第7節 パープル移転?

 9月下旬のある日、悟がいつも通りにバイト先である喫茶店【パープル】に入ると、カウンターにいつも居る
はずのマスター・村崎さんの姿がなかった。
「村崎さん、今日は休みですか?」
 悟の問いかけに答えた村崎さんは、窓際にあるテーブルに座っていた。
「今日は、ワシの都合で、夕方5時から開店にする。……いやあ、ちょっと困った問題が出来てしまって……」
いつもより元気がないのが悟でもすぐに分かる。
「一体何があったのですか?」
「実は、今日、東京都の職員がこの店に来たんだ。客としてはなく、ある事を報告しに来たんだ」
と 言い終わると、テーブルに置いていた手紙を悟に見せた。
 その手紙には、【六本木地区再開発計画実施について】と書かれた文面だ。
「都の事業の一つとして、付近の建物の老朽化が進んでいる六本木の一部地区を再開発する事業が始まる
んだ。この店がある周辺の店や建物を取り壊して、跡地を大きなショッピングビルにするとの事」
「そうなると、この店も新しくできるビルのテナントとして入れるのですよね?」
 けど、村崎さんは、その事について難色を示しているらしい。テナントとして入れるなら、それに越した事が
ないと考えていた悟には意外な答えだった。
「そりゃ、この店は、ワシが若いときからここで営業したんだから……」
 こういう話をすると、俄然村崎さんの舌は勢い良く回る。
「この場所で、ワシの父が【桃屋食堂】と言う名前の外食券食堂をしていた頃から、同じ建物を使っていた。
昭和40年代にこの店を父から譲られ、喫茶店に改装した。もちろんこの店の外観と佇まいが好きで、
一度も改築はしなかった。そんな店だから愛着は人一倍ある。もちろんここは六本木の中でも一等地である
から、以前から不動産や建設会社から、『この土地を売ってください』という依頼が何度もあったが、どんなに
高い金額を示されても、すべて断った」
 その言葉に、悟も村崎さんの心意気と店に対する思い入れは強いものだと確信した。
「この店には、村崎さんにとっての昭和が詰まっているのですね」
「そうだ。だからビルの一部分として入りたくないワシの気持ちは分かるね」
「お気持ちは分かります。だけど、確実にここからは撤退しないといけないのですよね」
 村崎さんは、ひとつ大きなため息をつくと、
「そこなんだよ。この文面にも都の命令とまでは書かれていないものの、半ば強制的に再開発工事をするよう
な感じなんだ。しかも回答期限の日も近づいている。どうしたらいいのか、迷っているんだ」
 悟もため息をつく。その時村崎さんは何かを思いついたみたいで、
「そういえば、この建物は、あんたの友人の安達さんのものだったよね。撤退するにしろテナントに入るにして
も安達さんの許可が必要になってくるな……」
 悟は、以前佳宏からそんな話を聞いた事がある。しかも実質的な管理は彼の母が多忙なことから、佳宏が
行っているということも。
「それなら、今携帯で聞いているよ」
 電話をかけると、すぐに佳宏とつながった。悟はパープルの件をざっと話すと、
「この話は、村崎さんからも以前聞いたことがある。店をどうするかの事だろ?その事ならお袋も『自由に決め
ていい』と言われた」
「そうなんだ。安達君にも情報は入ってきているんだ。…で、この件についてどうするの?」
「パープルは、オレ達メンバーにとっても大切な場所。明日学校かパープルで話し合うとしますか?」
「それはいい。きっと村崎さんも喜びますよ」
 電話を切るなり、悟は村崎さんに、
「安達君も結構軽々しく言っていたけど、店をどうするかという大事な案件を、僕達みたいな高校生が勝手に決
めてもいいの?」
と質問した。けど、村崎さんは動じず、
「以前から安達様には信頼をしています。しかも御友人の伊勢様の親御さんは国会議員をなされている方。少な
くとも普通の人よりは安心できます。もちろん依頼するのは、移転するかテナントして入るかの事と、移転した場
合の移転先などの事で、登記とか書類関係はワシの方で行う。若者ならではのアイディアを待ってる」
 そう言い終わると、村崎さんは手紙をたたみ、指定席であるカウンターの中に入った。

 翌日の麻布が丘高校。
 3年B組の教室で、悟は昨日のことをメンバー全員に話した。事実を知っている佳宏以外が一斉に驚いた。そ
れもその筈、メンバーが学校以外で談笑したり打ち合わせや勉強、そして小パーティーや賭けマージャンをする
にもパープルは貴重な場所であった。そこが存続の危機にあっているということを聞くと、居てもたっても居られ
なくなり、何とかしてあげたいと思うのは本能に近い感情であろう。
「でもって、パープルの今後をどうしようかという相談なんだけど……」
 普段空気を読めない佳宏が、珍しく空気を読めたのか、
「学校では人の眼がある。ここは放課後パープルに行って、じっくり考えるのはどうか?」
「賛成!」
「異議なし!」
 放課後、8人はいつものルートでパープルに向かう。
 六本木の町の中でひときわ異彩を放つパープルも、そろそろ見納めになるのかと思うと、なんだかいとおしくな
り、めいめい店の外観を携帯カメラで撮っていた。まあ、さすがに店の前で集合写真を撮るのは恥ずかしいので
やらなかったけど。
「こんにちは〜!」
 一斉に村崎さんに挨拶をする8人。
「おお、みんな良く来てくれた。2階に珈琲が用意しているから」
 との声を聞くと、みな階段を上った。
 2階の手前の部屋に入った。部屋の中は長椅子が部屋幅いっぱいに置かれていて、その間に小さいテーブル
が数個セッティングされている。
 佳宏は、さも何でも知ってそうな顔つきで、
「この部屋は、昭和60年ごろまで【同伴喫茶】として使っていたんだ。この名残でここはそのままにしてるんだ」
「同伴喫茶って何ですか?」物をあまり知らないほのかが佳宏に質問する。
 佳宏は、某アナウンサーのような口調で、
「いい質問ですね。同伴喫茶というのは、今で言うところのハプニングバーの一種で、カップル同士がこの部屋で
イチャイチャしたり、アンナコトやコンナコトをしたり、はたまた見知らぬカップルとも……」
 と説明しながら、隣にいる彩華の胸を服の上から触り始めている。それに同調したかのように、幸親と沙奈のカ
ップルも長椅子に座りながらキスをしている。
 ほのかはその光景から、ここがどう言う所かは納得した。
「っていうか、幸親もこの事は知っていたのか?」
「昔、何かの漫画で見た覚えがあるんで。俺達、隣のマージャンルームは入っていたけど、ここに入るのは初め
てなんだ。もし良かったらいつか、俺達だけで同伴喫茶ごっこでもしようか?」
「いーねー!」
彩華が思わずはしゃぎだす。その一方で顔を赤らめる桜子、そして困った顔をする圭。
 男は相変わらず助平である。けどそんな男達を女達は許せてしまうのもメンバーの魅力なのか?
 そこにいいタイミングで村崎さんが階段を上る音が聞こえてくる。8人は即座に冷静になり、長椅子に座った。
「今日は、ワシの店のために集まってくれてありがとう。これはワシからのほんの気持ちだ。時間の許す限りここ
でアイディアを出してもらいたい」
と話すと、パープル自慢のチーズケーキをテーブルに置き、部屋を後にした。

【続く】

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