「ようこそ遠路はるばるいらっしゃいました」秋山にとっては宮田さん一家は冠婚葬祭のときくらいしか会っていないが顔はうっすら覚えている。
「お久しぶりです。ここに一人で来たのは初めてですが、ここは落ち着いていて良いところですね」
「いえいえ、都会と違ってここは何かと不便で。車が無いと生活できないですから」
「そうですね。……けど今回はお爺様が突然お倒れになってさぞかし大変でしたでしょう」
 そう言い終わると、秋山は奥の間に案内された。
 奥の8畳間で宮田さんのおじいさんが寝込んでいる。見た感じはそれほど重症ではなく、普通に会話が出来る状態だったのがせめてもの救いだった。
「秋山さん。今回は遠方はるばるお越し戴いて本当にすまない。わしが体を悪くしてもすぐに駆けつけてくれるとは……」
「当然ですよ。親戚なのだから」
 最近では親戚づきあいも疎遠になっては来たが、秋山さんにとって宮田さんはかなり親密に交流をし
ているのは確かのようだ。
 とりあえずおじいさんの様子も問題ないことだし、まずはほっとした。
時計を見ると正午を回っている。今日は早朝から出かけたので、何となく時間が早く感じている。
 山村だと、もう少し時の流れがゆっくりだと思っていたが、やはり時間は日本中平等に流れている。

「秋山さん。大した物では無いのですが、信州名産の蕎麦を茹でましたので、いかがですか?」
「ありがとうございます」
 秋山は腹が減っていた為、信州蕎麦をおいしく戴いた。やはり地場の食べ物は都会のものと少し違
うな、と感じた。

 昼食を戴くと、この家での目的は終わってしまう。今回はあくまでもおじいさんの見舞いであり、別に見合いをする為でも帰省に来た訳でもない。親が居れば積もる話も相当あるだろうけど、それすらも無い。しかも明日からまた会社である。
「さて、そろそろ帰ります」
「せっかく遠路はるばる来たのだから、もう少しゆっくりなされば良いのに……」
「いえいえ、お気持ちだけで十分です。明日から会社ですし」
「そうか、けどここから東京となると電車だとかなり時間がかかるから、帰りは高速バスで帰ったほうがいいだろう。飯田駅から発車しているから、少しは東京に早く着けるかもしれない」
「お心遣いありがとうございます」
「3時前に飯田に行く特急が出ているから、それに乗れば良いでしょう」
 ふと柱時計を見上げると、もう少しで午後2時になる。
「スムーズに車が行けばぎりぎり間に合うな……。すみませんが駅までお願いします」
と言うと、すぐに車を出してくれた。
 そして挨拶もそこそこに秋山は宮田家を後にした。
 行きと違って帰りは山道がうっとおしく感じた。行けども行けども山と木々だけで人家すらも見えない。今は早く駅に着いて2時51分発の特急電車に乗らないといけない。
 しかしこういう場合に限って、時はめまぐるしく回る。
 秋山は思い切って伯父さんにこう言った。
「電車に間に合わなくなるので、もう少し速く走ってください!」
「それは無理だ。こんな山奥でスピードを出すと事故を起こしてしまう。それにあんたが早く家を出るように頼まなかったのがいけない」
 確かにそれは言えている。ついつい時間配分を甘く見ていたのかも知れない。
 タイムリミットまで後5分。しかし車は山間部を抜けきれない。都会や高速道路と違って道路の幅も狭く、急な崖もありスピードの出しすぎは事故に繋がる。しかも安全運転を心がける宮田さんの運転なので、まるで運転教習所の車のようにゆっくり走る。秋山がいらいらするのも無理は無い。無常にも発車時刻の2時51分は軽く過ぎ、平岡駅に着いたのは3時を軽く回っていた。
「間に合わなくて済まない……。気をつけて帰りなさい。両親によろしく」
 なんともそっけない。田舎の人間だから余り気の利いたことがいえないのかもしれない。

 さて帰りはどうしようか……。駅員に聞くと、各駅停車に乗れば飯田からの高速バスはまだ間に合うとの事。
しかし電車の本数が少ない地域なので、次に来る電車は午後4時41分発だ。
 電車が来るまで一時間以上ある。切符を買ってあるので待合室にいるのも良いし、駅前をぶらぶら歩いても良い。
 駅前と言っても小さい町なので店も少ない。都会ではちょっとした暇つぶしにパチンコ屋に行く事も出来るが、それもない。あるのはせいぜい小さいコンビニくらい。
 店内を物色し雑誌を立ち読みしても、まだまだ時間が余るほど残っている。時間に追われていた数十分前とは大違いだ。
 けど初めて来た町で、あてもなくぶらぶらするのは体力の消耗になるので、駅で電車が到着するまでのんびり待つのも悪くないと思った。
 秋山はコンビニでスポーツ新聞を購入し、駅の待合室へ向かった。
 小さい駅で時間帯も中途半端なので客は誰もいない。ベンチに座り新聞を広げた。
 のどかな小さい駅で新聞を読みながらゆっくりくつろぐのは、ひょっとして最高の贅沢なのかもしれない、とも思った。東京にいる時ではこんなことは絶対に出来ない。普段はスポーツ新聞は余り読まない秋山だが、ページの隅々まで読んでいると案外良い時間つぶしになるものだ。

