14、着物  「母の形見の着物」
 昔から【金は天下の回り物】とよく言われているが、物も人から人へ、手から手へ回る事
も良くある。最近では中古品に対する認識の変化や資源の再利用という観点から、いらなく
なったものをフリーマーケットやリサイクルショップに出したり、ネットオークションなどで欲しい
人に売るといった、不用品を再活用するシステムが確立しているが、以前は不要になった物
を見ず知らずの人に売ったり差し上げたりするシステムはほとんどなかった。けど物のを再利
用する手段は今よりもたくさんあった。
 衣類は【お下がり】などで兄弟の大きい順に着させたり、親戚や知人などで使い回される事
が多かった。穴の開いたなべなどを修繕する業者もたくさんあり一軒一軒巡回する人もいた。
ちり紙交換は今より活発に行なわれていたし、古い金属を回収する業者も存在していた。今
では考えられない事だが、地面に落ちている釘などを磁石で集めて業者に回収し、わずかな
報奨費用で食をつなぐ人や生活費の足しにした人もいた。
 いずれもあらゆる物を使い捨てにしないで活用するといういい例である。
 それよりはるか昔、江戸時代は昭和30年代以上に完全完璧なリサイクル社会だったと言わ
れている。製品を使い終わっても価値がある以上は修繕したり色々な素材として使ったりと、
ずっと使いまわしていた。さらに衣類や紙や木などの燃えカスである灰も肥料などに再利用す
るといった徹底振りであることは広く知られている。
 
平成16年の年末の午後、東京に住む吉岡さんの家。この家のたんすにずっとしまわれていた
一着の着物があった。その着物はそこそこ良い生地を使っている高級品であったが長年着て
いないせいか彼方此方しみになったり虫食いになっていたりしていた。
 この家ではたんすの中に仕舞われたままになっている衣類や、くたびれてきた衣類や古い
衣類を年末に一掃するのが習慣となっている。
「この着物も結構高級だったけどもう着られないね。小さく切って雑巾にするしかないね……」
 母の和枝(63歳)は寂しそうに言った。
そこにやってきた次女の詩織(28歳)が、
「あら、意外ときれいな着物じゃない。それどうしたの?」と尋ねた。
和枝は詩織に、
「この着物は私の母、つまりあなたのおばあさんの嫁入りの時に買っていただいたものなの。
もう50年以上の前のものなの……」と答えた。
 この着物は和枝にとって亡き母の唯一の形見であり、宝であった。
 着物というものは保存状態がよければ50年くらいは素材を維持できるのである。
 けどこの形見の着物を一時期手放したことがあったのである。再びこの手元に戻ったことは
和枝にとって本当に【奇跡】だと今でも思っている。

