不定期連載小説 マンションの新婚さん
第 1 章 引越し
東京の郊外ににあるマンション。昭和50年代後半に建設されたごく普通の6階建て。
最近は建物の老朽化や間取りの狭小で、このマンションの入居者が少なくなっている。
ある年の春、そのマンションに数年ぶりの新しい入居者が引っ越してきた。神奈川県出身の
二人で、名前を山崎友之・美佳と言う。共に28歳で新婚3ヶ月目だそうだ。
何でも旦那さんの会社から比較的近く、駅に行くのにも便利というのが購入の決め手となった
そうだ。
2人は新婚直後は会社に近い古い安アパートに住んでいたが、4畳半二間で狭かったし台所
も小さく何かと不便であった。
道路拡張の為のアパート取り壊しを機会に、比較的安価なこのマンションに引っ越した。3DK
だが、2人で暮らすなら余裕の広さだった。
引越しの荷解きはほとんど済み、電気やガスの契約も済ませて、2人はやっと新生活のスター
トラインを踏み切ったのであった。
一番安い引越プランにしたので小物の整理や雑用は友也の役割だったので、引越業者と共に
作業をしていたのである。その為一段落が付いたとたん疲れがどっと出てしまった。
「美佳、少し休んだら隣の家に挨拶に言って来い。俺は疲れているんだ」
「分かった。挨拶には引越し業者からいただいた蕎麦セットでいいね」
「ああ、それでいい」
「休んだら挨拶に言ってくるよ」
美佳が最初に挨拶に行ったのは隣の502号室だ。しかしベルを鳴らしても不在なのか返事が
来ない。
すると向こう隣の504号室から、見た感じ50歳くらいのおばさんが出てきて、
「502号室はどこかの会社の社宅らしく、10年前から購入しているけど、最近は誰も住んでいない
みたいだよ」と教えてくれた。
美佳はそのおばさんに、
「今日引っ越してきました503号室の山崎ですどうかよろしく」と持ってきた蕎麦セットを差し上げた。
そう言うと、美佳の様相を察してか、「あら、あなた新婚さん?最近ここに越して来るとは珍しい
ね」と言われた。
更におばさんは、「最近この地区に悪質なセールスが来ているそうだよ。特にあなたは引っ越し
てきたばかりだから気をつけて」と忠告された。
美佳は(私は大丈夫よ)と半分平気な顔を見せた。
603号室と403号室にも挨拶に行ったが、特に忠告は受けなく、
「新婚さんじゃ、これから毎日アツアツだね」と茶かされたりもされた。
その夜は引越しの疲れからか、夕飯はバスで駅に向かい、駅前のレストランで済ませた。
バスを利用したのはもちろん友之が会社に出勤するために使うバスの時刻表を書き留めておく
のと、駅までの所要時間を確認する為だった。
駅前にはスーパーや銀行もあり、買い物にも便利だった。
翌日は月曜で、友之はもちろん出勤だ。
美佳は結婚当初のアパート住まいのときは朝食を作るのも一苦労だったが今はすっかり主婦とし
て板についてきた。
昨日夕飯の帰りに買った食パン3枚とゆで卵を出して、コーヒーはインスタントだ。
友之はいつもの時間より早く起きて顔を洗うと朝食を食べた。そして背広に着替えると「行って来
る」と言い、家を飛び出した。
美佳は朝が弱いのでいつも最低限の朝食の準備をするのがやっとだった。
その事はいつも友之に悪く思っている。(ああ、もう少し早く起きれたらいいのに……)と毎日思っ
ていた。
けれどいつも思うだけで実行に移していないのだ。尤も自分の意思が弱いからもあるけど……
それもいつも旦那が出勤してしまえば後は適当に家事をしていれば自由だし、自分の好きな事が
できる。当たり前だが時と場合によるけど。
以前アパートに居た頃は突然友之の母が息子の様子を見に来た事もあった。あの時は本当に
冷汗物だった。大急ぎで部屋を片付けて義母をありあわせのお菓子でもてなしたっけ。
……今日も残った食パンにジャムをつけてTVを見ながら朝食を食べたのであった。
掃除・洗濯と一通り家事を終えると10時。主婦にとってはほっとくつろげる時間である。
(さて今日もコーヒーでも飲みながらこの前録画しておいた映画でも見よーかな?)
そう思ってビデオテープを入れようとした瞬間、玄関からドアを叩く大きな音がした。
玄関を開けようとすると中年の男の人がいきなり大声で、
「日本新聞の者だ。新聞を取ってくれ!」
美佳はその様相と凄みに驚愕した。私が出てきた直後その男の人はジーッと私を見つめ、勝手
に家の中に入ると、
「引っ越してきたばかりの様だな。まだ何も入ってないだろう!今日からうちの新聞を取ってくれ!」
私は折角の楽しみを奪われた悲しみもあってか呆然となったが、すかさず、
「……いや……旦那が新聞を管理しているので分かりません」と答えた。
けれど拡張員は一歩も引き下がらず、
「明日からサービスしてやるから早く判子よこしな!」と強行してきた。私は怖くなってきた。
更に拡張員は、
「今日中に新勧とらないと店を首になってしまう。もし首になったらお前のせいだと訴えてやる!!」
とまで言ってきた。まさかこの人は本当のヤクザかもしれない……と思ったがここで契約すると完
全に相手に弱みを見せてしまうと思い、
「とにかく私の家で勝手な真似はしないでください。夕方になれば旦那が帰ってくるのでその時に
お願いします……」と切に願った。
「そうか、そう拝まれたら何もできねえ、今日のところは帰ってやるがこれからは喋り方には注意す
るようにな!」とだけ言い残すとドアを大きな音を立てて閉めた。