(ああ、どうしよう。こんなことになるとは夢にも思わなかった・・・一体車掌さんどのように謝
ればいいのだろうか……)
浩二の頭の中には後悔と罪悪感と絶望が入り混じり、これからどうしたらいいのだろうかと
あれこれ考え始めた。
そうしているうちに無常にも車掌が客室に入ってきた。
「本日はご乗車ありがとうございました。これから乗車券を発行いたしますので行き先を教え
てください」
車掌が浩二のいる席まで近づいた。
(どうしようどうしよう。車掌にただ乗りしたことがばれててしまう……)
浩二は冷や汗を流しながら縮こまってしまった。
(どうか車掌が僕のことを見過ごしてくれますように……)
しかし彼の思いは車掌には届かなかった。
車掌は縮こまっている浩二の姿を見ると「坊や、どこに行くのかな?」と聞いてきた。
(ああ、お父さん・お母さん・先生、みんなから「何で金を持たずに列車に乗ったの?」と怒ら
れてしまう……)浩二は震え始めた。けど車掌は、
「この様子だとお金を持ってなく車内に入ったみたいだね」との一言。
車掌には全てお見通しであった。
(もうおしまいだ……。どうせ怒られるのだからちゃんと正直にわけを言おう……)彼はこれか
らの「暗い未来」を覚悟し始めた。
浩二は小声で、
「……そうです。すみません……実は……かくれんぼで隠れているうちに……」
ここまで言うと自分のしたこ事の愚かさからか自然と涙がこぼれ始めてきた。
けど車掌は優しかった。
「そうだったんだ……。私もまさか金を持っていないであろう君が列車に乗り込んでしまうと
は思っても見なかった。本当は鉄道の規則違反で、親に通告して叱った後で乗った区間の
運賃を払ってもらうところだけど今回だけは特別に大目に見てあげよう。親がきっと君の事
を心配しているだろうから次の駅に停まっている帰りの列車に乗りかえて家に帰りなさい。
もう二度とお金を持たないで停まっている列車に乗ってはいけないよ」と諭すように浩二に
言ってくれた。
浩二は「ありがとう。もうこれからこんなことはしません」と車掌に誓った。
彼の気持ちが一気に晴れ上がった。
車掌も本当はたとえ子供であれ無賃乗車を許してはいけないことなのだが、浩二が正直
に白状して反省もしているのでついつい気を許してしまったのであった。
列車に乗ること10分。列車は駅に到着した。そして同じホームの反対側に停まっている
行き違いの列車に乗り込んだ。
今度乗った列車は次が終着駅だということで客はほとんど乗ってなく、車掌も客室に来な
かった。
浩二は(さっきの駅であの車掌がこの列車の車掌に僕が乗っているということを伝えてい
たのかもしれない)と思った。
帰りは行きの時の心配や不安から取り除かれたおかげで、短い時間だけど車窓からの
風景を楽しむ事が出来た。
浩二が無事に自宅や学校がある終着駅に着いたのは午後4時前であった。すでに一緒
に遊んでいた仲間は皆家に帰っていて誰もいなかった。
「しかたない。明日みんなに会ったときは一言謝っておこう。『用事が出来たから途中で
帰った』と」
もちろん鬼ごっこの時、勝手に駅に停まっていた列車に乗ったということは自分だけの秘
密にしておこうと心に決めた。
夕日が沈みかけている駅前。さっきまで浩二が乗ってきた列車もすでに発車していて小さ
いホームと線路しか残っていなかった。
そしてあの時の車掌の優しい対応にはただただ感謝をしなければいけない。と感じた。
そう、自分の犯した悪事を車掌は許してくれたのだから。
そのとき線路のはるか向こうから列車の汽笛が聞こえた。(今度はちゃんとお金を持っ
て列車に乗りたいな)と思いながら浩二は家路に向かった。
【完】
※この物語はかつて群馬県六合(くに)村にあった太子駅をモデルにしました。
なおこの駅と作品中に登場した路線(長野原−太子)は昭和46年に廃止しております。
参考サイト:太子線跡 http://www.sukima.com/09_naganohara01/10ooshi.htm
参考資料:交通公社の全国時刻表 昭和38年10月号(日本交通公社)
JR全線全駅(交通新聞社)
取材協力:交通博物館