オバケの初恋  (競作小説企画【Crown】第18回「初恋」参加作品)

 昭和三十年代、東京の近郊にあるとある町。もともとは農村地帯だったのが、昭和三十年頃からの宅地開発によって都心に近いという事で、急激に人口が増えている。その為、古くから住んでいる人と、引っ越してきて新たに住むようになった人が入り交ざっている地域でもある。もちろん人口が増えると必然的に子供の数も増える。
 大人の社会では見ず知らず同士が打ち解けて仲が良くなるのは時間がかかるが、子供の場合はあっという間に友達が出来る。しかし、いつの時代にも例外がいるもので……。
 この町に住む小学5年生の岡部智一君。小さい時から引っ込み思案で、数年前に引っ越してきた事もあって、なかなか対面の人と打ち解けられない性格だ。友人は何人かいるが、すべて近所に住んでいる子や、相手が仲間に誘ってくれた人だ。
 学校では休み時間になると、たいてい教室内で一人で本を読んでいると言う典型的なおとなしい性格なので、智一には遊び仲間がほとんどいない。
 いつも校庭の隅で他人が遊んでいる姿をじっと見ているのだ。
 とにかく智一にとっては「遊ぼう」という簡単な一言が口から出てこないで、(もし僕が誘っても、断られたらどうしよう)と、いつもマイナスの事しか考えていないのだ。
 勿論他の友人にとってはお見通しだ。いつしか遊んでいるそばに智一がいても気にしなくなり、誰がつけたのか智一のことを【オバケ】とあだ名をつけて呼ぶようになった。そこに居ても存在しないと同然と言う意味と、OKABEのローマ字を並べ替えてOBAKEにしたと言う意味を引っ掛けてそう付けたらしい。

 数ヶ月後のある秋の日、担任の先生が働きかけたおかげもあり、智一も勇気を振り絞って自ら遊び仲間の輪の中に入る事が少しずつながら出来るようになった。今まで半ば黙殺状態であった同級生も、段々と智一と一緒に遊ぶようになって来た。
 しかし【オバケ】というあだ名はそのまま残った。単にローマ字の並び替えだということが命名理由だということを打ち明けられ、智一も最初は戸惑ったが、冷静に考えれば言いえて妙であり、同学年の児童に広く知られていて、なおかつインパクトがあるので、自分でもこのあだ名を容認した。

 小学5年生となると、誰しも多少なりとも異性に関心が出てくる。智一も然りで、クラスの女子も人並みに意識をするようになった。しかし智一は他の子とは少し違ったタイプにどうやら好きになったみたいで……。
 隣のクラスの女子で、男子顔負けに活発でケンカ強い子が居た。
 当時は現在のように出来合いの遊び道具が少なかったので、広場でかけっこやチャンバラごっこなど体を使う遊びが主流だった。そういう環境なので、男の兄弟の中に女の子が一人と言う家庭や近所の遊び仲間で男の子が多い場合は、その集団中の女の子は自然と活発で男勝りの気質になりやすい。時には男の子よりもケンカが強く地域のリーダー格の女の子も居たらしい。
 その子は正にそのようなタイプだ。髪は一応おかっぱだがボサボサ、眉毛は濃く、見た目も普通の女の子よりもかけ離れている。動きもすばしっこいし絶えず体を使って遊んでいるので服は汚れ放題で、女の「お」の字のかけらも無いようなやんちゃ少女である。
 実はその子とは、智一にとってちょっとした思い入れがある。
 2年前、智一の一家が群馬県から引っ越してきてすぐの頃、学校の帰宅中に運悪く大型の野良犬数匹に追いかけられた事があった。今と違って自治体の野良犬対策が確立されていない昭和20〜30年代では、住宅地でも凶暴な野良犬が街中に蔓延(はびこ)っていたので、時折被害が発生していた。
 智一が野良犬に苦闘しているのを見て、背の高い女の子がやってきた。彼女はすぐ様その野良犬に蹴りを入れ、持っている棒切れで野良犬の頭を殴った。
 野良犬が怯んだ隙に、
「早く逃げるのよ。この犬は私が始末するから」
 と妙に甲高い声。
 智一は一目散に逃げ出した。
 翌日、智一が同じ道を通ると、道端に犬の死骸が転がっていて、数羽の鴉(からす)が死骸から内臓を引っ張り出してついばんでいる。
(凄い……あの子が野良犬をやっつけた……)
 道端の犬の死骸が骨だけになったある日の夕方。智一が給食の残りのコッペパンを食べながら帰宅していると、
「おいしそうなもの食べているじゃないか。オレにも半分よこせ」
「駄目だよ。これは僕が先生からもらったんだから」
「いいから、ちょっとだけでも食べさせろよ」
「止めてくれ!」
「下級生の癖に生意気な奴だな!」
 智一が6年生に囲まれていると、
「この子に手を出すな!」
 と、またこの前のやんちゃ少女がボサボサの髪を振り乱しながら近づいてきた。そして6年生男子の脇腹を左手の拳で殴り、股座(またぐら)を右手で握り締めた。
「痛い痛い!」
 6年生も急所攻めを堪えながら女の子の胸倉を殴った。
 しかしすばやい動きでかわしたので命中したのは一発だ。この程度では大したダメージではない。さすがに6年生も勝算が無いと思ったのか、
「覚えてろよ!いつか仕返しをするからな!」と捨て台詞を残し退散した。
「……ありがとう」
「礼はいいさ。それより傷は無いか」
「大丈夫だ」
 そう言うと女の子は口笛を吹きながら去っていった。

