第12章 浴衣

 山崎家は小さいマンションに暮らしている。3DKと2人で暮らすには割と広々としているが、収納スペースが少ないので

どうしても家の中が家具だらけになってしまう。友之は男性なので、背広数着と私服の洋服程度なので衣類もたんす一個

で済んでしまう。

 しかし美佳はそうはいかない。おしゃれをする方ではないのだが、装飾品類は女性である以上それなりに持っている。

中にはおそらくもう着ないであろう成人式の晴れ着もたんすに安置している。

 しかしそういった思い出に相当するもの以外はどんどんたんすに溜まってしまうので、いつかはたんすに一杯になってし

まうのは当然のことだ。したがって、山崎家では定期的にたんすの中を整理して、古くなったものや着れなくなったものを処

分しているのだ。
 
 冬物衣料が増えたので久しぶりにたんすを整理していると、派手な色の浴衣が出てきた。

 勿論今は冬なので今着るわけには行かない。

 しかしこの浴衣は過去に何回も捨てようとしていながらもなかなか捨てられないままでいたのだ。それには理由がある。

美佳と友之が出会って初めての夏祭りのときに着た浴衣だからだ。


 ……今から数年前の夏。2人がまだ神奈川県に住んでいたときのことだった。

 夏が終わりに近づいた8月下旬のある日、近所の神社で夏祭りが行われた。といっても盆踊りに毛が生えたような小さい

祭りである。神奈川といっても比較的田舎のほうなので、横浜などに比べれば娯楽は多くなく、夏のひと時を楽しむのは祭

りが一番のイベントであった。

 そこそこ大きな境内なので露店も結構出ていた。

 2人は盆踊りが始まった直後に鳥居の前で待ち合わせをした。友之はTシャツにジーパンであったが、美佳は浴衣であった。

 普段と違う姿に、友之は感激したのを今でも覚えている。本当に男って浴衣とか着物を着た女はそれなりの魅力があるのだ

な、と思った。

 日もとっぷりと暮れ、あたりは次第に闇に包まれていった。盆踊りで踊っている人よりも、境内に所狭しと連なっている色々な

露店を見て回っている人が多い、ある意味典型的な夏祭り風景だ。

 たこ焼きを仲良く食べているカップル。お面を欲しがっている子供。飴細工を興味津々で見つめている人。当たりくじにやっき

になっている小学生。祭りという非日常の世界を楽しんでいる。美佳もこういう雰囲気はとても好きなので、ついつい高価なたこ

焼きやイカ焼きを買い、祭りの風情を味わっている。

「友之くんも一つどう?」

 たこ焼きを友之の口元に近づけようとしたとき、手が滑ってたこ焼きを浴衣の上に落としてしまった。

「このくらいの汚れは拭けば大丈夫だよ」

 友之はティッシュを取り出し浴衣に付いたソースをふき取った。しかし後は少し残っている。

「僕は気にしないよ。それより僕にも一個頂戴」
 
 今度はうまくたこ焼きを食べることが出来た。

 小さい祭りなので露店の種類もさほど多くない。さっきお面を欲しがっていた露店で、線香花火が売られているのを目にした。

「珍しいな。いまどき線香花火って」

 友之は線香花火1束購入した。

 神社の境内の隅で友之は持っていたライターで線香花火に火をつけた。パチパチと小さい炎が飛び散る。

「綺麗だね」

 美佳は言った。

 そう言っているうちに線香花火の炎がだんだん小さくなり、やがて地面に落ちた。

「ぱっと散るのが花火なんだ」

 友之がしみじみと言うと、

「私たちの恋はずっと散らないで輝いて欲しい」

「そうだね。これからどんなことがあっても、ね」

 2人は神社の片隅で抱き合った。夏祭りの会場は賑やかで、盆踊りの音楽や太鼓は勇ましく鳴り響いているが2人にはその音も

聞こえないくらい恋の花火が燃え上がっていた……。

「……こんな時もあったんだ……」

一度だけしか着なかった浴衣はすっかり色あせてしまっている。勿論あのときに汚したしみもそのまま残っている。

(やっぱりこのマンションを出るまで残しておこう)

 そうつぶやくと浴衣をたんすから押入れの隅に仕舞った。

「結局今回も余り整理できなかったな……」

美佳は溜息をついた。

まあこの冬に買った服は何とか仕舞えたから今回はこれでよしにしようと思い、夕飯の支度を始めた美佳であった。

【続く】

(長渕 剛:「夏祭り」より)


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