22、ダンゴ 「お地蔵様のお供え物」
 昔は今と違って医療が進んでいなかったため、元気だった人が突然病に倒れると人々は
かなり慌てていたそうだ。また地域によっては「神が悪さをしたからだ」という風評がつきま
とわっていたこともあった。そのためか医療を信じず祈祷に走る人も居たという。
 昭和31年。炭鉱があちこちにあり鉱業が盛んな福岡県の片田舎に住む小学3年生の男の
子がいた。名前を健太といった。彼は校内でもまじめで活発な性格で、近所の子供たちも彼
を慕っていたのである。
 しかし彼が小学5年になったときから様子が変わってきたのであった。
 健太の父親が炭鉱で働いていた最中、突然倒れたのである。もっとも現在では父の病名は
「塵肺(じんぱい)症」と言う病名で、きちんと原因がはっきりしていて予防が確立していたが、
当時はまだ法整備もされてなく謎の多い【不治の病」】だった。
 当時の国の制度が未発達なため対応が遅れ、今でも各地で訴訟が行なわれているのはTV
や新聞でご存知の通りである。
 もちろん健太にはそのことは全く知らなかったのである。自分の親の現状が心配で遊んでい
るどころではないと思ったのである。健太は自ら進んで遊ばなくなってきた。そして自然と看病
や家事をしている母の世話や手伝いをするようになった。最初のうちは母は、息子が色々手伝
っていく姿に感心していたが、父の病状が重くなるにつれ段々その余裕もなくなってきた。
 ある日母は知人から「毎日拝めば父の病が治る」と言う触れ込みを半信半疑ながら信じ、意
味深な人形を知人からもらってからは毎日毎日朝に夕にそれを拝むようになっていった。俗に
いう加持祈祷(かじきとう)である。
 もっとも父の病が重くなり、薬も効かない(今でも有効な治療法はありません)となるとどうして
も神頼みしか道がなくなってしまうのである。
 そんな姿を見て健太は寂しくなった。(どうにかして親が元通りになってくれれば……)と思う
日々が続いた。
 そしてある日曜日のことだった。健太はいつものように(何かいい方法はないか・・・・)と一人
何とはなしに家の外に出た。もちろん健太はまだまだ子供なので決定的に対処法は知る由も
なく、ただあてもなく歩き続けた。住宅地をしばらく歩くとあたりは田園風景になっていった。道
端にはお地蔵様が数体おかれていた。そのうちの一体にはダンゴがお供えしてあった。
 それを見て(……どうしよう……)健太は思った。お地蔵様の力を借りてそのダンゴを拝借し
てそれを父に食べさせると治るかも?けどお供え物だからかえって罰当たりになるかもしれない……。
 健太の脳裏に天使と悪魔が現れ、葛藤が始まった。
悪魔:誰がお供えしたのか知らないがそのまま腐らせるよりも食べてもらったほうがいい。叶っ
たらあとで別なものをお供えすればいいだけだ。気にしない気にしない。
天使:たとえお供え物あっても人のものは絶対に取ってはいけない。ましては相手は地蔵菩薩
だ。お供えした人の心労がそのダンゴにこめられている。食べさせてはいけない。
葛藤の中、どういうわけか健太は悪魔の言い分をすんなり聞いてしまった。そうなると天使の忠
告はただの雑音でしかなくなった。
(これを食べてお父さんに元気をつけてもらおう)と思うと健太はお地蔵様に供えていたダンゴを
持ち帰った。
 健太は喜び勇んで家に帰った。母は病院に行っていて家にはいなかった。さっそく寝込んで
る父にお地蔵様に供えていたダンゴを渡した。
 包み紙ごと枕元におかれたダンゴを見て父は、
「このダンゴどこで買ってきた?」とたずねた。
健太は「違うよ。もらってきたんだよ」と、とりあえず茶をにごらせた。
不審に思った父は、
「どこの誰からもらった?」とさらに問い詰めた。しかし健太は本当のことを言うと怒られると思い
何も答えなかった。
 何も答えないのを見て、
「まさかお店のものを盗んだ訳じゃないだろな!正直に答えろ!」と怒鳴り始めたので健太は
小声で、
「田んぼにあったお地蔵様のお供え物を持ってきた……お父さんお病気が少しでも良くなれば
と思って……」と白状した。
 父は健太の言ったことがあまりにも意外だったので
「……そうか……お前の気持ちは分かった。でも勝手にお供え物をもらうことはいけないこと
だ。こういうものは供えた人の怨念(おんねん)がこもっているので盗んだ人に罰が当たるよう
になっているのだ」といい終わると
「今すぐそれを元に会ったところに戻してきなさい。そしてそのお地蔵様にきちんと謝ってきな
さい」と諭された。
健太は「……わかった。僕が悪かった。今すぐお地蔵様のところにお団子を返しにと謝りにいっ
てくる……」というと家を飛び出した。そしてさっきの田んぼ道を進みそのお地蔵様にそのダン
ゴを返した。(僕が悪かった。これからいい子になりますのでお許しください)と祈ると父のいる家
へと向かった。

 それ以来健太はダンゴを見ると、ダンゴを持って帰ってきたお地蔵様のことと、その際に父の
言った言葉を思い出すようになった。
 しかしその父は看護や祈祷の甲斐もなく健太が中学3年のときに塵肺症で亡くなってしまった。
そして健太が田んぼ沿いにあるお地蔵様の脇を通るたびにお地蔵様に対し一礼をするようにな
った。これは健太が大学進学で東京に上京する時まで続いた。
(あの時父が黙ってそのダンゴを食べてくれていたら一体どうなっていただろう……)と思うと、あ
の時父の言った事は正しかったのだと思う気持ちが沸いてくる健太であった。
【完】
参考資料:やさしい疾患手帳〜古くて新しい病気”じん肺”〜健診センター所長 大久保 浩司
http://www.hamamatsu.jrc.or.jp/mati/mati2003011.htm
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