25、祭り  「源さんの祭囃子」
                 活字中毒支援サイト「novela」 作品テーマ【祭】参加作品)
 神奈川県にのとある住宅団地。昭和40年代から開発が進められ、昭和の末には2500人
が住む中規模の住宅団地にまで発展した。
 その団地では当初から祭りが無かった。団地組合が主体で清掃作業とか親睦会とかは
あるのだが、今ひとつ地域の結束が強くはなかったのだ。
 団地の運営委員会でその事が取り上がると色々な意見が出てきた。
「ならば祭りを開こう!」会長の本間源一さんが大きな声で叫んだ。
 本間さんは現在65歳。団地開発前から住んでいた家の一つで、以前は畳店をしていた。
10年前から店の仕事の傍らで地元の技術専門学校で畳の製造指導をしている。数年前
引退し今は団地の会長も務めている。
 昭和63年の正月。団地の管理事務所で今年の団地主催行事を決める会合で、
「ワシが若かったころ、この辺りでも祭りが行なわれていたんじゃよ。ワシは山車の上でお
囃子(はやし)の笛を吹いていたのだから!」
 ひょんなことから昔の話をしだした本間さん。さすがに本間さんも若い頃の話をすると目が
輝いてくる。
 他の委員も「祭りはいいですね。色々な人が楽しめるし」という意見が出てきた。祭りを開く
ということで全会一致で決定した。
「ただ漠然と開くのはつまらない。何かイベントをしないと」という案が出たので本間さんが
「以前あった山車を復活してはどうか?」と提案した。
 けど山車はかなり前に火事で焼けてしまったそうだ。
「どうせなら子供が喜ぶものがいい。軽トラックを改造して山車に見立ててそれを子供が
引っ張ればそれでいい」という妙案に一同は納得した。
 するとは「お囃子はワシの知人で山車の囃子連の人が居るから頼んでみる!」と言った。
 本間さんは喜んだ。それもその筈。長年の夢だった祭りがここで復活するのだから。そして
子供達の喜ぶ顔を見るのも好きだったから。  
 2ヵ月後、昭和63年のある春の日曜。住宅団地のメイン通りを通行止めにして【第一回団
地祭り】が開かれた。メイン通りの商店街の方々が色々な模擬店を出し、たくさんの客を呼び
寄せた。会場内の広場に設けられたステージでは地元の人の民謡踊りやカラオケ大会や
クイズ大会が華やかに催された。
 しかしこの祭りに本間さんの姿はなかった。実は本間さんは数週間前に骨折して入院して
いたのだった。だから祭りのメインである山車にもお囃子として乗ることができず、囃子連
での太鼓と鐘だけの演出となった。
 それでも軽トラックを改造して荷台の上に唐破風(からはふ)仕立ての屋根をつけた本格
派の山車は子供はもちろん大人もその出来に感心した。
 病室で委員の人が撮った写真を見ると本間さんは大粒の涙を流しながら、
「祭りを開いてよかった。皆さん生き生きと祭りを楽しんでいる」と感動していた。
けど「せめて生きているうちにもう一度お囃子を吹きたかった……」と残念がっていた。委
員の目にはそれが実に切実に見えた。
 団地委員会は緊急に会議を開き、本間さんの見舞いに行った委員が
「次回の団地祭りは秋にしよう」と言い始めた。
 各委員からどよめきが起きた。道を通行止めににする為の警察の許可が面倒とか、宣伝
が大変とか言っていたが、本間会長の為にも、秋にもう一度祭りを行おうと決まった。
 秋で農作物の収穫の時期だという事から、農家から軽トラックが借りられないので、今回
は山車なしという事態に陥った。議論の末、祭り会場のステージでお囃子を披露するという
事で解決した。会長はそれでも快諾した。
 秋、【第二回団地祭り】が開かれた。今回も模擬店を初め色々な企画で盛り上がった。山
車の代わりに有志が作った手作りの御輿(みこし)が団地内を練り歩き好評を博した。
 楽しい時間はあっという間に過ぎ、いよいよ最後の出し物となった。
 ステージ周辺の広場には大勢の団地の住民で溢れている。進行役は、
「最後に、この団地祭りを考案し、企画運営を行なった本間会長と会長の懇意である埼玉
県の燕会囃子連(つばめかいはやしれん)による祭囃子を演じていただきます。それでは
お願いします」と紹介した。
 本間さんはこの日ばかりにと昔着ていたハッピと鉢巻を纏い、以前から練習していた笛
を住民に披露した。
 もちろん住民からすれば初めて聴く本格的な祭囃子、軽快な笛の音色に全員が魅了した。
「源さん最高!」「源さん日本一!」という掛け声があちこちから聞こえてきた。
 本間さんは力いっぱい祭囃子を演奏し終わると会場から割れんばかりの喝采を受けた。
「これでよかったんだ……」本間さんは感無量になった。
 祭りが終わった後、管理事務所で開かれた「お疲れ会」でもお囃子の披露をし、酒が入る
とすっかり若いときの「源さん」に戻っていた。
 団地祭り以来本間さんのお囃子の腕は団地中に知れ渡り、有志にお囃子の指導をするま
でに成長したのであった。もちろん本間さん、いや源さんは笑顔で快諾した。

 あれから16年。団地祭りは紆余曲折を経て春に2日行なわれる形式となった。祭りの盛
大さは初期の頃と変わらない。近年はフリーマーケットも行なわれるようになっている。
 もちろん手作り山車のお囃子は団地の有志で行なっている。けど源さんはもうこの世に居
なかった。数年前肝炎を患い、一年間の闘病の末に亡くなったのだった。
 亡くなる直前に家族が団地祭りの様子をビデオカメラに撮ったのを見て、涙を流しながら
「今年も盛大に行なっているな」「お囃子もだいぶうまくなったな」と感動していた。本当に祭
りが好きな源さんであった。
 団地も祭りをしたお陰で住民も団結が強められ、犯罪も減り、その結果市の【防犯優秀地
区】に選ばれた。
 さらに祭りが市内でも有名になり、地元ケーブルTVにも取り上げられたおかげで、今では
駅からのバスの本数も増え大手スーパーも近所に開店し、団地の入居者が年々増えている。
 これもみんな祭り好きな源さんのおかげだ、と今も団地の住民が感謝しているのであった。
【完】
※この作品は創作であるため、団地および団地祭りは存在しません。
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