19、お茶  「お茶くみ名人」
最近は少なくなってきたが、以前は新入の女性社員の仕事はお茶くみとコピー取りが定番
であった。
仕事の男女平等化(均等化)という事由から、少し前から雑用ばかりをする女性社員をさせ
なくなったのである。
 しかし昭和30年代くらいまでは、まだまだそのような考えはあまりなく、男女によって仕事
の内容が分かれていたのであった。
(この作品中に現在の勤務実態や会社事情と多少異なる箇所があるかと思われますが、
あくまでも昭和30〜40年代を背景にしたお話であります。その点はどうかご了承ください)

 昭和39年。都内の中堅企業で働くOL、金谷薫(かなやかおる)20歳。彼女の実家は静岡
の茶畑で日本茶を生産している農家であった。
 彼女は静岡の高校を卒業後、上京して今の会社に勤務しているのである。庶務課で働い
ているが、仕事はもっぱらお茶くみや書類整理程度しか与えられなかった。けれど薫は静
岡の片田舎の高校を卒業して、大都会東京の中堅企業で働けるだけでも満足であった。
 小さいときから家族がお茶を育て製品化している姿を目にしているので、お茶に対する愛
情は人一倍強かった。
 その為、薫は社員に出すお茶も丹精をかけて淹(い)れているのである。その甲斐あってか
「金谷さんの淹れたお茶はとてもおいしい」ということで社内でも定評である。
社内で「金谷の淹れたお茶には必ず茶柱が立つ」という話が広まり、さらにその茶を飲んだ
社員の成績が不思議と向上しているらしいのだ。もちろん薫自身特別なことは全くしていな
く、ごく普通に淹れているだけなのだが……
 それに目を付けた社長は薫を庶務課から営業課に配置換えをした。配置が換わっても薫
はお茶くみのような雑用ばかりさせられていた。けど彼女はそれはそれで満足だった。
 彼女が淹れたお茶に特別な効果があったのか、営業課の社員の腕が上がったのか、こ
の会社で連日新規の契約を多数取れるようになり、その結果会社の売上げが大きく向上し
たのである。これは会社設立以来の奇跡としても過言ではない。
「金谷の力はすごいな」と社長が機嫌を良くし、さらに社長が彼女を最大限優遇してくれたお
かげで薫の給料は倍増し、さらに社長秘書代理も兼任するようになった。
 秘書代理ということなので会社にとって特に重要な任務ではなかったが、ここでもお茶淹
れや書類にはんこを押す程度の職務であった。
薫はそれでも一つも態度を変えずに、
「こんな不慣れな私でも会社が私を必要としてくれているのだ」と思うと何一つ不平不満も言
わなかった。
 実は知らずのうちに彼女に「その人の能力を向上させる効力を持つ茶を淹れることができ
る」という特別な力が備わっていたのである。もちろんその事は彼女自身全く認識も意識もし
ていないのであるが。 薫が社長秘書代理になって一ヶ月くらいたったころである。
 ある冬の昼下がり。会社の最上階にある社長室。
「おや。このお茶に茶柱が立ってますな。どうやらこの会社に縁があるみたいですな」
 応接テーブルで秘書代理から差し出された茶を見た途端、白髪の老人は満面の笑みを浮
かべはじめた。
その人は、やり手で知られる大手商社の会長だったのだ。そのお茶をすすった途端
「何と絶妙な味わいなのだ!ほろ苦さの中に甘さもあり、とてもまろやかだ!」その会長は
薫が入れたお茶を絶賛している。
「いやーあなたの企業は素晴らしい能力を秘めている。ぜひともわがグループの傘下になっ
て欲しい。もちろん社員全員採用し我グループでもブレーンとして位置付けさせますのでどう
かよろしくお願いします!」
 業界でも一目おかれている存在である会長の口から思いもよらない言葉が発せられたの
である。もちろん社長も目を白黒して【発言】の真偽を疑っている。
 その社長は薫の会社をたいそう気に入ってくれて吸収合併したいといってきた。もちろんこ
れも薫の【能力】であることはいうまでもない。それに対して社長は有無を言わず快諾し合併
契約書類にサインをしたのである。

 こうして薫の会社は大手商社の一グループ企業までに成長を遂げたのである。もちろんそ
の段(くだん)にあっても薫の【特別な力】を決してひけらかさず自慢もしないのである。もち
ろん自分にそんなすごい力があると知らずに、今日も社員にお茶を淹れ続ける薫であった。

 昭和50年代になると企業の機械化や人員の合理化や男女による職差別の解消などととも
にいわゆる【お茶くみOL】が減り、その代わり各課に給茶機や自動販売機が置かれるよう
になった。
 その頃になると薫の【特別な力】も鈍ってきて、茶を淹れても茶柱も立たなくなった。もちろ
んその茶を飲んだ人が成績が急上昇することもなくなった。けれどその段になっても彼女が
淹れた茶の味は他の人が淹れたものよりもはるかにおいしかったのであった。
 それと同時に彼女の企業でも各階に給茶機が置かれるようになった。
 読者の中には「そうなってしまったら薫の仕事はいったいどうなってしまったのか?」と思う
かもしれない。けど彼女のことについて心配はご無用である。実はその年に薫は寿退社し
たのである。お相手はあの時薫が淹れたお茶を飲んで絶賛してもらった大手商社の親戚の
長男であった。【玉の輿に乗る】とはまさにこのことであった。

 時は経ち昭和から平成の時代になった。薫は50歳を越え、今では2人の子供を持つ主婦
になっている。夫は前働いていた企業の子会社で部長をしている。
 ある日薫が夕飯後、久しぶりに家族にお茶を淹れた。最近は簡便な茶飲料が販売されて
いるので、薫にとって茶を淹れるのは会社にいたとき以来だ。
「お、お茶に茶柱が立っている。今日はいいことがありそうかな……」久々に心を込めて茶
を淹れた薫に笑みがこぼれた。それを飲んだ夫も
「薫のお茶はやはり一番だな」と言ってくれた。
 年齢を重ねても薫の【お茶淹れ技術】はまだまだ健在であった。
【完】
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