第13章 北海道の思い出
ある春の日の夜。山崎家でニュース番組を見ていると、東京のお台場からのレポートが放送された。
ショッピングモールや博物館など一通りの施設を紹介していた。それを見て、
「お台場なら学生の頃、船の科学館にいったことがあるな」
とテレビを見ながら話す友之。
「そこには、南極観測船や青函連絡船が展示していて、結構見るところがあったな」
その言葉にぴんと来たのか、美佳が、
「私、小さいとき青函連絡船に乗ったことがあるよ」
旅行はあまり好きではない友之だが、北海道自体はは好きらしい。
「あれ、ミカって北海道に行った事があるんだ!」
「うん。小学生の時、家族で北海道旅行に行ったの」
友之は少し考えてから、
「確か青函連絡船は20年前になくなってトンネルが出来たんじゃないのか?」
「だから私はトンネルが出来る前の昭和63年2月に行ったの」
なんとなく面白そうな話だと思ったので、テレビを消した友之。
「旅行って言っても、函館にいる私の親戚の、病気見舞いのついでの観光だったけど。冬の寒いときだったわ。上野から寝台
特急に乗ったの」
「ブルートレイン?」
友之が質問する。美佳は少し思い起こすと、
「いや、違ったな……。機関車がついていなかったから寝台電車だったわ。今としては珍しい3段の寝台車だったのを覚えて
いるわ。
狭いながらも寝台車で寝て青森駅に着いたのが午前7時過ぎ。そこから連絡船への乗り場に行くときがとても寒かったわ」
「そうだね。冬の青森じゃ、気温は氷点下くらいだったでしょう」
「ええ。この特急から北へ行く客は、短い乗り換え時間だったので急ぐように連絡船に乗り込んでいったわ」
友之は興味深そうに美佳の話を聞いている。
「それで、ミカの家族はその連絡船には間に合ったの?」
「ええ。なんとかね。……連絡船のデッキから見た青森の景色はきれいだったわ。そのときは雪が降っていなかったから」
「船から見る景色は普段と違うみたいだね。まあ、これは会社の同僚に聞いた話だけど」
「……だけど、デッキは寒かったから、すぐに船内に入ったの。暖房が効いていて、すぐに眠ってしまったけど……」
「なんだ。そういう落ちか。まあいいや」
「ごめんね……。だって連絡船は4時間くらいかかったし、船内ではとくにすることもなかったから、それにまだ小さかったから、
ついついよ」
「それで、函館に着いたのは?」
「確か昼前だったような。うん、そうだったわ。函館駅降りてすぐにある朝市の食堂でラーメンを食べたのは覚えているから!」
「ミカったら、相変わらず食べることはよく覚えているな」
「えへへ。……でもって、午後に病院に行って見舞いに行った後は確か修道院と洋館と立待岬に行った、と当時のアルバムに
載っているな」
と、どこから引っ張り出したのかアルバムを見ながら話す美佳。
「この写真を見ると、立待岬って結構いいところみたいだね。海もきれいだし……」
美佳のアルバムを見せてもらいながら友之が、
「へえ、立待岬って確か演歌にあるよね。その舞台なんだ」
との一言。すかさず、
「あれ、友之って演歌も唄えるんだ〜!」
「うん。会社の連中とカラオケに行ったことがあるんで、演歌も有名なものならいくつか」
「今度一緒にカラオケするときに歌ってね!」
「はいはい。……って、これって何の話だっけ?」
「函館の話だったね」
「ああ、はるばる来たぜ〜 か?」
友之が歌いながら答えたが、変化球を掠めるかのように美佳は、
「そうね。まあ、立待岬に着いたのが夕方近くだったので、そんなにゆっくりは見られなかったが、太平洋に沈もうとしてる夕日は
きれいだったわ。でもってその後は湯の川温泉に一泊して翌日帰ったのよ」
「となると、車中1泊、温泉で1泊か。結構いい旅行だったじゃないの」
「ええ。トンネルが出来る前だったので移動に時間がかかったけど。今は新幹線が出来ているから北海道に行くのも早くなったね」
「そうだ。今度新幹線が青森まで開通すると、6時間で函館に着けるみたいだな。まあ、もっと将来には北海道まで新幹線で行け
るようになれるけど」
「でも、やっぱ北海道は飛行機が主流みたいだね」
「俺、飛行機苦手なんで……」
思わぬところで友之の弱点を知ってしまった美佳。
だけど、美佳はあの時以来北海道に行っていないので、新幹線が函館まで開業したら、友之と二人の間に生まれる子供とで北海道
に再び行ってみたいと思うのであった。
【続く】
参考資料:JR全線全駅(弘済出版社)
時刻表 昭和60年11月(日本交通公社)