1月3日
正月三が日と言うくらいであるのでまだまだ町は正月一色である。
ただ銭湯は初湯ということで営業が始まっている。もちろん子供相手の駄菓子屋も開
いている。
啓子も年始周りに出かけた。もちろん主婦なので回る先はそれほど多くなく、お世話
になっている町会長さんの家や子供の学校の知り合いとかである。
商店街を通っても人通りはほとんどなく店は皆閉まっている。
年末の慌しさがうそのようである。
春雄の年始周りと違うのは、やはり女性と言うことだけあって話が好きで、啓子も一
件目の町会長の家でも30分以上話をして、年始に行ったのだか世間話をしにいったの
か分からないくらいであった。
これは今も昔も変わらないかもしれない。
続いて行った家でも同じで、結局家に帰ったのは夕方であった。
息子は儀父さんと一緒に凧揚げをしたり竹馬をしたりして遊んだと言う。
夕飯を食べそれから銭湯に行った。
銭湯は元旦の早朝から【初湯】という形で開いていたが、本格的に営業を開始したの
は今日からである。
もちろん川田家でも今日が初湯である。皆さっぱりとしたところで家路に向かった。
啓子は「今頃春雄さんは九州に着いているかな?」と思った。
息子も「今年は楽しいお正月だった」と言った。
昭和30年代。
年末風景も正月風景も今とだいぶ違っている。
年末は慌しく、正月は時間がゆっくりと流れていた。しかし今では正月も普通の日と
変わらなくなってしまった。
果たしてこれでいいのだろうか?
日本人として生まれてきたのだから、原点に返りもっと日本人らしい正月を過ごす
のもいいと思う。
一年に一度だけの大切な行事なのだから。
【完】
参考資料:時刻表 昭和31年12月号 日本国有鉄道監修(日本交通公社)
「夕焼けの詩」西岸良平 著 (小学館)
「昭和の時代」伊藤正直・新田太郎 監修(小学館)
広辞苑第5版(岩波書店)
参考サイト:yahoo知恵袋
正月三が日と言うくらいであるのでまだまだ町は正月一色である。
ただ銭湯は初湯ということで営業が始まっている。もちろん子供相手の駄菓子屋も開
いている。
啓子も年始周りに出かけた。もちろん主婦なので回る先はそれほど多くなく、お世話
になっている町会長さんの家や子供の学校の知り合いとかである。
商店街を通っても人通りはほとんどなく店は皆閉まっている。
年末の慌しさがうそのようである。
春雄の年始周りと違うのは、やはり女性と言うことだけあって話が好きで、啓子も一
件目の町会長の家でも30分以上話をして、年始に行ったのだか世間話をしにいったの
か分からないくらいであった。
これは今も昔も変わらないかもしれない。
続いて行った家でも同じで、結局家に帰ったのは夕方であった。
息子は儀父さんと一緒に凧揚げをしたり竹馬をしたりして遊んだと言う。
夕飯を食べそれから銭湯に行った。
銭湯は元旦の早朝から【初湯】という形で開いていたが、本格的に営業を開始したの
は今日からである。
もちろん川田家でも今日が初湯である。皆さっぱりとしたところで家路に向かった。
啓子は「今頃春雄さんは九州に着いているかな?」と思った。
息子も「今年は楽しいお正月だった」と言った。
昭和30年代。
年末風景も正月風景も今とだいぶ違っている。
年末は慌しく、正月は時間がゆっくりと流れていた。しかし今では正月も普通の日と
変わらなくなってしまった。
果たしてこれでいいのだろうか?
日本人として生まれてきたのだから、原点に返りもっと日本人らしい正月を過ごす
のもいいと思う。
一年に一度だけの大切な行事なのだから。
【完】
参考資料:時刻表 昭和31年12月号 日本国有鉄道監修(日本交通公社)
「夕焼けの詩」西岸良平 著 (小学館)
「昭和の時代」伊藤正直・新田太郎 監修(小学館)
広辞苑第5版(岩波書店)
参考サイト:yahoo知恵袋