ちょっとそこまで、1985

 昭和38年8月、埼玉県南部のとある町。
 特ににぎやかな町でもなく、かといって田園地帯でも山間部でもない、ありふれた住宅地。
 真夏なので、セミの鳴き声があちこちで聞こえる。各家々の塀には沢山の植物が葉を青々と
広げ、十分に太陽の光をを浴びている。舗装されていない道路なので、地面はそれほど熱されず、
気温が高くても、じとっという湿気はそれほど感じない。
 この町に住む中学3年生の堀口和明さん。中学生活最後の夏休みを楽しく過ごしている。
 昭和30年代は、全国的に見てもまだまだ受験戦争に本格的に突入してなかった。事実高校進学
率は7割弱で、色々な理由から中卒で就職をする人もいた。
 和明は高校進学を望んでいる。しかし比較的成績が良いのでまだ受験勉強はしていない。と言
うか、今は暑くて堪らないので秋が来て涼しくなってから本格的にがんばろうと思っているのだ。
 夏休みに入り10日過ぎた。小学生のように道端での遊びや、川遊びや野原で虫取りとかいう、子
供じみた遊びは卒業した。プールで泳いだり、部活動をしたり、サイクリングをしたり、友人と木陰で
休んだりと、それなりに有意義な毎日を過ごしている。
 ある日、和明がのんびり町内を散歩していると、何箇所かで田んぼが埋められて、住宅地になっ
ているのを眼にした。
 ふとある事を考えた。今現在は何も無い農村であるが、これからもこの状態が続くのかどうか?
高度成長時代と言われた昭和30年代も後半に入り、都心の近郊では自然がどんどんなくなり、宅
地化が急速に進んでいると新聞やラジオで聞いた事がある。
 埼玉は東京のすぐ北に位置している立地上、自分の町もいずれかは発展するに違いない。
 この町は鉄道が走っていないので、交通機関はバスのみだし、日常品を扱う商店街もそれほど
大きくは無いので、この町でこれからずっと生活するには、いつかは不便になるだろう。
 そうなると今よりも少しでも生活環境が都会並になり、自分の町が賑やかになると言う事は嬉しい
事だ。けれど、のどかな田舎の風景が無くなってしまうのもどうかと思う。
 もちろん、今の風景が数ヶ月で劇的に都会化するわけでもなく、日常生活が便利になるわけでも
ない。所詮は自分が大人になってからの話である。【夢の時代】と言っている21世紀も、冷静に考え
ると今から38年後だ。和明も53歳になっている。
 当時は【人生65年時代】と言われていた為、何事も無ければ21世紀まで生きられる。
 できる事なら、今この目でこの町の将来の姿を見てみたいものだ。
 だが、こんな夢のような話は所詮絵空事だ。過去や未来に自由に行き来出来るのは、空想科学
物語の中の世界だけだ。

 8月1日の昼、和明が自宅の自室で寝転がっていたら突然甲高い金属音とともに部屋中に眩い
閃光が走った。
 (一体何が起きたんだ??)
 和明が振り向くと、そこには見慣れない服を着た人が立っていた。
 この部屋に勝手に上がって来たにしては唐突過ぎるし、どこか様子がおかしい。
 当たり前であるが和明は不審に思い、
「あなたは誰ですか!勝手に僕の部屋に上がってきて、一体何事ですか?!」と叫んだ。
 その人は最初は何が起きたのか全く意を得ていなかったが、暫くして状況が掴みとれたのか、
「いきなりやってきて、お騒がせしてすみません。私は23世紀からタイムトラベルしてきた高校生
です。夏休み自由研究の資料集めをする目的で、江戸時代に行こうとしたところ、装置の入力ミス
で20世紀に来てしまいました……」
 (何なんだ!未来人が突然やってきたのか?!ひょっとして僕は夢でも見ているのか?)
と疑ったが、夢でも幻でも何でもない。
 未来人は腕に装着した腕時計状のタイムトラベル装置を見ると、
「どうやらここは1960年代の埼玉県ですね。200年位前の2005年頃に、1960年代の日本の生活
が一種のブームになっていたとインターネットに記載してたのを目にした事があります。まあ、私の
時代になるとさすがに当時を懐かしむ人は減りましたが……」
 和明には未来人の言葉の節々に、意味が分からない単語があったので理解に苦しんだ。しかし
未来の学校も夏休み自由研究があると言う事には、どこと無く微笑ましいし共感を感じる。
 しかも未来人の話を掻い摘むと、未来の日本では今僕が居る時代が流行しているとの事。そう考
えると何だか不思議な感じすらも覚えた。
 和明がはにかんでいると未来人は、
「少なくともあなたを混乱し邪魔してしまったことには変わりないので、お詫びとしてあなたを未来の世
界に連れて行ってあげましょう。ただし【タイムトラベル条例】によって過去の人間の時空移動は【50年
後まで】と決められています」
と話した。それを聞いて和明は舞い上がるような思いになった。何しろ空想の世界しか出来なかった
【未来】に行く事ができるのだから!
 和明はたとえ50年後でも未来には変わりない。100年後・200年後の未来に行っても、自分が死ん
だ後の世界には興味が無いし、それを知ったからと言って自分の将来が得になる訳でもない。
 今から50年後となると2013年か……。日本はどれだけ変わっているか?もしかして、小さい頃漫画
で見た未来都市のようになっているのかな?と思った。あまよくば【日本の未来】というタイトルで夏
休みの自由研究の題材になりうる。
 あれこれ考えていたが、未来人からの返答は意外なものであった。
「只今21世紀へのタイムトラベル路線が混雑していまして、現在では1985年までならスムーズに移
動が出来ます」
との事。
(まあ、1985年でも22年後か。未来へ行くには十分すぎる年代だな)と感じた。
 和明は了承した。未来人はタイムトラベル装置の液晶画面に〔1985.8.1〕と入力した。
そして未来人は和明と手をつなぎ、装置の〔GO〕ボタンを押した……。

