それから数年後、宏子は立派に成人した。
 兄から時々宏子の元に手紙が届いている。思えば中学の時から月に1.2回手紙のやり取り
をしているだけで実際に会っていない。
 たまに同封されて来る写真だけが兄の様子を垣間見ることができる唯一のチャンスであった。
 昭和も40年代になると幾らか食事情が改善され、以前よりも高価な食事を口にする事ができ
た。宏子の家でも肉料理もたまにではあるが食卓に上がるようになった。
 けど赤いウインナーだけは宏子の好物として君臨し続けていた。もうこの頃になると赤いウイン
ナーは主菜の座から副菜にまで降下してきた。けど宏子の家庭では食卓によく登場する食材に
は変わりはなかった。
 それから数年後宏子は結婚した。結婚を決める前までは料理は得意ではなかったが、次第に
料理の腕が上達してきた。
 結婚して数ヵ月後、宏子は旦那に弁当を作るようになった。もちろんそこにも赤いウインナーは
活躍していた。旦那もご飯中心よりもおかずが多い弁当の方が好きな人だったので宏子の作る
弁当に不満も全く言われないだけでも嬉しかった。
 弁当を持ち始めて半年後、夕飯を食べ終えた後に旦那が、
「今日弁当を食べていたら同じ課の女性社員に『赤いウインナーがかわいく切ってあるね、これが
本当の愛妻弁当だね』って褒めてくれたよ」
 宏子はこの言葉を待ち望んでいた。私が心を込めて作った弁当を旦那もそして同じ課の人も褒
めてくれた……。これだけで幸せであった。
 宏子はその後も赤いウインナーを弁当に入れ続けた。けど時代が進むにつれ、食の多様化と製
造技術の進歩で冷凍食品等の便利でおいしい食材が出回るようになると、その回数もだんだん
少なくなっていった。
 時は平成の時代になった。宏子もすっかり1児の母親だ。平成の世は昔の食糧難の時代を忘れ
たかのように【グルメブーム】と言われ世界一の飽食国家になった。もはや赤いウインナーをご馳
走だと言う人は誰もいなくなった。もちろん背景には肉料理をはじめ美味な料理が街中や食卓に
溢れ、そこそこの予算でも手軽に高級料理も味わえるようになったからである。
平成元年のある日、宏子は近所のスーパーに買い物に出かけた。いつも店内に置いてあった宏
子の好物である赤いウインナーの姿は消えてしまったのだ。
 昭和の終わり頃から【健康食品】【食の安全】が話題になり、添加物のたくさん入った食品が姿
を消し始めていた頃であった。合成着色料や発色剤で赤く【化粧】されたウインナーは人気がなく
なり、安価な商品に限定されるようになった。それと入れ替わりで、安全な天然素材を使い自然
の造りを追求したソーセージが出回り始めていた。確かに昔も高級食材としてあるにはあったが、
この頃は庶民の手に届く値段でも天然素材で安全なソーセージが販売されるようになった。
 けど宏子は添加物を使わないソーセージより安い赤いウインナーを好んで買っていた。もちろ
ん値段が安いとの観点ではなく、ただ単に宏子が小さい頃から好きなだけなのだが……。
 しかしその考えも、大きく転換せざるを得なくなってきたのであった。
 ある夏の日のことだった。高校一年の娘が今にも泣きそうな顔をして家に帰ってきた。訳を聞く
と、同じ高校の友達に、昼食時に弁当に入っているウインナーを見るや否や、
「このソーセージ、真っ赤で気持ち悪〜い!!」とさんざんバカにされたとの事。
 宏子は(高校生になると派手な色の食材は受けなくなってしまったのか……)と思い、反省した。
 確かに宏子の小さいと時分はおいしく食べられることが第一で、栄養や食品の安全に対しては
二の次だった感があった。食糧事情が悪かったである意味体に良くないと云いながらも添加物を
使わないと食品として成り立たないという事情もあるにはあった。けど皮肉にもそれが庶民の食欲
をそそっていたのも事実である……それが今は食品公害が蔓延した過去の反省から、段々と天
然や自然の食料を求めるようになってきた……。
 時代の変化は確実に変化していることを肌で感じた宏子であった。
 赤いウインナーに対して色々な思いがあった宏子も、長年会っていなかった兄に再会するとなる
と話は別であった。
(兄の大好物だった赤いウインナーをおなかがいっぱいになるまで食べさせたい)という気持ちが
