伊那路への旅

「それにしてもなかなか電車が来ないなー」
 長野県の山間部にあるローカル線の駅。秋山雄二さんは駅の待合室のベンチでこうつぶやいた。
 電車に乗るのは嫌いではないが、都会暮らしのため、電車を待つというのが余り好きではない。ここに来ることになったのは一本の電話が発端であった。

 秋山は埼玉県に住んでいる会社員。毎朝通勤通学客でぎゅうぎゅう詰めになった電車に乗って、都内の会社に勤務している。
 とにかく早朝のラッシュアワーの時間帯に満員電車に乗るのは苦痛以外の何物でもない。せっかく綺麗に着込んだ背広もすぐにしわになってしまうし、立ちっ放しの車内では客に押し合いへし合いながらも、必死に終着駅まで慣れない体勢で我慢しなければならない。体調によっては会社に着くまでにエネルギーの数割を消費してしまう時もある。
 ラッシュアワーはサラリーマンにとって地獄そのものだ。恐らく他の客も同じように思っているに違いない。仕事だからと言っても割り切ってしまえばそれまでだが、やはり電車通勤が大変なのは間違いない。しかし仕事はそれほどきつくなく、会社での人間関係は良好なので、今の会社には今のところ不満は無い。とにかくこの会社に籍を置いてもらっていること自体に感謝している。この不景気の時代に雇ってくれるだけでも幸せだ。
一つだけ不満なのが朝夕の通勤ラッシュ。これさえなければ……。
 秋山さんは大卒後ずっと同じ会社に勤めている。都内山手線沿線に職場があるので、通勤はずっと電車だ。会社には駐車場も無いので車での通勤は許されていない。
 その為秋山は自家用車を持っていない。と言うか運転免許も持っていない。
(車があれば、移動範囲が広がるから)といつも思っていながら、30歳も目前になった現在まで運転免許も持たずに時がたってしまった。
 車を運転する人を眺めると(やはり車は持っていないと)とつくづく思うのだが、どうしてもその先の一歩が踏み出せられない。それには教習所に行って勉強する時間や費用とかも捻出できないし、車を買う費用や維持管理費もバカにならないと思うと、ついつい(車がなくても何とかなるかな)と思ってしまうのだ。
というか、今現在まで車を持ってないなくても、それなりに生活が出来たのだから。
 車を持ちたい、教習所に行って免許を取りたい。そう思いながらも日々は過ぎていく。しかし会社には電車で通っている。休日は家でごろごろ過ごすのが常で、日常品の買い物も近所のショッピングセンターに行けば買い揃えられるし、時々遊びに出かける都内も通勤の時に使う電車に乗れば簡単に行く事ができる。勿論定期券で乗れるので電車賃の心配は無い。つまり日常生活が車を必要としないでも何とか成り立っている。そうなると(今のところは車は必要ないか)と思ってしまうのも無理は無い。
 しかし神は時として気まぐれな行動を引き起こしてしまうものなのか、車を持っていない彼にちょっとした試練を吹っかけてきたのだ。

