夕闇の中一人になった由子は、
(……すごいものを手に入れてしまった……)と思わず身震いをした。
本来変える事の出来ない未来を変えてくれる代償として使う人の命を削る万華鏡……。
それだけで恐怖感すらも覚えた。けど売人は単に未来を見るだけなら一ヶ月間何度でも使
えると言っていたな……。
早速由子は万華鏡を覗き込んだ。そして(今日の午後6時、私の家……)と念じた。万華
鏡を売る売人と長話をして帰宅する時間が遅くなったので母が心配しているか、それとも
怒っているか、それをいち早く知りたかった。
しかし万華鏡を覗いても細かい金箔が合わせ鏡で組み合わさって幾何学的なきれいな
図柄を写しているだけだった。
(??やっぱりあの売人に騙されたかな?)と思った瞬間、金箔が突然光りだし、それが
【映像】」になったのである。
由子が見た映像は真っ暗闇の家だった。部屋も全て電気が消えている。
(???)由子は不思議に思った。普通なら午後6時は誰もが起きている時間だ。もしかし
て家族皆寝てしまったのか?それとも何か事件に巻き込まれてしまったのか?
由子は最悪の事態を想定し、家族の安否を心配しながら大急ぎで岐路に着いた。時計の
針は午後7時を指していた。確かに家の電気が消えていて鍵もかかっている。
物置にしまっていた合鍵を使って玄関を開けた。特に部屋が荒らされた状態ではない事を
確認後、茶の間に入ると、テーブルに夕飯とメモが置かれていた。
〔親戚の叔父さんが亡くなられたので通夜に行きます。明日の告別式まで留守にします。
ご飯は適当に食べてください〕
(何だ、そうだったのか!)由子はほっとした。けど万華鏡のおかげで要らぬ心配をしない
で済んだ。
(こんなすごい万華鏡ならきっと未来も変えられる!多少の事なら生命までは大丈夫だし)
と【力】を信じ、夕飯を食べ終えるなり由子はかばんの中に入っている万華鏡を覗き込み
(来週の中間テスト、数学……)と念じ始めた。
すると映った映像は教師から返された数学の答案用紙だった。35点だった。由子は思
わず絶句した。今回の試験範囲は苦手分野も含まれているので高得点はのぞんでいなか
ったが、まさか赤点とは予想もしていなかった。
間髪を入れず、(いい点取れますように……)とさらに強く念じながら万華鏡を覗き込んだ。
「これは!!!」由子が目にしたのは35点の答案が見る見るうちに正解に書き換えられ、
あっという間に100点の答案に変化した映像だ。
「すごい!!」由子は思わず感嘆してしまった。ついに万華鏡が【未来】を覆してしまった。
これなら親にも褒められ、クラスでも注目される!と思った。
未来を変える事は歴史を変える事であり本当はしてはいけない事なのだ。けどこの時点
では彼女は未来を変える事の重大さは全く考えていなかった。
数日後行なわれたテストは本当に由子が勉強をしたヤマが当たり、万華鏡で未来を変
えた通りに100点を取った。他の教科も良い成績だ。
(これはすごい!)由子は日頃の勉強に多少自信を持ったとともに、万華鏡の力を信じる
ようになった。 これに味を占めたのか由子は自ら進んで未来を変えたのである。
最初のうちは夕飯を彼女が好きなものにするとかいった些細な内容だった。
一週間後。平凡な彼女の高校生活に新たな転機が訪れた。由子はいつものように(明日
のお昼休みは私は何をしているかな……)と思い、何とはなしに万華鏡を覗いた。
すると映像の中の由子は教室の自分の机でぽつんと座っていた。自分の周りには同級
生いくつかのグループでまとまって談笑していた。これを見て何となく教室で何もしないで
孤独でいる自分が惨めに思えてきた。
