第8節 突然の電話

 それは、10月に入ってすぐの事だった。
 ある日曜日の夕方、沙奈が自分の部屋で音楽を聴いていると、携帯電話の着歌が流れた。
 ほのかの自宅からだ。
 電話に出ると、聞こえてくるのは男性の声。
「埼玉県の川越駅前交番ですが、唯崎さんのお宅ですか?」
 沙奈は、(いいえ、違います)と答えようとしたが、警察が絡んでいると、何か事件か事故に関わ
っているのかもしれない、と思い、
「いえ、友人ですが……」と答えた。どうやら自宅から転送電話でかかってきているらしい。
 警察官は、
「娘さんが川越のデパートで衣類を万引きをしたため、補導しました。すぐに交番にお越し下さい」
 ほのかが万引きをした!いつも学校で見る彼女はそんな悪い事をする子には見えないけど……。
 沙奈は「唯崎さんに会って来る」と母親にそれとなく伝えると、目黒駅に向かった。
 駅員から川越までのルートを聞き、ほのかの事を心配しながら山手線の電車に乗り込んだ沙奈。
 10分後、今度はほのかから電話がかかってきた。
「沙奈ちゃん……あたしだけど、今川越駅にいるんだけど、駅前のデパートでちょっと気に入った服をつ
いついバッグに入れていたら、店員に見つかっちゃって……」
 話し方からしていつもの声ではない。完全に正気を失っている。
「そんで、そのまま交番に連れて行かれた……。家に電話をしても親が出なかったという事だし、初犯と
いうことなので大目に見てもらって釈放はしてくれた。万引きをしたことをママには夜中に警察から電話
するといっていたし、学校には明日電話するみたいだし……今日はおうちに帰りたくない……」
 相当落ち込んでいる。万引きを見つかってしまった事に大きなショックを受けているみたいだ。
 こういった場合に、元気付ける言葉をあまり良く知らない沙奈は、やたらアドバイスをしても、かえって
逆効果になる事もありうるので、最善の手として、ただただ話を聞いてあげるしかなかった。
「釈放されてからずっと友人に電話やメールしているのだけど、誰も返事してくれないし、電話もつなが
らなくて……けど沙奈さんにはつながってくれたから本当に嬉しかった……」
「今、池袋駅に着いたから、一旦電話切るよ。あと30〜40分くらいで川越駅に着くみたいだから、そこ
で待っていて。必ず行くから……」
 川越に向かう私鉄電車は、日曜の夕方という事でかなり混雑していた。
 電車に揺られながら、混雑する車内であれこれ考えた。
(なぜ、金持ちのほのかが洋服を万引きするようになったんだ?金なら幾らでもあるのに.それとも単な
る好奇心からの犯行?)
 色々考えても、今のほのかに対する情報では沙奈には理由が思いつかなかった。
 電車は川越駅に到着した。
 駅の切符売り場の隅で、肩を落としうつむいているほのかを見つけた。普段の元気な姿はまるでなか
った。ほのかは、悲しさと仲間が来てくれた嬉しさの余り、沙奈に泣きついてきた。
「……あなたが来るまで、あたしどうしょうも無かった……」
 ほのかは泣き続けいている。ほのかも社会の分別が分る高校生であるはず。それでいながらなぜ万引
きをしたんだろうか。きっと何かあるはずだ。
「もう泣かなくていいから……今日のことは皆には内緒にしておくから、私だけに打ち明けてみて……」
「…ありがとう……」
「ここでは人の目があるから、別のところに行きましょ」
 駅前のハンバーガーショップ。沙奈はコーヒーを飲みながら、ほのかの話を聞いた。
「実は、このところの不景気でママがやっている会社の仕事がなくなってしまったの……それでいながら
毎日深夜まで必死にアイディアを練ったり作品を制作してはいるけど、どのお客さんからも断られてしまっ
ているみたいなの……」
 落ち着き始めたほのかは少しずつ現状を語ってくれた。
「だから、うちに入ってくるお金も急に減ってしまい、父親から毎月もらえる生活費も不景気からか、前より
少なくなったの。だからうちの家計は、食べる事がやっとまで落ちてしまい、食べ物も最近は自炊だったり
安い惣菜やレトルト食品ばかり……。暮らしが大変なことは分っていながら、ついついあたしは我慢できな
くなってしまったの。小遣いもなくなり、アルバイトも辛いし、だけど新しい洋服は買いたい……」