 ある日の夜。家に一本の電話がかかってきた。父が電話に出ると
「もしもし、飯田の宮田だが……」
 宮田さんと言うのは秋山家の親戚で、長野県の飯田市に住んでいる。
「実は今回電話したのは、うちのおじいさんが先月突然倒れて病院に入院したんだけど今日一時退院したので。今回はその報告と言うことで……」
「それはそれは、大変でした…」
 父は電話を切ると、
「長野の宮田さんのおじいさんが先月倒れたそうだ。今は回復しているが、もうかなりの歳なので、いつ病が再発するかもしれない。せめて元気なうちにお前だけでも見舞いに行ってもらいたい」
「……そうですか。会社に連絡して休むようにするよ」
「済まない。ところで飯田には電車で行くんだろ。後でおじさんに最寄の平岡駅まで送り迎えるするように電話しておくよ」
「お願いします」
 宮田さんの家は飯田市とは言っても、市内中心部ではなく、合併する前の南信濃村にある。地図を見ればわかるが、飯田市内からだと車で一時間以上はかかってしまう。その為最寄り駅のJR飯田線平岡駅までなら迎えることができると言う。
「飯田か……小さい頃に行った以来ずっと行っていないな……」
 秋山が小学生の時に、親の運転する車で半日かけて遊びに行ったことがある。中央道の飯田インターチェンジを降りてからやたらと時間がかかって、山と山の間にある県道をのったりのったり走った末に辿り着いた記憶がある。あの辺りは昔から交通の便が余りよくない地域なので、おそらく今も余り変わっていないであろう。更に電車の本数も昔から余り変わっていない。と言うか昔のほうが便利だったのかもしれない。
 飯田線は、愛知県の豊橋駅と長野県の辰野駅の間にある伊那山地の間を走るローカル線で、路線の中間辺りにある地方都市が飯田市である。豊橋方面から飯田へは、特急が走っていて2時間弱で行けるのだが、長野方面からだと、以前は急行電車が走っていたが、大分前に廃止されてしまい、今では飯田に行くには各駅停車で3時間半もかかってしまう。
 わざわざ遠回りする必要はなく、豊橋までなら新幹線を使えば早いと言うことなので接続の良い豊橋周りで行くことにした。
 秋山は会社の出張で新幹線を使うことがたまにあるので、鉄道を使うのは苦ではない。また最近はパソコンソフトやインターネットで乗り換え検索が出来るので簡単に調べることが出来る。
翌日、会社に事情を話した。上司は親戚のことならしょうがないと言うことで意外とあっさり有給休暇を許可してもらった。秋山自身すぐのすぐでは休みは取れないかな、と思っていたがすんなり取れたことで少しは安堵した。
 翌日。秋山は朝早く起き、東海道新幹線に乗車した。
 早朝6時台といえどもそこそこの乗客が乗っている。おそらく遠出の旅行か、出張か小用か分からない。と言っている秋山自身出張以外で新幹線に乗るのは久しぶりだ。親戚の見舞いとはいえ、仕事以外の目的での移動は旅行の感覚に近い。
(いつもラッシュで苦しんでいるのだから、たまには座席に座ってゆっくりと行きたい)と思うのは当然だ。いつもの通勤電車と比べると、新幹線の座席は天国そのものだ。座席に座って新聞や雑誌を読めるのも普段では考えられない。しかも秋山が乗る駅は始発駅ではないのでまず座れない。
 新幹線の社内は快適だ。これが毎日の通勤だったらさぞかし楽だろうに、と感じた。
 新幹線は豊橋駅に到着し、飯田線の特急電車に乗り換えた。最初の停車駅である豊川駅を過ぎたあたりから電車は山の中を走るようになる。ますます旅行の風情が強くなる。これがもし特急電車でなく、各駅停車なら更に旅情は強まるであろうと感じた。以前テレビで見たローカル列車の旅とそれほど変わらなくなる。今回ももう少しゆっくり行かれたら各駅停車でも良かった。けど日程的に一日しか有給が取れなかったので、多少料金が高くなっても早く着ける特急を使ったに過ぎない。
 都会に暮らしているので山間部の風景は癒される。何も手がつけていない自然のままの景色は良いものだ。一度はこうしたところに暮らしたいと思う日も幾度かあった。しかし都会の魅力と現状の生活に慣れてしまっている以上、田舎暮らしは長くは続かないな、と結局は行き当たってしまう。
 所詮は住めば都なのかもしれない。きっと飯田のおじさんも都会に暮らしたいと思っていても、体が付いていかないとか何とかでずっとそこに住んでいるのかも、と考えた。
 電車は山と山の間を縫うようにして走り、2時間近くかけて目的地の平岡駅に到着した。
 正に「思えば遠くに来たものだ」と言う言葉がぴったりな駅である。駅のホームからは高い山々が見える。
 駅周辺はそこそこ開けていて、住宅や商店が立ち並ぶ集落が広がっている。駅の改札を出ると既に飯田のおじさんは駅前で待っていた。
「初めまして」
「見ないうちにずいぶん成長したな」
 それもそのはず、小さい時にしか会っていないからだ。しかも親と一緒ならある程度は話が進むのだが、その親が健康上の理由で遠出が出来ない、ましては電車による旅行が出来ない、と言うことで自分ひとりだけで行って来いとのことなのだ。その時の親の言葉は今でも秋山の脳裏に残る。
「せめて雄二が自動車を運転できたら……」
 この言葉には彼の心にグサリとくるものがあった。確かに車があれば自由気ままに運転が出来、たとえ公共交通の便が良くない所でも行くことが出来る。今回のケースも親を連れて親戚の見舞いに行くことが出来る。
 しかしのその手段が無い現在、こうしてしまうのもある程度目に見えていた。
(やはり自動車は必要不可欠かな)そういう気持ちが長野県の山間部について改めて強くなった。
 車は2人を乗せて駅を出発した。駅前を抜けるとすぐに山道になった。特急に乗っている時、車窓からの景色である程度予想は出来た。
(自然が残っていて良い所だな)そう思っているのもつかの間、行けども行けども店はおろか家すらも建っていない。本当に寂しい山村だ。
(やはりこのあたりに住むには車は欠かさないな)と思うのも当然であった。
 駅から車に乗って一時間。やっと宮田さんの家に着いた。山肌のほんの少しの平地に住宅がへばりついている感じだと言うのが、秋山の素直な印象だった。昔行った時はそんな風には感じなかったが。