 和明と未来人は1985年の埼玉県に着いた。和明はあっという間に時空移動をしてしまった23世
紀の科学技術に感心した。
 気がつくとどこかのトイレの中にいた。自分が立っている場所が段差のある和式便器の上なの
ですぐ分かった。
 未来のトイレはやはり水洗式だ。昭和30年代では、ようやくデパートや団地で水洗トイレが設置
し始めたころであり、汲み取り式トイレの家に住む者にとっては羨望の設備なのは間違いない。
 しかし、なぜ未来のタイムトラベル先がトイレなのか?と疑問に思った。これではまるで、【殿様の
お忍び】の様だ。
 その理由を未来人に尋ねると、
「理由は簡単。人通りの多い所で突然前触れも無く人間が沸いてきたら誰もが不思議に思うし、
場合によっては怪しまれる。私達の存在がマスコミに知られたらたまったものではない。その為
人目のつかないところでタイムトラベルするのさ」
 確かに理にかなっている。数分間前に僕が体験したことを街中で行ったら、絶対にパニックにな
るに違いない。
 2人はトイレから出た。ここはどうやらスーパーマーケットみたいだ。
 昭和30年代も個人商店から発展した小規模のスーパーマーケットはあったが、まだまだ少数派
なのが実情だ。これが22年後には品揃えも豊富な大規模なスーパーマーケットができているのだ。
 しかもこのスーパーマーケットは8月でありながら涼しい。まるで春か秋のような温度だ。
「多くの商店ではクーラーが設置しているので夏でも暑くありません」
 と未来人は教えてくれた。昭和30年代は大きなデパートしかクーラーが無かった。この勢いだと
いつかは各家庭にもクーラーは普及するだろうと思った。
 明るい店内を見渡すと、売られている商品も確かに昭和30年代には無いものが多い。袋詰め
になっているカレーやカップに入っているラーメン、冷凍になっているコロッケ、色鮮やかな飲料
水……どれもごく普通に売られている。
 和明にとっては漫画の中でしか見た事の無い未来の食品を見ただけでも感動した。
 すると買い物をしていたおばさんが、和明と未来人を見て不思議がって、はっきりと遠巻きをし
ている。
 傍から見ると和明の言動は奇異に見えるのだろう。確かに過去から来た人間なので仕方の無
い事なのであるが。
 それに見かねた未来人は、
 「2人で行動するのは不自然だ。夕方までこの周辺を自由に散策して構わない。……と、その前に……」
と言うと、未来人はポケットからイヤホンを渡した。
 和明は、イヤホン自体はトランジスタラジオに使われているので形は知っているが、イヤホンにつ
きもののコードが無い。多分これは未来の商品だと思いながら、
「これを耳に差し込むと私の声が聞こえるから、困った事や分からない事があったら教えてあげます」
 半信半疑で耳にイヤホンを差し込むと、本当にコードがないのに声が聞こえる!原理は良く分らな
いが、人を過去や未来に行ける技術があるなら、この程度は簡単なのかな、と思った。
「それとこれがこの時代のお金だ。条例によりお金と買った商品は過去に持って帰れないので、気を
付けて下さい」
 と言い和明にイヤホン型の通信機とお金を手渡すと、未来人は先にスーパーから出た。
 独りになった和明は、未来人からお金を貰ったので、気になった商品を購入する事にした。
 そう言えば、今日は朝食を食べただけで何も食べてない。丁度小腹がすいたので、数多い商品の
中からカップラーメンとスポーツドリンクを選び、レジに向かった。
 レジは購入した商品の金額が表示する新しい型式であるが、清算の仕方は昔と変わっていない。
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