 その子が隣のクラスに居たのを知ったのは、秋も深まったある日の事だった。
 放課後、智一が隣のクラスを覗いた。教室の外からもボサボサ頭で背の高い女の子の姿はすぐに分かる。その女の子が教室を出た瞬間、
「2組のオバケじゃない。どうした。あたしに用か?」
既にあだ名を知っていたのだ。
「何で知ってるの?」
「そりゃ、あんたは学校でも知らない人は居ないくらいだから。やせ細って色白な男の子なんか珍しいもの!」
「まあ確かに僕はひ弱な優等生だけど……だからあなたには今までに何回か助けてくれて……」
「ああ、あの時の子か!」
「2年前の野良犬と上級生の時に……」
「よく覚えているね。あたしは困っている人を見たら黙っていられない方なので」
「あの時は本当にありがとう」
 彼女のランドセルに【亀山貴子】と書かれている。思い切って、
「亀山さん……ですよね。今までずっとお礼が言えなくてごめん」
 亀山さんは突然の言葉に戸惑った。何しろケンカ強く色気も全く無いので、男の子には敬遠しがちで、面と向かって話しかける事すらもほとんど無かったからだ。
 暫し照れた後、
「いいのよ……」
 智一は亀山さんが急にうつむいてしまったので(悪い事言ってしまったのかな)と感じ取り、急に無言になった。そしてそそくさとその場から離れた。

 智一も事務的な事以外で女の子に話をしたのが初めてだ。しかしある意味の憧れの人であるのは確かだ。帰宅しても放課後の出来事が脳裏に残る。
(あの時うつむいたのは、ひょっとして……)
 翌日の昼休み。
 智一がトイレで用を足して教室に戻ろうとすると、ドアの所に亀山さんの姿。
「昨日の事で……」
 智一は事情をつかみ取ったのか、
「校庭に行こう」と言った。
 校庭の隅。数ヶ月前までは智一の定位置だったところ。
「昨日は言葉が詰まってゴメン。……あたし、こんななりで全然女らしくないので、男の子と話した事もほとんど無かったんだ」
「実は僕も。引っ越してすぐの頃は、誰とも話せなかった」
「あたしはこの町で生まれたけど、小さい時から兄弟でケンカして育ってきたから男のようになっちゃったし、おしゃれも知らないからどうしても女らしくない顔になっているでしょ」
「そんな事無いよ。運動能力があって活動的で。ショートの髪もなかなか似合っているよ」
「そういってくれるのオバケだけだよ。他の子はみんな【男女(おとこおんな)】だと言われ全く相手にされなかった」
「……僕、岡部って言うんだけど……」
「わかった、オカベ君。実はあたしもオカベ君のような勉強できる子に憧れていたし……それと時々何となく、【君の事をあたしが助けてあげる】と思ったりするんだよね」
「そうなんだ。けどこれって男の子が女の子を助けるのが普通じゃない?」
「確かに、何かそういう風に思っちゃうのよ。だからあの時2度も助けたのかもしれない」
「感謝するよ。亀山さんがいないと僕は……」
「それってあたいの事好きって言う……」
 智一は急に照れてしまった。思わず口からこぼれてしまった言葉だが、こういう展開になるとは思ってみなかったからだ。
 無言で首を縦に降った。すると亀山さんは妙に甲高い声で、
「あたいもオカベ君の事好き」
「今度はちゃんと言ってくれた」
 智一の目には一瞬亀山さんのボサボサ頭が、スラッと整った黒髪に見えた。
「笑った顔も素敵だね」
 確かに今までは余り喜怒哀楽を見せていなかった。ガキ大将という一面もあったからかどこか勝気なイメージが頭のどこかに引っ掛かっていたからだ。
 時はあっという間に過ぎ去り、チャイムが鳴った。
「また放課後ね」と言って2人は校舎の中に入った。

 翌日。同級生の情報収集力はさすがで、どこから流れてきたのか黒板に【オバケとオカメ】と書かれた相合傘の落書きが大きく書き出された。智一は教室に入るなり大きな落書きに気が付くとあわてて黒板消しで消した。
(亀山さんはオカメと呼ばれていたのか)と思った。確かに苗字も似ているし福笑いのオカメの絵みたいにあまり綺麗ではない顔だからそういうあだ名が付いたのだろうか?
(きっと隣のクラスでも同じ落書きがされているに違いない)と思い、急いで1組の教室に向かった。しかし落書きは既に消されていたのか黒板には書いてなく、代わりに亀山さんの席の前に数人の女子が固まっている。
(どうやら何ともなかったな)と思うと自分の教室に戻った。
放課後、亀山さんに朝の事を聞くと、
「同級生から、【オバケとは何をしたの?どういうきっかけ?】などと立て続けに質問されたとの事。
(亀山さんにはやはり女子には人気があるんだな。それに引き換え僕は……)と思った。暗い顔になっていると、
「オカベ君、どうしたの?」
「いや、大丈夫。それより君の方は?」
「あたしも大丈夫。今日は一緒に帰ろう!」

 2年前と同じ通学路を2人が歩いている。野良犬に追いかけられた道も、上級生にからかわれた時の道も、今となっては思い出である。むしろ2人を引き合わせたきっかけと言ってもいい。
 長身で男勝りの亀山貴子さんと、チビガリの岡部智一。立場は普通のカップルとまるで違っていても二人の心は通っている。亀山さんならリードされても尻にしかれても構わない。と智一は思った。
 町並は夕焼けで真っ赤に染まっている。今日の夕焼けはいつもと違いまるで2人の恋の灯のように綺麗だ。
 2人の恋は始まったばかりだ。

【完】

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