 時は昭和30年代にさかのぼる…… 昭和37年。和枝の家は当時としては一般的な家庭だっ
た。電化製品もある程度は所持していたし、衣食住満足に足りていた。
 けどそんな時代から急変する事態が発生したのである。
 翌年、和枝の父の会社が倒産、一気に収入が途絶えてしまったのであった。けれど当時は
物価もそれほど高くなかったので生活を切り詰めれば何とか生活ができたのであった。
 また今ではあまり見かけなくなったが質屋があちこちにあって、日常品を担保として預ける
代わりに金銭を貸し付ける、いわゆる庶民的金融機関があった。
 したがって和枝の家でも収入が途絶えたあと、母は家にある値打ち物を質屋に通っては金
に換えていたのであった。
 もちろん質屋も慈善事業で金を貸しているのではないので一定期間内に金を返さないと、い
わゆる【質流れ】になり、その商品は店のものになり【質流れ品】として店頭で販売したり、専
門業者に転売されてしまうのであった。したがって最悪の状態を踏まえ、流れても仕方ないと
思って質に入れる場合が多かった。
 昭和40年になるといよいよ家の中の値打ちのものは少なくなり、質草になりうる品物が一
部の家電品と少しの着物だけになってしまった。
 和枝が母に
「お母さん、また一六銀行(いちろくぎんこう・質屋をあらわす隠語)に行くの?」と尋ねた。
母は、「もう預けられるのはこれしかないわ……私が嫁入りのときに持ってきた礼服……こ
れだけは入れたくないけど、生活の為には……」
 母の目から涙がこぼれている。いくら大切な品といえども生活ができないのでは仕方がな
い。土地と建物を売っても住むところもないし……。
 母は断腸の思いで大切な着物を質屋に持っていく事にした。
 質屋に入った母は店主に
「私の嫁入りのときに母が買ってくれた西陣織の礼服です」といって差し出した。
 店主は慎重に鑑定し、沈黙の後
「……これは高級西陣で結構価値があります。仕立ても丁寧です。けど最近では着物はあ
まり人気がなくて……ここ数年景気がよくなってきたのか、生活の変化か洋服の人が多くな
ってきたから……」と淡々と言ってきた。
 そして店主は
「まあ相場に若干の色をつけても1万円でお貸しするのが限度ですな……」と答えた。母は渋々
ながら承諾した。
 家に帰るなり母は泣き崩れていた。大切な着物があまり値が付かない事と、泣く泣く手放した
事。その気持ちは23歳の和枝にもひしひしと伝わってきた。
 その後母は何か気が吹っ切れたのか、積極的に内職を探すようになり翌月には縫製の内職
を見つけたのであった。また同じ頃父も新しい職に就く事が出来た。
 それから和枝の家の家計は少しずつ上向いてきた。給料も少しずつながら増え、質屋に入
れていた生活用品も順次取り戻し、日常の生活も以前のレベルまで戻ってきたのであった。
 3ヵ月後、母の内職のお金と家計のへそくりを合わせて一万円を捻出することができた。
 母は、これで着物が質出しできるとばかりに急いで質屋に向かった。
 質屋に行き、店主に話をしたら、形見の着物は数日前に質流れてしまったのであった。けど母
はあまり動揺はしなかった。質に出すときから半分は自分の元には戻らないと覚悟を決めてい
たからであった。
  しかし運命というものは時によっていたずらなものである。
 次の年に和枝はお見合い結婚をした。相手は中小企業の役員の息子であった。そして結婚
式当日。和枝と両親は結婚式場に出向いた。
 家族は【吉岡家・金子家結婚披露宴控え室】で待っていると、しばらくしてお相手の金子家の
一家がやってきた。
 母ははっとした。お相手の母親が【あの着物】を着ているのであった。
(もしかして……!)と母は感じた。母は失礼だと知りつつ
「まことに失礼ですが……そのお着物はどこでお買い上げされたのでしょうか?」と尋ねた。
すると金子さんの母は、突然の問いに一瞬驚きながらも、
「これですか?!恥ずかしながら、この着物はデパートの質流れセールで安く買ったものでござ
います……」と答えた。
そして更に母は、
「これはもしかしたら私が質屋に入れたものではありませんでしょうか?袖の裏に名前を入れて
いただいたので……」とまた失礼ながら聞いてみた。
 よく見ると【吉岡】と金で刺繍がしていたのであった。
「ああ、たしかに私のです!!……なんという奇跡というか、私はとても嬉しいです。実はこの
着物は母の形見であり、家の事情で質に入れたのであります……」
 なんというめぐり合わせなのか!母が感激するのも無理はない。一度手放した形見の着物を
新郎の母が買ったのであるから。
 血縁で結ばれるので自分のところに戻ったのも同然だからである。
 それを脇で聞いていた和枝が驚きそして喜んだ。母の形見が巡り巡って元に戻ったのだか
ら……。
 その後結婚式で新郎の母が着ていた着物は、10年後義母から和枝に渡された。母もその
事を知って再び感激した。それもそのはず、一度手放した形見の着物が自分の子供の元に戻
ってきたのだから。

「本当に運命というのは分からないものね。いつどこで自分のものになるか分からないものだ
ね!」詩織は感慨深く語った。
和枝は「そうだね。あの時お父さんとお見合いをしなかったらきっとこの着物は永遠に私の元
に戻ってこなかったのだもの」と言った。
 あっというまに時計の針は6時を過ぎている。
「あらあら、話しているうちにすっかり暗くなってしまったね。片付けはこのくらいにして夕飯の
支度をしなくちゃ!」
というと和枝は、思い出深い着物をまるで別れを惜しむかのように処分用のビニール袋に入れ
ると、急いで台所へと足を運ぶのであった。

【完】
参考サイト:江戸時代のリサイクルと現在のリサイクル http://www.sipeb.aoyama.ac.jp/~kse-h ome/class/g71.htm
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