美食家泣かせの料理店  〜理不尽シリーズその2〜
 世はまさにグルメブームである。グルメ関係のTVを見ても雑誌を見ても、必ずと言っていい
ほど【5つ星レストラン】や【高級シェフの自慢メニュー】の文字が躍っている。
 一流の料理人の腕を振るった高級料理から、その地方でしか食べる事のできない隠れた名
物料理まであらゆるメニューが存在し、いずれも根強い人気を博している。さらに日本に居なが
ら世界各国の名物料理を思う存分食す事も可能だ。従ってプロ・アマ、自称・他称問わず料理
研究家や美食家を名乗る人が結構存在している。
 地球上では飢餓に苦しみ毎日の食事さえ満足に食べられない人が大勢いる中、世界有数の
先進国である日本ならではの現象であろう。日本人に生まれて良かったと思う人も多い筈だ。

 千葉県に住む桜沢真広(さくらざわまさひろ)40歳。相当の美食家で、究極のこだわりの料理を
求めて10年以上前から日本各地を食べ歩きをしていた。「していた」と記したのは、彼は昨年秋
をもって食べ歩きをやめたからだ。金がなくなったとか、病気になったとかという理由ではない。
 彼曰く、ただ単に「こだわるのに懲りた」のである。そうなったのも、去年の秋に行った料理店で
の出来事がきっかけで美食への追求を自ら封印したからだ。
  ……桜沢がいつもの様にインターネットで【こだわりの料理】を検索していると、ある一つのサ
イトのキャッチフレーズに心が惹かれた。
【完全手作り!妥協を許さぬスタッフが心を込めて作る自慢の逸品!手間暇と労力をかけて行わ
れた究極の料理を存分に味わう!】
彼にとっては全てがグッと来る文句である。(妥協を許さない頑固な料理人が手間暇かけて作る
究極料理・・・・・!!)桜沢はこう解釈した。
「これだ!」有無を言わずクリックした。
 そのサイト内容は桜沢が想像したものよりもはるかにシンプルだった。〔東京創作料理組合〕の
題字と上記の宣伝文句と住所と電話番号等が書かれているだけ。ただ一つ気になったのは「食
事を召し上がりの方は午前9時までに当組合にお越しください」と書いてあった点だ。
 しかし桜沢は(そのシンプルさがかえっていいのである。ホームページをいたずらに豪華にして、
来る客に余計な想像を働かせないようにした計らいだろう)
と考えた。おそらく究極の高級こだわり料理であろうと判断した。
「よし、決めた!今回はここにしよう!」桜沢は決意した。
 ちなみに桜沢は対象とする店を決めた後は、必ず巨大掲示板の【こだわり料理店】のスレッド
でその店の情報や噂話があるかどうか調べるように心がけている。これは北海道のある料亭に
行って満を持して名物料理を頼んだのに桜沢の嫌いな魚料理が出てしまい料理を堪能できなか
ったと言う苦い経験から、これに懲りて前もって店公式のホームページに載っていない情報を仕
入れてから赴くようにしている。事実掲示板にはちゃんとこの店の魚料理の内容まで書かれてい
たのであった。
 しかしいくらスレッドを調べても〔東京創作料理組合〕についての情報が載っていないのである。
(……あまり知られていないのかな……)と思い「穴場の店だ!」と勝手に解釈した。それが大き
な間違いだと言う事はこの時点では予想すらしていなかった。
 日曜日。ホームページに書いてあった通りに午前9時その店に向かった。その店は東京の上野
にあるごくありふれた6階建ての建物だ。
 看板に〔東京創作料理組合〕と書かれているので間違いない筈だ。けど桜沢の心にやや期待は
外れの感が沸いてきた。けど入ってみれば判るだろうと思い、その建物の中に入った。
 中はまるで役場のような造りになっている。
(本当にここでいいのだろうか?)と思いながらも、【受付】に向かった。窓口には30代にも40代
にも見える女性の受付係がいた。桜沢は受付係に尋ねた。
「あの、ホームページで見て来たのですが、ここでこだわり創作料理が食べられるのでしょうか?」
 受付係ははきはきとした声で、
「はい。6階が食事処となっております」と答えた。
 桜沢は予想していた外観と大きく違う事に対し訊いてみた。
「なぜここは役場のような建物なのでしょうか?」との質問に対しすぐさま、
「数年前まで公的機関が道楽で運営していたのですが、経営の悪化で民間に払い下げされまし