 沙奈は、乳母日傘でずっとお嬢様育ちのほのかには、突然の貧乏暮らしは無理だな、と薄々分っていた。
「そんな時、いつもの服ではだんだん物足りなくなって、フラッと立ち寄った下北沢のブティックに行った時、
ふと目に入った服を手にしたまま、ついそれをかばんの中に入れてしまったの……そして何食わない顔し
て店から出たの……これが生まれてはじめての万引き……これに味を占めたのがいけなかった、だけど分
ってはいたけどそれを抑える事が出来なかった……」
 そういう気持ちは沙奈には分らない。何年も前、兄の悟が、スーパーで菓子を万引きしたと、私だけに白
状した事があったが……。やはり何かに追い詰められないとそういった行動は起こさないだろう。あの時兄
も「期末テストで生まれて初めて赤点取った」と悔しがっていたから……。
 けど金持ちのほのかになると、万引きのレベルが違っていた。
「一度ブティックで数千円の服の万引きを成功して以来、独特のスリル感と(また捕まらないでしょ)という大
きな気持ちが出たのか、毎週場所を変えて駅前の立ち寄った店で洋服盗みを続けたの。勿論店員の監視
の目が光っていたり、入口でセンサー反応してしまい、大慌て逃げ出した事もあったりして結果としてうまく
いかなかった方が多いのだが……けど今日ここで見つかって警察に捕まったのが、かえって良かったとい
うか目が覚めたというか……。こんな事をしてしまって、あたし、これからみんなの前に顔を出せない……」
 ほのかは相当今回の事件で応えている。
 ずっと喋り続けたので目の前のコーヒーを一気飲みするほのか。飲み終えたあと、暫し沈黙が流れる。
(励まさなくちゃ……)沙奈はほのかの目をじっと見て、
「誰にも一度や二度、つい魔がさして万引きすることはあるって。実は兄も昔スーパーでお菓子を盗んだ事
があるんだし、他の人も訊いてみると、結構この手の話は出て来るって!それに誰もあなたの事をバカに
はしていないよ。むしろ男性にはあなたに憧れているのだから安心して。……済んだことは今更戻れない
んだから、もう忘れなよ。いつものほのかさんらしく無いよ!」
 ほのかの目から涙がこぼれた。沙奈の言葉が心に響いたのであろう。
「もう明日からこんな事は二度としないって誓える?」
 ほのかは俯いてはいたが、「うん」と言った。心に引っ掛かっていたものが取れたのか、沙奈がコーヒーを
飲み終える頃には泣き止み、少しだけ声が明るくなった感じだ。
「落ち着いたみたいだね。それじゃそろそろ帰ろうか」
 沙奈の言葉にほのかは、「そうだね、もう8時過ぎているし」との言葉。
 帰りの電車の中、ほのかは少し心配になって、
「この話、2人だけの秘密にして。お願い、特に鈴原君には……」
「もちろんよ」と沙奈は答えた。
(けどなぜ鈴原君にって名指ししたの……ひょっとして……)沙奈は最後の一言が引っ掛かったが、とりあ
えず推測するに留まった。
「それにしてもなぜ、東京から離れた所ばかり行っていたの?」との質問に、
「都内だと友人とかに見つかってしまうし、それに電車賃もそれほど使えないので、地下鉄乗り入れの路線
を選んで、降りた駅で『切符をなくした』といって安い値段で改札を抜けていたんだ……」
「だから、キセルも止めよ!駅員にいつばれてしまうか分らないし」
 彼女は悪の道を歩み始めていた。もし川越で万引きがばれていなかったら今後もずっと窃盗を繰り返して
いたのかもしれない。メンバーの仲間に事実を隠したままで……。そう考えると沙奈は(私が悪の道から救
ったんだ)と思った。
 翌日、ほのかは母や学校に散々油を絞られたのは言うまでも無い。流石に、その日は一日中反省してい
たに違いない。
 そんな事件があった一週間後。ほのかはいつもどおり9人メンバーの一員として楽しく学園生活を送ってい
る。けど今までと違ってどこか落ち着きと謙虚さが身に着いたようだ。
 親の会社の不景気に関しては口を閉ざしたままだが、毎日違った服を着るような金持ち子息の素振りは
影を潜めはじめている。
 ほのかは、かなりの服を売ったのか一週間ごとに同じような服を着て登校するようになった。他のメンバー
には変容振りには分らないが、沙奈にはその所以が分っている。
 勿論あの時の出来事を知っている事はほのかと沙奈だけの秘密!
【続く】
情報提供:ルミネ大宮店 埼玉県警察本部