それを見て健一は(彼の行動はあのときの俺とそっくりだ。確かに顔つきも似てたし受け答えも
同じだ。……ひょっとして……)
その予想は見事に当たった。健一にかかっていた【正義バッジの力】は完全に無くなり、代わり
に息子を救った若者に正義の心が宿っていたのである。
どうやらあのバッジは日本中で一人にしか効力が発揮せず、新たな人がバッジを身につけた瞬
間今までつけていた人の効力が消えるのであった。おそらく電車で酔っ払いから恵美を助けた時
点にはすでにさっきの若者かはたまた別の人がバッジの力を発揮していたのだ。
(そうだったのか……)
健一はほっとした反面、正義の力を金で買ったあの若者の将来を不安視し始めた。
翌日病院に見舞いに行った健一は、病室のベッドで寝ている息子の顔を見て思わず笑みがこぼ
れた。「生きてくれて本当によかった……」医師の診断を聞いた恵美も「もう少し遅かったら手遅れ
になるところだった、って」
そう思うとあのときに救ってくれた若者の正義を改めて感謝し、同時にあのバッジの力を改めて
思い知ったのだ。
それから数ヵ月後。息子も無事に退院した。あれ以来危険な遊びをしなくなり落ち着きも見られ
夫婦ともども嬉しく思っている。息子を救った若者はあれ以来も【力】を発揮し、時々TVで彼の功
績ぶりが紹介している。
今日も電車のホームから落ちた老人を間一髪で救ったという報道がされていた。もちろんあの
クールぶりは健在で、マスコミも【正義のクールボーイ】などど最高の賞賛がされている。
そのニュースを家族で見ていて、「あの時息子を救った人だ!」と妻子が騒ぐ中、健一は(あま
り無理をするなよ・・・)と同じバッジを身につけた「先輩」として同情を禁じえなくなった。
となるとある一つの疑問が健一の頭をよぎった。
(あのバッジは雅藍堂で今でも売られているのか……)昔見た少年雑誌の広告を思い出し、健
一は自分ではじめて書いた郵便のあて先を思い出した。
(……東京都中央区日本橋蛎殻町……)中央区なら健一の会社から20分もしない。
彼は会社の帰りに雅藍堂がある日本橋蛎殻町に行ってみた。
地下鉄の半蔵門駅で降りた健一は周辺を散策した。するとビルとビルの間に古い商店がこじ
んまりと建っているのを見つけた。
古ぼけた看板には【趣味の雑貨 雅藍堂】と消えかかった文字で書かれている。この建物だけ
昭和20〜30年代がそのまま残っているような感じであった。
健一は思い切って雅藍堂の扉を開けた。薄暗い店内には古い雑貨類から骨董品の様な物まで
ありとあらゆるものが陳列している。
店内を物色していると、奥にあるガラスのショーケースの中に入った色とりどりのバッジが販売さ
れているのに気が付いた。
以前健一が通信販売で本を購入した際おまけでついてきた「正義」や、「精神力」「行動力」「氣
力」といったものから「愛情」「包容力」という変わったものまで売られている。
それぞれに1万円から2万円まで値段がつけられている。(これを買って身につけると人格が簡
単に変えられるのか……)
それを見かねたのか奥から初老の老人が客である健一に声をかけた。
「おや、これを気に入ったとはあなたもお目が高い。日本でも当店でしか販売されていない【正義
のバッジ】!最近はTVでも話題騒然。最後の一個だから特別に安くするよ!」
この言葉に健一はぎょっとした。すかさず店主に、
「いえ、結構です!」と言い、そそくさとその場から離れた。
健一はある種の恐怖に似た体験をした。またこのバッジを手にしたらまたあの忌まわしい過去に
戻る事になる。もう同じ失敗は二度と繰り返すまいと思い、健一はあわてて「雅藍堂」から逃げるよ
うに飛び出し、駅に向かった。そしてホームに到着した電車に乗り込み家路に向かった。
あれから改めて今までの出来事を振り返ってみた。そしてこういう結論に達した。
(やはり俺には「正義」はいらないものだったんだ。むしろ俺には「正義」なんて縁遠いものだった
んだ。ましてや「人格」を金で買う自体が無謀だったんだ。こんなバカなことは二度とやらない!)