強まった。
平成17年になると平成の初めの頃よりもさらに食生活が良くなってきた。高級素材も簡単に手に
入り、更に世界の料理も日本に居ながらにして味わえるようになった。
 その時代に逆行するようだが宏子には赤いウインナーだけは特別の思い入れがあったのだ。
 兄と再会すると言う当日の午前中、宏子は早速兄に食べさせる赤いウインナーを買いに町に出
かけた。市内のスーパーをあちこち捜し求めて、3件目の店でやっとの思いで昔ながらの真っ赤
なソーセージを購入した。
 家に帰って袋を開けると、健康に対する配慮からか、昭和30年代の時の物と比べて確かに色
は鮮やかではなくなっているが、確かに赤い。
 宏子は昔良く家で料理していたのと同じように油で軽く炒めた。そして買ってきた5袋全部調理
し、小ぶりの皿に盛った。
「こんにちは!」兄が初めて浜松にやってきた。10年も顔を見てないと懐かしくなって宏子は涙を
こぼし始めた。
 年齢というものは残酷なもので、前回見たときよりも格段に老けてきた。それは時代が過ぎた
事だから仕方ない。自分だってもうすぐ60歳の壁に近づいているのだから。
 久しぶりの再会で積もる話もあるので、ということで兄を早速居間に通してあげた。そして2人で
思い出話に花を咲かせた。
 時はあっという間に過ぎていき、そして夕飯の時間がやってきた。
 食卓に出前の寿司と買っておいたオードブルの容器の隣に山盛りにした真っ赤なソーセージの
皿を並べた。
 兄が赤いウインナーを目にすると、
「懐かしいな!あの日の事をまだ思っていたんだ」と笑いながら語っていた。
 兄にとっては赤いウインナーは久しぶりであった。宏子と同じように兄も好物だった。実際のとこ
ろ、昭和30年代、当時の子供たちは赤いウインナーは誰でも好きなのであるが。
 兄は、両親の離婚後暫くは、父との約束通りに赤いウインナーを独り占めして食べる事ができ
た。兄は妹にやいのやいの言われる事もなく食べられるだけで幸せだった。
 けど兄の幸せは長くは続かなかった。中一の時、父の会社が倒産し収入が途絶え、満足に食
事もできなくなる日が続いた。ご飯と味噌汁と佃煮だけの日もあった。
 父が再就職して生活が立ち直った頃には、食料が安定にかつ安価に手に入るようになり、それ
と同時に野菜や鶏肉や魚等が石田家の食卓に多く出るようになった。
 「赤いウインナーは子供の食べるものだ」と云う父の食に関する考えから食卓にほとんど出なくな
ってしまった。それ以来(赤いウインナーをまたたくさん食べてみたい)と思うようになった。
 結婚してからも「男は厨房に入るものではない」と教えられてきた以上自分で買ってきて調理す
るのもはばかれる。そのためずっと赤いウインナーを食べられないでいたと云う……。
 その話に宏子も旦那も娘も思わず沈黙してしまった。
(こんなに苦労をしたんだ……)兄の話を聞いて宏子は恥ずかしくなった。
(あの時喧嘩しないでお兄ちゃんに赤いウインナーを食べさせればよかった……)と思うと少し後
悔した。
 兄は離婚して好きなウインナーをたくさん食べられるだろうと思った予想を裏切られ、好物であり
ながらほとんど食べられなかった悔しさや悲しみ。それに引き換え私は浜松で裕福な家に住み、
おまけに赤いウインナーをずっと食べ続けている。
 そう思うと運命というものは兄弟とも云えども本当にどうなるかわからないのだなと思う宏子であ
った。だからこそ久しぶりに食べる懐かしい味わいの赤いウインナーを思う存分食べている兄の
眼には涙がこぼれている。
 一種の罪滅ぼしになるかもしれないけど、宏子は本当に兄にいい事をしたな、と思った。
 そして宏子も当時の苦い思い出、学生時代の優越感、そして現代の食生活の変化のことを思い
ながら久しぶりに食す赤いウインナーを兄とおいしそうに食べるのであった。
【完】
参考サイト:食品添加物の正しい理解 http://www.shokusan.or.jp/hyakka/ safety/addition/
参考資料:交通公社の全国時刻表 1963年10月号
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