5、せんこう花火 「引越し」
 いつの時代も一人っ子というのは両親に甘やかされて育ってきているので、わがままな人
が多いとされている。
 もっとも兄弟姉妹がいないという寂しさからついつい親のほうもあれこれ要求だけでも満た
してあげようかという心情もあるのだが・・・
 それでも現代に比べて、昭和30年代位まではまだまだすべての家の生活が裕福ではない
ので、その家の経済状態によってはわがままをしたくてもいろいろな事情から我慢せざるを
得ない状態になっているところもあったらしいが。
 埼玉県の南部のとある市に住む菊池さんの家は、市内でもかなり多くの畑や田んぼを持
つ地主という関係上、明治時代から裕福な暮らしを続けていた家柄であった。
 けれど悲しいことに時代が変わると事情も変わるのである。埼玉や神奈川や千葉といった
東京周辺地域は、交通網が発達するにつれて、首都東京に近いすばらしい立地条件と呼ば
れるようになり、昭和30年代中ごろから大手の不動産が次々と進出してきたのである。無論
菊池さんの所有する田畑も、住宅建設用地として半ば強制的に比較的安い値段で業者に買
い上げられていった。
 時を同じくして埼玉南部あたりでは、急速に進む都市化によって農業をする事が難しくなっ
てきたのであった。そのご多分に漏れず次々と菊池さんから農地を借りる人も減っていった
のである。
 その結果、昭和30年代も後半になると、菊池さんのもとには売却されたことによって得ら
れた数百万円の地代とわずかな敷地だけしか残らなかったのである。
 菊池さんは覚悟を決めていた。
(今住んでいる家と土地も売って、新たな気持ちで都内に引っ越そうか……)
 無論一家の主が決めたことなので皆その意見に従った。そして住居や土地を100万円で
売ると家族は東京に引越しをした。
 東京の暮らしは3LDKの一戸建てだった。付近の環境も比較的良かった。けど引っ越して
失望する人もいた。
 菊池さんの一人息子、幸夫君(10歳)がそうだった。
 埼玉で生活していた時のほうが広い家で庭も広かったし、遊ぶところも沢山あったし、友人
もたくさんいたし、自然も多かったし……。と毎日愚痴をこぼしてる。
 確かに子供にとっては自然は一番の遊び場なのだから都会のこまごました空間は好きで
はないのは当然である。
 そしてなりよりも幸夫が一番失望したのが「家から花火が見られない」という事である。埼
玉にいたときは毎年夏になると近くの河川敷からかなりの数の打ち上げ花火が打たれるの
であった。しかも菊池さんの庭から川が良く見えたので、庭から花火が思う存分見られたの
であった。
 東京でも打ち上げ花火で有名なは何箇所かあるが、残念なことにいずれも幸夫の家から
は遠いのである。
 引っ越してきた年の夏、
「遠くてもかまわないから打ち上げ花火が見たい!」と幸夫がせがむので、しょうがなく親は
電車で花火見物に連れて行った。しかし会場は大混雑で満足に花火も見られずに夜遅くに
疲れて帰ってきたのである。それに懲りたのか、その年以来菊池さん一家は、わざわざ遠く
まで花火大会に見に行かなくなった。
 翌年の夏。幸夫がまた花火のことについて口にしだした。けど近所で花火大会が開かれ
ない限り彼の欲望は満たされない。親の目からすると、幸夫は埼玉に住んでいたよりも元気
がなくなっているように見えた。
 それに見かねたのか親はおもちゃ屋で玩具花火を買ってきた。
 けれど彼はそんな親心を踏みにじるかのように、
「こんな小さい花火じゃ面白くないよ!」と意地を張っている。
「せっかく買った花火を店に返すのも癪だし、保管しておいても意味がないし……」
 仕方ないといった表情で親は幸夫が見ているのをよそに、勝手に袋から花火を取り出して
おもちゃの花火をさも楽しそうに楽しんだのである。
親は「楽しいよ!一緒にやろうよ!」と無理をしてできる限り幸夫におもちゃの花火の楽しさ
をアピールしている。
幸夫もさっきは嫌な顔をしたが、一人っ子特有のわがままであり本当はまんざら嫌いでもなか
ったのだった。
 親が最後に火をつけたのがせんこう花火だった。
 幸夫はなんとなくせんこう花火に神秘さを感じた。他の花火と違って見た目は地味だがどこ
か哀愁を感じるものがある。そして消えそうでありながら消えない火花、そして不規則に広が
る火花……、
 親がせんこう花火を楽しんでいると、思わず幸夫は
「ボクにもやらして!」と頼んだ。
 せんこう花火の素朴の中の華麗さが幸夫の心をつかんだみたいだった。それ以来おもちゃ
の花火でもせんこう花火だけは好きになった。もちろん幸夫は本当の打ち上げ花火が一番好
きなのだが。
 幸夫は、そしていつの日かまた埼玉にいたときのように自分の家に庭から打ち上げ花火が
見られる日が来ることを心から待ち望んでいるのであった。
【完】
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