 新聞を読み終えると時計は4時を回っている。まだ30分以上時間がある。
「まだ電車は来ないな」
 キオスクでペットボトルの茶を買い、改札を通り、駅の構内に入った。
 駅と言うのは独特な空間で、殺風景のように見えて結構見所がある。身近なところで旅行ポスターがある。勿論都内の駅にも旅行のポスターやパンフレットなどがあるが、どうしても時間に追われている関係からざっとしか見ていない、と言うか見られない。
 旅行ポスターをじっくり眺めるのはもしかしたら初めてかもしれない。地域柄中部地方のものが多いけど、どの写真も綺麗で、ふと旅行に行きたくなる気持ちにされるのが不思議だ。
 こういう時こそ一枚一枚じっくりと鑑賞することが出来る。別に美人が写っているわけではないが、ちょっとした目の保養になる。
 JRも少しでも多くの観光利用客獲得の商魂があるのか、ホームや跨線橋の壁に、これでもかと言うくらいの観光ポスターが貼られている。これ幸いという事でもなかったが、時間つぶしに最適なのでポスターの一枚一枚をじっくりと眺めた。普段は出来ない行動と言うものは不思議と時間を費やせるものだ。
 一通り見終わりホームのベンチに座った。駅のホームからでも山は良く見える。長野県南部の山間部なのでいやと言うくらい山の緑が目に入ってくる。都会では絶対に見る事の出来ない風景だ。自然の景色を見るだけでもどことなく癒される感じだ。
 茶を飲みつつ山を眺めたり時々やってくる上り電車を見ながら、乗るべき電車がやってくるのを待った。
 ちょうど茶を飲み終わろうとしたとき、駅のアナウンスが入った。
「まもなく下り電車がまいります」
 待つこと1時間。やっと乗るべき電車が駅に入ってくる。さっき通り過ぎた電車もそうだが、2両編成の短い電車だ。やはり田舎で乗る人が少ないから電車も短いのだろうか、と思った。
 行きに乗った特急電車とはまた違った、のどかな景色が車窓からゆっくりと堪能できた。
(電車の旅も良いものだな)と思った。
 飯田駅に着いたのは午後6時前であった。駅員に聞いたところ、駅前の停留所から新宿駅行きの高速バスが発車するとの事。けど今度発車するバスに乗ると、新宿に到着するのは夜の10時過ぎになってしまうので、夕飯を買い込んだ方が良いと教えてもらった。
 駅前にあるコンビニで、弁当と酒とつまみを購入してバス停に戻った。運が良いのかあまり待たないでバスがやってきた。
 時間帯から乗客は余り乗っていない。秋山は運転手に運賃を支払うと適当な席に座った。
 飯田のおじさんも話していたが、高速道路が出来て飯田の街も交通が便利になったとの事、確かに電車だけだと、移動にものすごく時間がかかるが、高速道路を使った高速バスが出来たおかげで東京や名古屋にも出やすくなった。
 けどいくらバスがたくさん走っていても、この辺りだと自動車のほうが便利だなと感じた。
 飯田を出発したバスは確実に東京に向かっている。夜が暮れ始め、車窓の景色がだんだんと暗くなっていく。しかも高速道路だからさっきの電車よりは速く進んでいる。
 しかし快適なのは一時的で、少し走ると道路が渋滞してきた。どうやら途中で交通事故が起きたらしく、車線を規制しているらしい。
 車と言うのは自由で良いが、少しハンドル操作を間違えると悲惨な事故に繋がる。特に初心者の運転となると慎重になるのはなおさらだ。
 そうなると、秋山は(やはり今の所は公共交通機関だけでも十分かな)と感じた。
 車と違って決められた時刻でないと乗れないが、時間は正確だし、自動車よりは安全だ。しかも都内だと電車はひっきりなしに走っている。また地方は地方なりにのんびりした風情が楽しめるし、いい事尽くめだ。
 まあ自動車ならではの魅力もあるが、(もう少しは車は持たなくても大丈夫かな)と、今日一日の小旅行を通じて感じた。
 そう考えているうちにバスは事故渋滞を通り抜け再びスムーズに走っている。バスと言うのもまた乗り心地が良いものだ。
 また明日から通勤電車に乗って普通どおりの生活が始まる。しかし今日はこういう規則的な生活から抜け出してゆったりした電車とバスに乗ることでどこと無く気持ちがリフレッシュした感じになった。
 東京に向って走る高速バスの中、「また明日から頑張らなくちゃ」と車内でつぶやく秋山だった。

【完】 
参考資料:JR時刻表2008年2月(交通新聞社)
参考サイト:yahoo地図 長野県飯田市