た。けどシステムはなぜか旧来のままで引き継がれております」との事。
「システムというと?」との桜沢の問いに対しても係員は間髪を入れず、
「こちらの用紙に個人データを記入してもらいます。もちろん個人データは当方で厳重に取り扱い
ます」と答えた。桜沢は怪訝そうな顔つきで、
「料理を食べるのに個人データを??」と尋ねると、
「食されたお客様に万が一の事態が発生した場合に備えて、当協会に登録しないと如何なる理
由があっても料理を作らない決まりになっております」
 桜沢は徹底したシステムに驚きのあまり返す言葉が無かった。桜沢は登録自体に懐疑心を持ち
ながらも渋々用紙を受け取り、必要事項を記入した。けど何で食事をするのに年収だの役職だの
家族構成等を書かなければならないか、と疑問に思った。けどこれを書かないと【妥協を許さない
料理人のこだわり料理】が食べられないと思い、全部記載して受付に提出した。
 すると受付係から「正式書類ですので戸籍に記載された名前でお願いします!」と言われ用紙
を返却された。これは桜沢にとってはちょっとした痛手だった。戸籍では彼の名前の全部の漢字
が旧漢字なのである。
 改めて新しい用紙を頂き、【櫻澤眞廣】と書き直した。旧漢字は久し振りに書いた気がする。
 すると受付係は「登録料として五百円頂きます」と言った。
 まあこの程度の負担は致し方ないか、と思い五百円玉を渡した。
 受付係は桜沢に「新規登録を受付けました。それでは2階の食券売り場へ行って下さい。2階へ
は奥にある階段を利用して下さい」と話した。
 桜沢は(やっと食事にありつける)と思い階段を上った。
 2階も1階と同じような作りだ。【食券売り場】と書かれた窓口には初老の男性係員が待機してい
て、まるで桜沢を待ちかねていたようであった。
 桜沢が話しかけるよりも早く係員は、
「あなたはどのコースをご希望ですか?」と尋ねた。桜沢がきょとんとしていると係員は面倒臭そ
うに壁を指差した。壁には【お品書き】が張られていた。そこにはこう書かれていた。
〔並コース 弐千円 刺身、揚物、煮物、焼物、ごはん、味噌汁、フルーツ〕
〔特撰コース 五千円 付出し、刺身、揚物、煮物、焼物、蒸物、食事、椀、デザート〕
〔こだわりコース 七千円 付出し、前菜、凌ぎ(しのぎ)、刺身、揚物、煮物、焼物、和え物、食
事、椀、羊羹〕
 桜沢は過去にもあらゆるこだわりメニューを食した経験がある。どれも高価で、瀬戸内(せとう
ち)のとある高級料亭では最上級のコースで弐萬円と云うかなり高価な料理もあった。
 こう考えても格段に安い。少し前まで公営で運営していたからかもしれないが、この値段でこの
内容は破格に相当するとも思った。
 何のためらいもなく「こだわりコースでお願いします」と頼んだ。
 係員に七千円を手渡すと、その引き換えとしてA4サイズの封筒を桜沢に差し出した。
 初老の係員は「これを持って隣に行って下さい」と話した。
 食券売り場の隣の部屋には何と【医務室】と書かれている。
(まさか料理を食べるのに健康診断はないでしょ!)と思いながら医務室の扉を開けた。
 医務室では若い医師が暇そうに本を読んでいる。医師は桜沢が医務室に入ると慌てて読んで
いた本を机の上に置き、眼鏡をかけると、
「封筒から診断書を取り出して上半身裸になって私の前に来なさい」と話した。確かに封筒の中に
は食券と診断書が入っている。些かの理不尽な思いつつ、医師の指示通りに服を脱いだ。医師は
聴診器を胸に当て、いくつかの問診をした後に、
「やや太ってますが特に身体には異常はありません。次は3階に上がって下さい」と淡々と話した。
 桜沢は「なぜ医師の診断が必要なんですか?私は生命保険に加入する為にここに来た訳では
ありませんよ!」と怒りを抑えながら質問した。
 すぐさま「私達が提供する料理は、食べる人が健康な状態で食べて頂く事が最低条件であり、
かつ最大の信念となっています。何とぞご了承を」と事務的な話し方で淡々と答えた。
 最後に桜沢の丸々太った腹を見て「あなたも日本各地で色々なこだわり料理を食べ尽くしてき
ましたね」と薄笑い声で言って来た。(余計なお世話だ!)と思いながら医務室を後にした。