こう決意した。
恵美との出会いのきっかけはゆくゆくは息子に教えるであろう。けど「あのバッジの【最後の力】」
という事だけは健一の心の中にとどめようと、心に決めたのであった。
……今思うに、実際終電車に乗っている時はすでにバッジの効力は無くなっていた。けれど俺自
身が生まれた時から持っている本当の【正義心】で酔っ払いに立ち向かったのだと。だからごく普
通に痛みを感じ、妻である恵美のやさしさに素直に感謝することができたのだから。
それでは子供のときに得たバッジの力を持ってなかったら本当にあの時酔っ払いに立ち向かえ
たのか?
おそらく答えはNOであろう。彼がバッジの力によって蓄積した数多くの功績の結果、他の人が困
っている場面に敏感に感じるようになったのであろう。だからこそバッジの力がなくなっても自分自
身の本当の力が発揮できたのである。そう考えるとあの時の行動は正しかったのである……。と
納得した。これなら息子にも自身を持って語れるな、とも思った。
結局はバッジの真の力は自分にとって一種のきっかけを与えてくれたものであって、全くの無で
はなかったのだと思った。というかそれに翻弄されていただけに過ぎなかった。
やはり人というのは、本当に必要な時にしか正義というものは生まれてこないのだということであ
る。そう、正義というものは自ずから湧き出てくるものであり、絶対に道具によって得るものではな
いのだから。
【完】
参考資料:西岸良平 「夕焼けの詩」(小学館)
広辞苑 第5版(岩波書店)
全国小型時刻表 1972年6月号(日本交通公社)
取材協力:埼玉県警
なお、作品中に登場する店「雅藍堂」は、藍川せぴあさんのHP「サクラボシ」で掲載されている小説「幻想骨董店『雅藍堂』」からお借りいたしました。藍川さん、どうも有難うございました!
同じだ。……ひょっとして……)
その予想は見事に当たった。健一にかかっていた【正義バッジの力】は完全に無くなり、代わり
に息子を救った若者に正義の心が宿っていたのである。
どうやらあのバッジは日本中で一人にしか効力が発揮せず、新たな人がバッジを身につけた瞬
間今までつけていた人の効力が消えるのであった。おそらく電車で酔っ払いから恵美を助けた時
点にはすでにさっきの若者かはたまた別の人がバッジの力を発揮していたのだ。
(そうだったのか……)
健一はほっとした反面、正義の力を金で買ったあの若者の将来を不安視し始めた。
翌日病院に見舞いに行った健一は、病室のベッドで寝ている息子の顔を見て思わず笑みがこぼ
れた。「生きてくれて本当によかった……」医師の診断を聞いた恵美も「もう少し遅かったら手遅れ
になるところだった、って」
そう思うとあのときに救ってくれた若者の正義を改めて感謝し、同時にあのバッジの力を改めて
思い知ったのだ。
それから数ヵ月後。息子も無事に退院した。あれ以来危険な遊びをしなくなり落ち着きも見られ
夫婦ともども嬉しく思っている。息子を救った若者はあれ以来も【力】を発揮し、時々TVで彼の功
績ぶりが紹介している。
今日も電車のホームから落ちた老人を間一髪で救ったという報道がされていた。もちろんあの
クールぶりは健在で、マスコミも【正義のクールボーイ】などど最高の賞賛がされている。
そのニュースを家族で見ていて、「あの時息子を救った人だ!」と妻子が騒ぐ中、健一は(あま
り無理をするなよ・・・)と同じバッジを身につけた「先輩」として同情を禁じえなくなった。
となるとある一つの疑問が健一の頭をよぎった。
(あのバッジは雅藍堂で今でも売られているのか……)昔見た少年雑誌の広告を思い出し、健
一は自分ではじめて書いた郵便のあて先を思い出した。
(……東京都中央区日本橋蛎殻町……)中央区なら健一の会社から20分もしない。
