第5節 交通事故

 4月も下旬になり、そろそろゴールデンウイークの予定といった楽しい話題が飛び交う頃、一ヶ月近
く岡村家に居候していた由美が、大学近くにあるアパートを見つけたとの事。
 ゴールデンウイークに入ると、引越し料金がかさむと言う事で、その直前に新しいアパートに移り住
んでしまった。
 由美が居候していた時は、何かと賑やかで華々しかったが、いざ急にいなくなると、たとえ難癖があ
る子でも寂しく感じる。

 5月の中旬、由美がアパート暮らしを初めて数週間経ったある日曜日。悟はたまたま五反田に行く
用ができたので、そのついでと言う事で由美のアパートにいって見る事にした。けど、いくら一時期
一緒に住んでいた親戚でも、アポもなくいきなり行くのも失礼なので、メールを入れて見た。
 しかしと言うかやはりと言うか、既に友人と遊ぶ約束が出来たとかで断られてしまった。先客がある
のならしょうがない、と思いながら、引っ越した先のアパートの外観だけを見るに留めた。外観を見た
限りでは、新しくて綺麗なアパートだ。
 さて、会えないとなるのなら、五反田には用はない。と思い、電車に乗って帰ろうかな、と思った。
 その瞬間、駅前の交差点で、横断歩道で信号待ちをしている人の列にトラックが突っ込んだのだ。
何人かがトラックにはねられ大怪我をしている。悟が事故の瞬間を見て10分も経たないうちに駅前は
騒然になり、道路を通行止めにして、救急車やパトカーが何台も駆けつけ、報道のカメラカーまでやっ
てくる騒動になった。
 現場の状況から死者はいないみたいと判断し、現場検証など変に事故に関わるのはいやなので、
そそくさと現場を後にした悟であった。
 その日の夕方ニュースでも、五反田の交通事故は放送していた。報道ではトラックの脇見運転でハ
ンドル操作を誤り、急ブレーキをしたが間に合わなかったとの事。幸い死者はなく、3人が大怪我だと
報じていた。
 悟はあえて夕飯時にはこの現場に立ち合った事は口に出さなかった。
「そう言えば、早瀬さんは五反田に引っ越したけど、あの子、事故に巻き込まれなかったかしら……」
母がこうつぶやくと、
「今日メールをしたら、朝から友人と遊びに出かけると返事が来たんで、多分大丈夫では?」
 悟はこう答えた。
「そうなんだ。なら安心した」
 その日の夜は、とりあえず家族は安心した。しかし別な所で事故の波紋が広がっていた。
 翌日の麻布が丘高校。月曜と言う事で、毎週行われている全校集会が朝から校庭で開かれる。い
つもは冒頭に校長の無駄に長い話があり、週の初めからいきなり憂鬱になるのだが、今回に限って
それはなく、代わりに教頭が、
「今日は、皆さんに悲しいお知らせがあります」
と 喋り始めると、全校生徒が騒々しくなった。
「昨日、五反田駅前でトラックが信号待ちしていた人をはねる事故があり、本校の生徒1名がその事
故に巻き込まれしました。幸い命に別状はなく、現場近くの病院で入院しています……」
 悟はこの事実を知って驚いた。まさか自分が目撃した事故の中に麻布が丘高校の生徒が居たなん
て夢にも思っていなかったからだ。
 教頭の一言の後、騒然とした校庭。多くの生徒が辺りを見回して、今日出席していない人は誰だ?
入院したのは誰だ?男か女か?何年生だ?
 もう朝会どころではない。悟もメンバーの面々を目で確認した。
 ……全員居る。としたら誰だ?男か女か?何年生だ?……
 わが道を行く教師陣は、生徒の言動はどこ吹く風で、粛々と朝会が進められた。気がついたら朝会
が終わって、教頭や校長は校内に入っていった。
 もはやこのマイペース校長の態度に半分慣れっこになった生徒だ。
 校庭ではまだ多くの生徒が留まって居る。そのうち何人かが、入院した生徒を推理したらしく、
「3年A組の生徒らしいぞ」
「えー!あのイケメンが!」
「可哀想に…」
 生徒から飛び交った未確認情報は、その数十分後真実になった。
 五反田の事故での被害者は、A組の三浦君であった。1時間目の出欠の時に、隣のクラスからの
どよめきを、壁伝いにB組生徒全員が聞いてしまったのだ。
 彼は背も高く、顔もホスト顔負けであり、自他とも認める美男子であった。1.2年生の時では、以前
のメンバーであった諸星博樹と勝るとも劣らないイケメンであった。ただ、博樹に勝る点はいくつかあ
り、三浦君のほうが社交的で、誰にも好かれるさわやかな笑顔を絶やさず、男女関わらず常に多の
生徒に気配りをしている、と言うところがある。なのでファッションセンスが劣っても、【真心】であり余
るほどのカバーをしてくれているのであった。だから彼の周りには、いつも女の子が何人も追っかけ
てくるほどであった。多い時では10人近く居たとかいなかったとかで、それはそれは女子生徒からも
憧れの的であり、かたや男子生徒からすれば、羨ましがるか、悔しがるか、敵意を持つかのどちらか
であった。
 ただ、幸いな事に、2年生の時、三浦君はB組で、悟とも別、ましては博樹とも別のクラスであったの
で、女子生徒のいざこざはそれほどなかったのかもしれない。
 B組といえば、沙奈と彩華が同じクラスだった。それなら沙奈なら知っているかもしれない。
 休み時間に聞いてみると、
「三浦君のことね。確かに2年の時はほとんどのクラスの女子は彼にぞっこんだったから、それはそれ
は凄かったよ。何しろアヤちゃんが、一時期三浦君とお台場や浦安遊園地にデートをしたみたいだし」
 ううむ、悟の脳裏にある【絶世の美女】にランクインしている彩華ですらデートに誘ってしまうという三
浦君。悟は三浦君とは接点がなかったのだが、同じ学校の生徒と言う点からすると、敵味方関係な
い。まあ、今の悟には、好いて好かれる女子は居るし、今の所恋愛に不満はない。
 けど、そんな【色男】に悟も、一度はその目で見てみたい、一度は語り明かしたいというミーハーな
部分はあるものであり……。
 放課後、新聞部の部室。
「A組の三浦君が交通事故で入院したという話は知ってるよな」
「ええ。私は何回か会った事がありますが、私にもチャンと挨拶してくれるいい生徒ですわ」
「へえ〜。金井さんにも、ですか。で、何かあったの?」
「ええ、私の場合は、廊下で彼が落としたハンカチを拾ってあげたに過ぎないのですが……」
「それでもちゃんと礼をいったのなら偉いな」
「ええ、彼は単に美貌だけではなく、心がありますから。女の子に好かれる理由が分ります」
「で、これは取材を兼ねてなんだけど、三浦君のお見舞いに、部活動を代表して新聞部が行くという
のは?」
「いいかもしれませんね。三浦君の行いは、他の生徒も模範すべきところがありますから。三浦君に
とってもインタビューをされるには慣れているみたいだし、入院中のいい気分晴らしにもなりますから」
 2人だけの部活なので、打ち合わせも簡単なもので……。
 教頭に三浦君の入院している病院を教えてもらい、放課後、悟と桜子で早速見舞いに行くことにな
った。
【続く】