4、終着駅  かくれんぼ
 終着駅というのはどこか哀愁が漂う。大きな都市の駅は別だが、小さいローカル線の終着
駅はただ単に小さいホームがあり、申し訳程度にベンチや外灯が設置している程度である。
しかも駅を降りてもそこから見える景色がだだっ広い農地だったり山々に囲まれていたりする
と寂しさすらも感じてしまう。
 けれど都会の駅と違ってこういった自然の風景もまた趣のあるものである。
 昭和30年代も後半あたりになると、技術革新やスピードアップ化などで今まで使われてき
た蒸気機関車による運転からだんだんと電車や気動車に置き換えられてきた。蒸気機関車
だと距離が短い地方のローカル線では効率が悪いからである。
 その点気動車ならいちいち車両の向きを転換しなくても折り返し発車することが出来るし燃
料の補給も簡単である。
 気動車や電車に置き換えられた後は、終着駅に到着後、いちいち蒸気機関車を転回する手
間がなくなったため、そのころから終着駅に着いた列車は長い時間折り返しの列車の発車待
ちをしていることも良くあることであった。
 しかも地方の一部の駅では多くの駅が無人駅であったので、道路からそのままホームに上
がり停まっている列車に乗る事ができるのであった。もちろん駅として客扱いをしているので車
両のドアは開いているのである。そして発車時刻が来たら車掌の笛の音を合図に開いている
ドアを自動で閉め、駅を出発するのである。これは今でも地方ローカル線では一般的に行わ
れている。都会のあわただしい様子とまた違って実に素朴である。

 昭和38年。
 群馬県の山村にあるローカル線の終着駅。小さい村にあるホームだけの無人駅だが、駅周
辺には民家や商店が立ち並んでいる。
 その駅近くに住む小学生は放課後になるとたいてい全員集まって一緒に遊ぶのである。当時
の子供は年齢の隔てなく高学年から低学年まで一緒になって遊んだり行動したりすることが一
般的であった。それによって子供なりにグループ行動の約束事や基本的な生活のルールを身
につけられた。
 もっとも小さい村の一集落の学校なので全校生徒といっても10人くらいであったが。
 そういった環境であるので一年生から六年生まで年齢関係なく、あたかも兄弟のように一緒
になって遊ぶことが多かった。
ある春の日。高学年の児童5人くらいがいつもの広っぱに集まった。
「今日はかくれんぼをして遊ぼう!」とグループのリーダー格の子が言った。
 その中の一人、駅前の通りに住む5年生の浩二君はいつもは隠れ方が悪いのかいつも、一番
最初に鬼に見つかってしまう。
 けど今回、すばらしい【隠れ場所】を見つけたのである。
 それは駅に停まっている列車であった。
 数日前から気がついたのだが、放課後いつも駅に停まっているのである。大体1時間くらい折
り返し列車の発車待ちをしているのである。
 発車時刻まで列車から降りれば絶対に鬼に見つかることはないと思った。
「じゃあ50数えるからみんな隠れて!」鬼役の子がこう叫んだ。
 鬼が目をつぶって数を数え始めると残りの児童は一目散に散っていった。浩二はひたすら駅
のほうに向かってかけった。
 この駅はホームが一つしかない無人駅なので誰でもホームに立ち入ることが出来る。時間は
3時過ぎであるので浩二の思っていた通り一両編成の気動車は駅に停車していた。
 この気動車のドアは自動式ではなく(特急急行や寒冷地を走る列車は自動ドア化されていた)
停車時は手で開けられた。
(ここなら絶対に見つからないな)と思いドアを開け車内に入った。
 浩二は心の中で(鬼さん、探せるものなら探してみなさい!)と薄笑いを見せた。
 春といえども外はまだそんなに暖かくない。山村なので気温も平地より低い。それとは裏腹に
車内は締め切られていたせいか暖かくなっていた。浩二は余裕に思ったのかつい車内でうた
た寝を始めてしまった。
 そうしているうちに小さい駅に停まっていた列車は発車時刻になり、ゆっくりと動き始めた。
「!!」
 うたた寝をしていた浩二に突然振動が響いた。これは彼の眠りを覚ますには十分すぎるほど
であった。
(あれ?どうなっているのかな?)と思い窓から外を見ると景色が動いているのであった。
「知らないうちに列車が発車している!!」
 そうなのだ。浩二が寝ているうちに列車は駅を発車し運行し始めたのであった。
 鉄道に乗ること自体家族と買い物や旅行などで使ったことがあるが、一人で乗るのははじめ
てである。しかもいつものように放課後子供たちで遊ぶ目的で家を出たので、お金は一円も持
っていない。
 お金を持っていないで安易な気持ちで列車に乗り込んだ自分の行動もも悪いことなのだが、
「どうせ発車するまでに降りればいいんだ」という甘い考えでついつい乗り込んだのがいけなか
ったのである。
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