翌日もそのまた翌日も森田は移動遊園地に来る次郎と園内で遊んだ。少し年は離れて
いるが、傍から見ると本当の兄弟のようにも見えた。
 森田にとっても一人っ子なので自分と年の離れた人と遊ぶのはあまりなかったので、普
段の生活の寂しさが少しはまぎれたような感じになった。

 その翌日は学校で水泳教室が開かれる日で、クラスの児童が全員登校してきた。当時
は一家で夏に旅行するといった事がまだまだ一般的ではなかったので、病気でない子供
は全員参加するのが一般であった。
 けれど町田さんだけは水泳教室には来ていなかった。
(なぜだろう……体育は好きだったはずなのに……)森田は思った。
 水泳教室は午前中で終わり、森田は久々にプールで体を動かしてお腹がすいたので、道
草をしないで家に向かった。
 いつもの通学路を通っていると電柱に真新しい張り紙がしてあった。
 その張り紙は、【町田家 →】と黒字で書かれていて、矢印が人の手の形になっている。
 矢印の案内にそって森田は進むとその家の塀には白黒の幕が張られ多くの花輪が飾っ
ていた。
 森田は「ここは町田家ということは級長と次郎の家だ……。けど何をしているのだろう??」
 家の前できょとんとしていると受付のおばさんが気がついたらしく、彼に向かって
「ここの家のご主人のお葬式を行っているのよ」と教えてくれた。
「おそうしき??」
 森田は初めて聞く言葉に戸惑いを受けた。小学3年だから意味を知らなくても無理もない。
 すると受付のおばさんは更に、
「ここの家のお父さんが病気か何かで死んだので近所の寺からお坊さんが来てくれて拝ん
でもらっているのよ」と教えてくれた。
(だから級長は水泳教室に来なかったんだ)と納得した。
 その翌日森田は高熱を出して寝込んでしまった。プールで体が冷えたのか、はたまた自
分と関係のない家の葬式に行ったから罰が当たったのか?それは定かではない。
 結局2日間家で安静をしてしまったのである。長い夏休みでありながら貴重な時間を2日
も無駄にしてしまったのだ。
 森田は熱が下がり3日ぶりに親から外出を許された。ふと家を出ると家の前の移動遊園
地で「本日最終日」という宣伝をしきりに行っている。
(そうか……今日でおしまいか……次郎君は来ているかな……)と思いいつもの無料遊具
のところに行ってみた。
 けどそこには次郎の姿はなかった。一時間待っても彼の姿は現れなかった……
(ボクと同じように風邪でも引いたのかな)とそのときは思った。
 それから一週間後、学校の夏休み登校日。
 同級生の中には長い夏休みの間に日焼けした人も結構いた。
 森田は次郎の事が気になっていたので早速町田さんに尋ねた。すると全く思いがけな
い言葉が返ってきたのだ。
「お父さんが死んで、お母さんだけの収入だけでは生活が出来なくなったので、今は私と
母と2歳の末っ子と3人で暮らしているの……」
 さすがに町田さんは突然の父の死でかなりのショックを受けている。まてよ、確か町田さ
んの家は6人家族だったはず。父親が亡くなって5人家族になったはずではないか?
 すかさず森田は、
「じゃあ次郎君は?」と聞くと、さっきよりもっと意外な答えが返ってきた。
「次郎は東京の親戚のおばさんの家に引き取られたの……。長男も父の弟の家に……」

 当時は今のように片親の家庭の生活保護が充実していなかったので、一家の収入源
である父親が亡くなり生活が困窮してしまった場合、一家の子供のうち何人かは親戚な
どに引き取ってしまうケースがよくあった。またこのような場合を含めた家の事情で親戚か
ら養子をもらう事もよくあった。
 それを聞いて森田はがっかりした。せっかく一緒に遊んでくれる「弟」のような子ががで
きたと思ったら、もう今は岐阜にはいないなんて……
 けどこれが事実なのだから仕方がない。町田さんも実の兄弟が離れ離れになったのは
本当に辛く悲しいのだから。森田にも何となくその気持ちがわかったような気がした。
 それから森田はまた放課後は一人で遊ぶようになった。移動遊園地はすでに撤去され
元の広場に戻っている。
(本当にあっという間の出来事だったんだな……)子供ながら思わずしんみりとしてしまった。
(次郎もきっと東京で元気に遊んでるのかな?)と時々思うのであった。
 その事があってから、毎年夏休みになり自分の家の前で移動遊園地が開かれるたび
にあの時に一緒にミニSLに乗った次郎を思い出す森田であった。
【完】

参考資料:英語圏生活文化情報辞典(学研)
       夕焼けの詩(小学館 )
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