第6章 命とは
 麻美の学校は携帯電話の所持および学校への持ち込みを許可している。ただし授業中は電源
オフという大原則がある。当たり前といえばそれまでだが。
 もちろん麻美も流行に遅れる事なく他の生徒と同様に携帯電話を所持している。もっとも友人と
のメールや電話が中心なのであるが。
 9月のとある日の昼休み。珍しく母からメールが届いた。
〔かごの中にいるはずのチャッピーが突然居なくなった。逃げてしまったかも〕
 しかし麻美にはチャッピーの居場所はすぐにわかった。チャッピーは、【出雲の八百万の神】の啓
示を受けてるので、多分出雲に会合か何かで出かけているのであろう。
 もちろん普通の動物と少し違うので、神の力の一つであるテレポーテーションで瞬時に出雲に行
けるのだ。そう言えば麻美が最初の頃に出逢った「守り神」の鶏もそうであった。
 けど母にはそんな大それた事は言えない。おそらく信じてもらえないか嘲笑してしまうかどちらの
反応をするに違いない。
母には〔わかった。部屋のどこかにいると思う。帰ったら探してみる〕とありきたりな内容のメールを
打った。
 帰宅後、麻美は部屋に入ると既にチャッピーはかごの中でひまわりの種を食べていた。
 チャッピーは、麻美が帰ってくるなり報告してきた。
「そういえば今日の会合で、蛙さんからマミちゃんに『四街道の駅の近くに住むネコが会いたいっ
て言っていたよ』との連絡を受けたよ」
 麻美はそれを聞いて(あの蛙さん、まだ元気に活動しているんだ……)と思った。
 私に会いたいというネコがいるという事だから、私も結構動物界では広く知れ渡っているんだな、
と改めて感じた。
 そしてチャッピーにそのネコがいる家の大まかな位置を教えてもらった。学校から結構離れてい
るが同じ市内なので、自転車で行けない距離ではない。
 日曜日。麻美は蛙さんから情報を受けたネコを探しに、JR四街道駅周辺を自転車で回った。
 駅前はスーパーもありちょっとした商店街になっているが、バス通りを一本越えると比較的閑静
な住宅地になっている。
 住宅地の中にある比較的古い家の庭先から突然小さい声で「マミちゃん」という声がしてきた。
 その声は会いたいと言っていたネコだった。きっとネコ独自の第六感で麻美ちゃんの匂いや動き
を察知していたに違いない。ネコと云えどもそんじょそこらにいるネコと違い、かなりの高齢であると
いう事が外観から良くわかる。
 麻美はその家に一人で留守番しているおじいさんに玄関のインターホンで、
「そこを通りがかったものですが、お宅のネコを間近で見たいので庭に入っていいですか?」と尋
ね、おじいさんから了承を得ると、
「お邪魔します……」
と言いながら庭先に入った。ネコは、
「マミちゃんに逢えて本当にうれしい。何しろ人間でありながら、私のようなネコの言葉が理解でき
ると聞いて、内心嬉しくなったのです」
 麻美はネコにその理由を聞いてみた。
すると人間のおかげでこうやって18年も長生きができた。一生野良だったらここまでは生きられない
はずだ。だから寿命を延ばしてくれた人間の心遣いとペットメーカーのペット関連用品などの開発に
感謝する。とのことだ。
 確かにペット用品についてはネコ同士や他の動物では分かり得ない部分もある。だからと言って
メーカーでもペット店の人ではない麻美に感謝しても【お門違い】といえばそうかも知れないが。
 そのネコは18年も生きているだけあってこの世の中の事情を人間以上に知っている。もちろん麻
美の生まれる前から生きているので、昔の話も興味深く聞けた。
 麻美は博学でそしてどこか品のある老ネコを気に入って、毎週のように短い時間ではあるが話を
するようになった。もちろんその家のおじいさんも、ネコ好きな女の子とい言う事で家族からも了解を
得たみたいだ。
 そして10月の日曜日。
 いつものようにネコの家に行った。その日はネコは庭で眠っていた。
「ネコさん」と声をかけるとネコはゆっくりと目を開いた。
「マミちゃんおはよう。……どうも年になると睡眠時間が長くて。この年になると24時間のうち22時間
は眠っているようになってしまったよ」
 そうか、このネコはかなりの高齢だからお休みのところを無理に起こしちゃだめだったのかな。と
思った。するとネコは麻美にこんな質問をしてきた。
「このあたりに大きな公園はないかね?」
 麻美は不思議に思ったが、すかさず、
「この近くに城山公園があります。ここならどうでしょうか?」と答えた。
 するとネコは、やおら起き上がって
「ありがとう。早速探してみるよ」
 と語ると庭を一周し麻美が開けた木戸の隙間から道路へ歩き出した。
 不思議に思った麻美は、
「もしかしてその公園に行くの」と答えた。
 すると「そうだ。私も18年生きてきた。そろそろ私の死期が近づいてきた。だから城山公園でのん
びりと最期のひと時を暮らしてみようかと……」
 麻美ははっとした。確かにネコは死期が近づいたと察すると、自らひっそりとした所で誰にも気づ
かないように死ぬという。この老ネコは今まさにそれを行おうとしているのだ。
 【生きる】と言う事を冷静に考えてネコなりに行動しているのである。こればかりは寿命の事だか
ら誰にも止められない。
 「お元気で!短い時間だったけど楽しかったわ!」麻美は声をかけた。
ネコも「マミちゃんと生涯の最期に知り合いになって良かった。いい冥土の土産になったよ」と最後
の力を振り絞った感じの声で答えた。
 そしてネコは隣の家の塀の隙間に入り、マミの視界から姿を消した。
 麻美の目から涙がこぼれ始めた。まるで親友が急に転校してしまう事に似た感情になった。
 けどこれも人生(ネコ生)なんだと。きっとあのネコも18年間の充実した人生を送っていたのだなと
思った。その【終楽章】に私との出会いがあったのだと。
 ネコ世界の【あの世】でもすばらしい生活を送ってほしいとも思った。
 麻美はしみじみとした気分になりながらも家路に向かった。
 翌日、市内のあちこちにあのネコの張り紙がされていた。
【猫を探しています。18歳 メス 雑種 見かけたらご連絡ください。 四街道市桜が丘 石井】
 上の文言が、デジカメで撮影したあの老ネコの悠々と寝ている姿の写真と一緒に印刷されていた。
麻美の学校の近くにも同じようなものが張ってあった。
 けど麻美は、これはネコの寿命だから仕方がない、と思いながらもその家族にとってはかけがい
のない家族の一員だったという事が身にしみてきた。
 張り紙のレイアウトや写真の撮り方から見ても、別れはいずれは必ずやってくるとは分かっていな
がらも自分の家にずっと住んでいたネコの死をそう簡単には受け入れていないような感じだ。
 その事をチャッピーにも話した。
「なるほど。死ぬ前に一度でいいからマミちゃんを見たかったネコか……いい話だな。今度の会合
で報告しておくよ」
 チャッピーも【寿命】と言う生物にとって絶対に避けられないテーマにまじめに考えていた様子だ
った。
 麻美は短い間であったが、あれこれ為になる話をしてくれた老ネコとの思い出を心に刻んだ。
 もちろんこのネコには出会いと別れ、そして命と死についても少し考えさせられた麻美であった。
【続く】