第10節 パープルの代わり
  
   六本木にあった喫茶店、パープル。安達家の所有物件でもあり、メンバーの溜まり場でもあった店。再開発工
  事により、店を取り壊し、別のところに移転するという決断をした。
   あれから2ヶ月。すでに店は跡形もなくなり、更地になっている。おそらくあと半年もしたらここに大型ビルが建
  つのであろう。
   メンバーも高校入学時からお世話になっている人も居て、名残惜しいと言う気持ちでいっぱいらしい。
   引っ越して日が浅い悟としても、アルバイト先でもあるパープルに、それなりに長い時間過ごしていたので、そ
  れなりに思い出もある。
   唯一の心残りは、2階にある個室で「同伴喫茶ごっこ」ができないまま閉店した位か。まあ、これは男であれば
  少なからずそういう邪な心は持っていて当然だとは思うが。
  
   パープルがない現在、放課後のメンバーの溜まり場は、岡村家になぜか知らないうちに決まってしまった。確か
  にあのときに、「ここを我が家だと思っていいからね」という母の言葉が今でも引きずっているのかは不明だが。
   以前から何回かメンバーも立ち寄っているし、悟や沙奈にしてもいつもの仲間と帰宅しながら話ができるのだか
  ら楽といえば楽だ。
   それに、以前一時的に使っていた早瀬さんが独立して、鍵のかかる2階の一間が空いているので、そこを溜まり
  場として使えば、一応プライバシーも保てる。
   今日も男性陣が、遠慮もなしに岡村家に上がりこんだ。
  「ただいま」と「こんにちは」と「お邪魔します」がごっちゃになって家に響く。
   佳宏と幸親と圭が、母に向かって軽く会釈するとすぐさま2階へあがる。どう見ても小学生の子供が遊びに来た様
  な雰囲気だが、母はもう慣れっこになっている。こういう流れは承知なので、茶も菓子も出さずに居間に戻る母。
   2階の個室。いつものように、見る気のないTVをつけると、佳宏が開口一番、
  「そういや、パープルの移転先が赤坂に決まったらしいぞ!」
  「本当か?」
   悟が答える。六本木からは少し離れるが、そんなに遠くではない。とりあえず六本木から離れた場所でなくてよか
  ったと安堵する悟。
   ちょうどその時、沙奈からメールが届いた。
  〔これからアヤちゃん達と、家で借りてきたばかりのDVDを見たいんだ〕
   悟は、
  「沙奈と千代田さんとでDVDを見たいから、ここを出てけって」
  「ま、いつも男達でこの部屋を占領しているんだから、たまにはいいんじゃない?」
   珍しく幸親が同意する。すかさず、
  「ほんじゃ、ま、ここは引き下がって、近所のコンビニで何か買いに行こうではないか」
   お腹がすいたのか、圭が提案したのはいつもの間食の話だ。
  「おっと、その前に」
  佳宏は、DVDの取り出しスイッチボタンを押し、ずっと入れたままにしてあった裏DVDを取り出し無造作に自分のかば
  んの中に入れた。
   「ずっと入れっぱなしだったんか!」幸親と悟が驚く。
   部屋の整理が終わると、男性陣は近所のコンビニへと足を運んだ。それと入れ替わりに女の子3人が岡村家に上が
  りこんだ。
   彩華とほのかは母に挨拶をすると、
  「いただき物ですが……」
   と梨の入った手提げ袋を差し出した。母は初物の梨をいただき笑みを浮かべた。
  「いつも悪いですね……ごゆっくり」
   と言いながら居間に入る母。
  「やっと借りられたね」
  「3ヶ月待った甲斐があったよ」
   そう言いながら、さっきまで裏DVDソフトが入っていたデッキにセットし、女性達はレンタル開始された話題作の映画
  を鑑賞し始めた。
   しかし、そういうときに限ってゆっくりと映画を見ることができないものでして……。
  
   10分後、玄関からチャイムがする。一階には母が居るはず。と、沙奈は思った。しかしチャイムの音は止まない。
  (もしかして買い物にも出かけたのかも?)と思い、沙奈は玄関を開けた。
   すると知らないおじさんが立っていた。
  「あのー。私、大江戸新聞の者ですが……」
   その人は新聞の勧誘員だった。すぐさま母がトイレから出てきて、
  「新聞契約は間に合っているんで……」
   とかわした。しかし勧誘員は聞く耳を持たないのか、
  「今週は特別勧誘促進期間なので、サービスは山ほど用意してあります。洗剤1箱にビール詰め合わせ、そして百貨
  店の商品券も……」
   完全に勧誘員の口車に乗せられている。母と勧誘員とのやり取りをただただ呆然と見る沙奈。
   母は勧誘員にタジタジしている雰囲気だ。それに付け込んでか、勧誘員は、手に持っている集金袋から5000円札
  を出して、
  「3ヶ月でもうちの新聞を契約をするなら、こちらも差し上げましょう。更にサービスで1ヶ月は購読料は無料にしてあ
  げます……」
   10分間は続いただろう。階段から彩華とほのかもその勧誘風景を見ている。
   やはりと言うか、母は勧誘員の口八丁手八丁を無言のテクニックで振り切り続けると、勧誘員は万策尽きたのか、
  景品を両手に抱え込み岡村家を後にした。
   その様子を見て3人は唖然としてしまった。景品で散々えさをまいて、最後にはお金までちらつかせる始末……。
   沙奈は、母に向かって、
  「さすがだね。景品にも眼をくれずに勧誘員を追い払ったね!」
   すると、
  「こんなのなら北海道に居たときから日常茶飯事だったわ。中には2人連れで役割を決めて言葉巧みに勧誘したり、
  押し売り同然で勧誘したり。さっきのはまだまだ甘ったるいほうね」
   母の話を聴いて、更に唖然としてしまった。
   なんだか熾烈な大人の世界を垣間見てしまった3人。そうなると映画のストーリーがどこと無く平べったいものに感
  じてしまい、せっかく借りた映画の魅力が薄れてしまった。
  「まあ、サナちゃんのおばさんと新聞屋さんの壮絶なバトルを見ただけでもよかったって言うもんさ!」
  言ってくれたのがせめてもの救いだった。
  
   翌日の教室。沙奈はいつものようにだべっている男達に、昨日の出来事を話した。
   すると、案の定唖然としたのは言うまでも無かった。
  「まるでインターネットのプロバイダみたいジャンか!」
  「これじゃあ、客は3ヶ月間無料で新聞を読んでください、って言うことと同じじゃあないの!」
  「勧誘がこんなにまで激しいとは……」
   次々につぶやいていると【真打】の桜子が話に加わった。新聞の話題となると、本職の人間が黙っていられない。
   桜子はすぐさま、
  「新聞業界は、昔から競争が激しいことで有名ですが、金まで渡すなんてはじめて聞きましたわ。それだけ新規顧客
  を掴むに為は金に糸目をつけなくなったのでしょう……」
   桜子の目はいつもより真剣になっている。彼女も新聞店に勤めている身として、お客さんが減ることを何よりも恐れて
  るのであろう。けど結局は、
  「どんな世界にしろ、お客さんを新たに見つけるのって、大変なんだな……」との言葉。
   改めて大人の世界の大変さを高校生なりに痛感させられたのであった。
  
  【続く】
  
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