彼は会社の帰りに雅藍堂がある日本橋蛎殻町に行ってみた。
地下鉄の半蔵門駅で降りた健一は周辺を散策した。するとビルとビルの間に古い商店がこじ
んまりと建っているのを見つけた。
古ぼけた看板には【趣味の雑貨 雅藍堂】と消えかかった文字で書かれている。この建物だけ
昭和20〜30年代がそのまま残っているような感じであった。
健一は思い切って雅藍堂の扉を開けた。薄暗い店内には古い雑貨類から骨董品の様な物まで
ありとあらゆるものが陳列している。
店内を物色していると、奥にあるガラスのショーケースの中に入った色とりどりのバッジが販売さ
れているのに気が付いた。
以前健一が通信販売で本を購入した際おまけでついてきた「正義」や、「精神力」「行動力」「氣
力」といったものから「愛情」「包容力」という変わったものまで売られている。
それぞれに1万円から2万円まで値段がつけられている。(これを買って身につけると人格が簡
単に変えられるのか……)
それを見かねたのか奥から初老の老人が客である健一に声をかけた。
「おや、これを気に入ったとはあなたもお目が高い。日本でも当店でしか販売されていない【正義
のバッジ】!最近はTVでも話題騒然。最後の一個だから特別に安くするよ!」
この言葉に健一はぎょっとした。すかさず店主に、
「いえ、結構です!」と言い、そそくさとその場から離れた。
健一はある種の恐怖に似た体験をした。またこのバッジを手にしたらまたあの忌まわしい過去に
戻る事になる。もう同じ失敗は二度と繰り返すまいと思い、健一はあわてて「雅藍堂」から逃げるよ
うに飛び出し、駅に向かった。そしてホームに到着した電車に乗り込み家路に向かった。
あれから改めて今までの出来事を振り返ってみた。そしてこういう結論に達した。
(やはり俺には「正義」はいらないものだったんだ。むしろ俺には「正義」なんて縁遠いものだった
んだ。ましてや「人格」を金で買う自体が無謀だったんだ。こんなバカなことは二度とやらない!)
こう決意した。
恵美との出会いのきっかけはゆくゆくは息子に教えるであろう。けど「あのバッジの【最後の力】」
という事だけは健一の心の中にとどめようと、心に決めたのであった。
……今思うに、実際終電車に乗っている時はすでにバッジの効力は無くなっていた。けれど俺自
身が生まれた時から持っている本当の【正義心】で酔っ払いに立ち向かったのだと。だからごく普
通に痛みを感じ、妻である恵美のやさしさに素直に感謝することができたのだから。
それでは子供のときに得たバッジの力を持ってなかったら本当にあの時酔っ払いに立ち向かえ
たのか?
おそらく答えはNOであろう。彼がバッジの力によって蓄積した数多くの功績の結果、他の人が困
っている場面に敏感に感じるようになったのであろう。だからこそバッジの力がなくなっても自分自
身の本当の力が発揮できたのである。そう考えるとあの時の行動は正しかったのである……。と
納得した。これなら息子にも自身を持って語れるな、とも思った。
結局はバッジの真の力は自分にとって一種のきっかけを与えてくれたものであって、全くの無で
はなかったのだと思った。というかそれに翻弄されていただけに過ぎなかった。
やはり人というのは、本当に必要な時にしか正義というものは生まれてこないのだということであ
る。そう、正義というものは自ずから湧き出てくるものであり、絶対に道具によって得るものではな
いのだから。
【完】
参考資料:西岸良平 「夕焼けの詩」(小学館)
広辞苑 第5版(岩波書店)
全国小型時刻表 1972年6月号(日本交通公社)
取材協力:埼玉県警
なお、作品中に登場する店「雅藍堂」は、藍川せぴあさんのHP「サクラボシ」で掲載されている小説「幻想骨董店『雅藍堂』」からお借りいたしました。藍川さん、どうも有難うございました!