すかさず(……私にも友人ができますように……)と念じた。
すると万華鏡の中の映像がフェードアウトし、数秒後画像は再び明るくなった。万華鏡の
中には自分の机をを囲んで数人の男女と語らいをしている由子の姿があった。その画像
の中の由子は昨日本屋で買ってきたばかりの音楽雑誌を手にしていた……
(音楽雑誌か……)実は由子は洋楽が好きで、時折レコードで鑑賞する事があるのだ。こ
れで果たして友人ができるのか?と思った。けど万華鏡と売人を信じ学校に雑誌を持ち込
んでみだ。
翌週の昼休み、万華鏡の【お告げ】通りに教室の自分の机で音楽雑誌を読んでいると女
子生徒がそばにやって来た。彼女は由子と同じ歌手のファンだったのですんなり会話がで
き、その音楽の話題で話が弾んだ。
その後も昼休み中に女子生徒1人男子生徒1人が由子の前にきて、その歌手が好きだ
というきっかけで一気に仲良くなった。
(これもこの万華鏡のおかげだ!ありがとう!)と万華鏡と「未来から来た売人」に礼を言わ
ざるを得なくなった。
しかし由子は今までの2つの出来事が、実は万華鏡の【力】によって叶えられたことを半
分忘れかけていたのである。
万華鏡を使い始めてから20日後。そのころになると万華鏡の力が弱ってきたのである。
周囲に張ってあった金箔が所々はがれ、映像を映す時間も次第に短くなってきた。
由子は(もう一度未来を変えると〔打ち止め〕になるな……)と思い、まだまだやりたかった
大きな願望をきっぱりと諦めた。
けどこの段階になっても未来の画像は一応は見られたのでそれでも重宝した。見る内容
も無難なところとして明日の天気とか明日の授業の内容とかに変えて、少しでも万華鏡の
効力が【延命】できるように最善を尽くしたのである。
【己の未来】をあらかじめ見る事によって自分の行動も抑制できるし、行動の確認もできる。
おまけに明日の授業を知る事によって予習の癖がつき、学力も向上した。
けれど由子には未来を知るのは便利だという事しか考えていなかった。したがって未来を
知る事による恐怖や不安は体感することはなかったのである。
賢明な方ならご存知かもしれないが、実は自分の将来を予知する事くらい恐ろしいものは
ないのだ。
そんな事も知らずにとうとう運命の1ヶ月目の日を迎えた。今日で万華鏡の効力がなくなる。
明日から未来が見られなくなる……と思うと由子は少し心配した。と言っても由子は完璧な
【万華鏡依存症】には至っていないが。
約一ヶ月続いた【毎日の日課】も、もう今日で最後になってしまった。
(最後の「私の明日の行動」は……)と念じながら万華鏡を覗いた。万華鏡の中に繰り広が
った映像は、由子の想像をはるかに絶する凄まじいものだった。
……放課後、由子と友人3人が校門を出て道路を歩いている。駅に向かう道の最初の交差
点を渡る途中で突然車が4人に突っ込み、由子が車に轢かれてしまう。交差点には車の部
品が散乱し、真っ赤な血が道路に流れている。救急車のサイレンが光り輝いている……
ここで映像が途切れた。それと同時に万華鏡の【力】が無くなった。
それを見た由子はぞっとしてしまった。心臓の鼓動が速まり、息が急に詰まり、全身に脂汗
が滲みだして来た。
(……本当に私は明日、車に轢かれて死ぬのか……)
由子の顔は完全に血の気が失せ、まるで生気が無くなったかのようであった。さっきまで
金箔が付いていた万華鏡は普通の赤い万華鏡に変わり果てた。いくら覗き込んでも、いくら
念じても二度と【映像】は現れなかった。
由子は半ば狂乱し、未来を覆す能力はおろか未来を写す能力も無くなった万華鏡を、思い
切り叩きつけた。おもちゃの万華鏡は鈍い音を立て畳の上に落ち部屋の隅に転がった。