第 9 章 お隣のおばさん ( 「眼鏡祭」参加作品)
10月のある日、友之の両親から久しぶりに荷物が届いた。開けてみると段ボール箱一杯に梨が
入っていた。
友之の実家の兄弟が茨城で果樹園を営んでいるので毎年この時期になると梨を頂く。
もちろん新婚さん2人ではとても食べきれないのでいつも隣近所の家におすそ分けをしている。
友之にも会社へいくつか持っていくと言っていた。美佳も明日マンションの隣近所に数個ずつおす
そ分けをするという事だ。
翌日、家事を終えた美佳は早速頂いた梨を数個ずつスーパーの袋に入れた。
まずは隣の家で美佳にとっても友人である丸山さんの家に持っていった。しかしあいにく彩さんは
留守だったのでたまたま有給休暇か何かで家に休んでいた旦那に梨を渡した。
その次にもう一軒の隣の家、504号室の本田さんに梨を持っていった。
この家は山崎家がこのマンションにきた当初から色々とお世話になっている。ごみの出し方や近所
の公共施設の位置まで色々なことを教えてもらっている。
この家の50代くらいのおばさんは細身でいつもしゃれた眼鏡をかけている方で、どことなく気品を
感じさせられる。
玄関のベルを鳴らすとすぐに本田さんのおばさんが出てきた。
美佳は「夫の田舎から送ってきた梨です。少ないですがどうぞ食べてください」と話した。
本田さんは思いがけない頂き物をもらった為かたいそう喜んでくれた。
「こんなせわしない世の中、しかもマンションでありながらきちんと近所づきあいをしてくれる人がいる
とは……」
美佳も自分ではおすそ分けくらい何でもない事だと思ったのだが、こんなにも喜んでもらったのは
珍しい。
「もし良かったらうちにお上がりになってお茶でもどうですか?」本田さんにも笑みがこぼれている。
家事が終わった主婦の身である。せっかくの誘いを断るわけがない。美佳も快諾し本田さんの家
に上がった。 本田家は子供が独立し今では夫婦二人暮しだそうだ。そのためか室内は小奇麗に整
理されている。山崎家とは大違いである。
そして何よりも部屋のあちこちに写真が飾られているのである。少し前の写真ばかりで家族3人で
写っている写真がほとんどだった。意外なことに本田さんの旦那さんはかなり体格のいいスポーツマ
ンタイプの方なのだ。
そうしているうちに台所にいたおばさんがお茶と菓子を私の所に運んできた。
「お茶を飲むと眼鏡が曇るから……」と言いながら眼鏡を年季の入った眼鏡ケースにしまった。眼鏡
を取ったおばさんの姿は今まで美佳がマンションの廊下や外で見かけたときと違い何だか素朴で
どこか可愛らしい感じがした。
美佳は今までと違う姿に少し動揺したが外見では平静を保っていた。おばさんはそれを察知した
のか、
「私は昔から眼鏡を取ると子供っぽくなって見えるのよ。まあ私は眼鏡がきっかけで今の旦那と結
婚したんだけどね……」
美佳も結構恋愛モノは好きであり、いわゆる「なれそめ」の話となると俄然興味がわく。
もちろん相手に失礼にならない範囲で聞くのは当然のことだ。
「もし良かったらでいいので、おばさんが旦那さんに出会ったきっかけを教えて下さい……」
美佳は言った。
彼女の機嫌がいいのか、はたまた誰かに教えたい話だったのか、何のためらいもなく本田さんは
話し始めた…………。
昭和40年代。私は富山県の片田舎の高校に通っていた。当時から私は目が悪かったので日頃
から眼鏡をかけていた。
勉強が出来たので先生や一部の生徒からは好感を持っていたが、勉強が出来ない一部の生徒
にとっては私のような人は鬱陶しい存在なのか、クラスの中の数人は私のことを好意的には思って
いなかった。
「ガリガリのガリ勉メガネ女!」こんな風に私は一部の生徒もからかわれ馬鹿にされていた。悔し
いけどその言葉は響きがいいから今でも良く覚えている。
もちろんそんな人たちにはいつもは相手をしなかった。相手にすると無駄な被害を被るのは目に
見えているし馬鹿馬鹿しいからだ。
相手も高校生だから、子供相手の喧嘩と違い私に直接手を出したりいじめたりはしなかった。けど
一度だけ手を出した……。
「殴られたの?」
本田さんが話している途中であったが美佳は質問した。本田さんは首を横に振った。
…………一回だけちょっかいを出されたのはある秋の日。
普段は相手にしない私をからかう2人の生徒につい、
「いくらあんたたちが頭が悪いからと言っていい加減私を馬鹿にするのはやめて!」と抵抗した。
するとそのうちの一人が私の眼鏡を取り上げた。
「やーい!お前なんか眼鏡がなくていいんだ!」「眼鏡を取ったら何も出来ないだろう!」などと罵る
と私の眼鏡をわざと床に落とした。
幸いこの時の眼鏡は、当時ようやく出回り始めたプラスチックレンズの眼鏡だったので割れはしな
かったがフレームが少し欠けてしまった。
「イヤー!眼鏡がないと私、何も見ないのよ!」全然視界が見えない中、奴等に抵抗する術も出来
ずにそのまま床にうずくまりうなだれてしまった。
私が反発をしたのも悪かったが、それにも増して私の大事な眼鏡を取り上げられてしまった事が情
けなくなり悲しくなった。
教室には10人位の生徒が私の周りにいたが、私の事を冷やかしていたのか、それとも【いい気
味】と思っていたのかそれとも勇気が出ず黙殺していたのかは分からないが、一部始終を観覧する
だけで私を助けようとする気配すらなかった。
まさに四面楚歌(しめんそか)状態になってしまい、私は感情も抑える事も出来ず、思わず涙がこぼ
れ始めた……。