第3節 父帰る

 4月中旬のある日の岡村家。一時的に北海道に単身赴任していた父が戻ってきた。
 父の会社の北海道本社に、新たに入社する人が決まり、人員的に余裕が出てきたため、再び東京支
社に戻れるようになったらしい。
「ただいま」
「お父さんお帰りなさい!」
 父が帰宅するなり悟と沙奈は、まるで小さい子供のようにはしゃいだ。3ヶ月もいなかったのだから、帰っ
て来るのはとても嬉しかった。
 いつもの父だと、帰宅するなり、すぐに居間に向うのだが、今日はなかなか家の中に入ってこない。
「さあ、ここが私の家だ。遠慮しないで入ってきなさい」
 どうやら、誰かを連れてきたのだ。
「……こんばんは」
 何と、父は親戚の子を連れてきたのだった。北海道には親戚が多いが、2人はこの子の顔を見るなりす
ぐにわかった。
(旅館の子だ!)
 その通りである。洞爺湖で旅館をしていた早瀬さんの娘、由美さんを連れてきたのだ。昨年の秋に、世
界的な不況のあおりを受け、泣く泣く宿を畳んだ後に親が自殺をしたのであった。
 岡村家でも両親が葬儀に出席したし、悟も沙奈も、小さい時から良く利用していた旅館だけあって結構
ショックが大きかった。
 父が言うには、葬儀の後、宿と主人を失って残された妻子はと言うと、小さい子供と妻は実家のある室
蘭に戻ったという。その時に既に18歳になっていた長女の由美は、室蘭の実家にしばらく住んでいたも
のの、親戚一家と折り合いが悪くなり、喧嘩をした挙句に一人札幌へと出ていったのであった。その事は
父の耳には情報が伝わっていて、時折一人暮らししている由美に会ったと言う。
 そして、由美が東京にある【平成女子学院】に合格し、春に上京するという話を聞いたので、父と会社の
計らいで、由美の分の飛行機代も出してくれたのであった。そして東京でアパートが見つかるまで、岡村
家の空き部屋に居候する事になった。
 由美は、悟や沙奈にとっては姪にあたる。数多い親戚の中でも、早瀬家との関係は濃いほうであり、旅
館に泊まりに来た時も、普通の客では入れない経営者の居住部分にも出入りが出来たし、岡村一家が
泊まっている客間に由美や彼女の妹が遊びに来る事もあった。
 また、それ以外でも年始や法事の時には顔を合わせていた。しかし、お互いが大きくなってくると何かと
気難しくなり、ここ数年はお互い会っていなかった。
 悟は、久しぶりに由美を見ると、立派な大人の女性の顔つきであった。やはりと言うか、彼女が味わった
悲しみや苦労が顔の奥に見え隠れしているのが分る。
 それは話し方にも現れてきている。
 居間に上がっても、一言一言噛み締めるように、語彙を良く吟味して落ち着いて話している。まるで相手
に波風立てない様に気をつかって話しているみたいだ。そういう感じは母もわかっているらしく、
「由美ちゃん、私達はあなたにとって、赤の他人ではないのだから、硬くるっしい事は考えなくていいのよ。
うちを家族のように思ってね」
と、由美にそれとなくねぎらった。
「そうだよ、昔の事は忘れて、東京で気兼ねなく青春をエンジョイしなよ!」
 悟も精一杯の言葉を由美に交わした。
 その言葉に由美のほほがすこし緩み、和やかな雰囲気に包まれた。父と由美は空港内の食堂で夕飯を
食べてきたとの事なので、母が、
「長旅で疲れたようだから、一足先に部屋でゆっくりして」
 と言うと、由美は深い礼をして階段を上った。
 由美が2階の空き部屋に入ったのを確認後、父は家族に、
「親が自殺した事は知っていると思うけど、由美さんは『親が自殺したなんて嘘だ!』と、まだ心の隅にこび
りついているみたいなんだ。だから過去の事や自殺の話は絶対にしないで欲しい。それとその事がきっか
けで、幼い頃からの癖だった、自分勝手でわがままなところが再び出てくるようになったみたいなんだ。ま
あ、今までの生活が一気に崩れてしまっている状態で、まだ混乱しているのだから、仕方ないのかもしれ
ない。恐らくしばらくすれば収まるだろうから、少しの間は由美さんの好きにさせようかと思うのだが……」
と通達した。沙奈は、
「仕方ないかもしれないですね。突然人生が変わったのですから。まあ、お金を盗んだり、家に火をつけた
りしない限りは、大目に見た方がいいですね」
と答えた。
 一家が了承すると、各人それぞれの部屋に入った。
 2階に上がる悟と沙奈を見て、一人ニヤリとする由美。

 翌朝。
「おはようございます」
 さすがに見知らぬ家に居候になってまだ2日目と言う事で、会話が硬いが、声は明るい。
「おはよう」
と沙奈が由美に向って挨拶をすると、
(私の服を着ている!確かに翌朝用の服を用意しなかったのも要因としてはあったのだけど……)
 由美は、私のたんすを勝手に開けて、沙奈にとってはお気に入りのワンピースを勝手に着ていたのだ。
けど夕べの件もあって、多少の事は大目に見ようと思い、敢えて黙っていた。
 それを見越してか、由美は私の顔色を伺うと、
「東京の朝の光は、眩しいのですね」
との一言。由美にとってはハイレベルな時候の挨拶になるのだろうか。けどどこか私を嘲笑しているか、妙
に大人染みた感じもした。
 妙に落ち着いた言葉を聞いて、悟も起きてきた。
「おはよう」
と挨拶を交わす。由美は悟の顔を上目で見ると、
「おはようございます」と一言。
(やはり少し影があるな)と悟は薄々感じ始めた。既に沙奈も由美の実態がわかり始めたようであった。
 双子の2人は、朝食時、目で合図を交わした。
(今日は2人で登校しよう)
(OK)
 双子だからこそ出来る、独自のアイコンタクト。一緒に食事をしている由美にはわからないようだ。
「行ってきます」2人は家を出た。
 学校に行く地下鉄の中で、
「由美って子、なかなか手ごわそうね」
「ああ、朝の様子から何となくわかった。きっと彼女の心の中には、何かあるのかもしれない」
「そうね。この手の問題に詳しそうなアヤちゃんに、それとなく話してみるよ」
「OK」
 こりゃ、新学期早々一波乱ありそうだ…と思った2人だった。

【続く】