸条件で人格ががらりと変わる人はいるので、それはそれで当たり前
なのかもしれないが……
同僚にそう言われるとさすがに俺も怯みはじめてきたのか、前田所長と一緒に仕事をするときはどことなく緊張して働く様
になった。
(仕事をミスると必ず雷が落ちる……)
俺は一つ一つの作業を慎重に行うようになった。もちろんそれによって仕事を早く覚えるようになったことは事実だが。
俺が前田所長に対して警戒し始めたのが察せられたかどうか分からないが、俺がここに来て3ヶ月目の日、 −それは丁
度非番の日で朝から官舎の自室で寝転がっていた− 夕方6時頃、突然玄関でノックをする音がする。
(この時間に行商人というのもおかしいし……誰だろ……)と思いながらドアを開けるとそこには前田さんが妙にニコニコ
した顔つきで立っていた。
「今日家内がカレーをたくさん作ったので、よかったら食べに来ないか?」
との事。ま、上司の言う事は従わないといけないだろうと思いながらも久しぶりにカレーが食べられるというので喜んで伺っ
た。前田さんの奥さんが作ったカレーはどこか懐かしい味がしておいしかった。
「ちょうど昨日仙台からいい肉が送られてきたから……」と奥さんもしきりにお代わりを勧める。
俺はお代わりを断ると前田さんは少し不機嫌な顔をした。
夕飯を食べ終わると「最近私に対する態度が妙だがどうかしたのか?」と早速質問してきた。
俺は口を濁らすと「ははあ、きっと川上か牛島がわしの悪口を言ったからか?」と矛先を変えてきた。俺は小さい声で、
「……そうです……」と答えた。
前田さんは「やはりそうだったか……最近お前の様子が変だったと思ったから……」と頷いた。
けどそんなことには全く怯まず、「外野がどうこう言っているが気にしなくていい。あいつらには適当に言わしておけ。俺は
お前をとても気に入っている。たとえ所長であっても変に気を使わなくていいぞ。もちろんお前が何かヘマをしたらきっちりと
叱るがな!」と前田さんは笑いながら大声で話した。
俺は安心していいやらおかしな気分になった。前田さんは他の従業員には容赦なく叱り、その為恐れられ、俺にだけは特
別親切にしている。今日のカレーでも他の職員には食べさせなかったし。
前田さんは俺を贔屓しているのか?それとも単に若年者を優遇しているのか?それとも?
そう思っているとすかさず、
「といっても別にお前のことが『好き』で親切にしてないから勘違いしないようにな」と付け加えた。
(そうするとなぜだろうか???ひょっとして俺をここの次期所長にするとか!?)と逆にあれこれ考えてしまう。
まあ、明日以降特に細かく考えて働かなくてもいい点は安心したけど……