13、ススキ野原 「学区外」
 小学校のとき「学区外(小学校ごとに決められた区域)に遊んではいけない」という決まりがあった。良くは分からないが遠くに遊びに行って問題がおきたら困るからとかいうことだろう。
 特に交通機関が少ない昭和30年代となると、学区外は子供にとっては友人も居ないし行った事もないのでまさに「未知の地域」になる……

 昭和33年。松田信一(8歳)埼玉の小都市に住んでいる。信一の両親は仲が悪いのか何かにつけて夫婦喧嘩が起きている。特に父が飲んで帰ると決まって喧嘩になるのだ。
 今日も父の帰りが遅い。またどこかで飲んでいるのだろうか……
 午後8時半、信一が寝ようとすると父が機嫌よさそうに帰ってきた。
 母は血相を変えたように「毎晩毎晩どこで飲んだくれるのよ!!」との一声。
 父は「俺が稼いだ金で飲んでどこが悪い!!」信一は子供心ながら(今日も激しく怒りそうだな)と思い、何か起こる前に自発的に寝ようとした。
 そのときに限って父は
「ほら信一、今日はお寿司を買ってきたぞ、父さんと食べよう!」と絡み始めてくるのである。
僕は(酒を飲まなければ毎日喧嘩しなくて済むのに……)と思った。そして(僕が何かすれば父も考え直すかもしれない)と子供なりに考えた。
 そして父が寿司折の紐を解き寿司を食べようとしたとき、僕は、
「毎日酒飲んでくるお父さんなんか嫌いだ!喧嘩するお母さんも嫌いだ!僕は『悪い子』になってやる!!」と大声で怒鳴ると、何も持たずに外に飛び出した。
 僕は田んぼの中にある一軒家の自宅から真っ暗闇の道を走った。500mくらい進むと人家が見えてきた。どの家もまだ電気がついている。茶の間で一家団欒をしている家族が見える。その家の子供も笑っている。(ああ、僕もこんな仲のいい親に生まれたらよかったのにな……)と思った。けどこれだけはどうすることもできない。子供は親を選べないのだ。
 僕はさらに道を進んだ。少しずつ人家が少なくなってきている。この十字路を右に曲がると学区外だ。(【学区外に勝手に行ってはいけない】と言う学校の規則を破ろう。そうすれば親は学校に呼び出され注意される。今こそ親を困らせるチャンスだ)
 僕は学区外にはいるとひたすら一本道を進んだ。人家がなくなりあたり一面ススキ野原に変わった。昭和30年代なのでもちろんコンビニもない、自動販売機もない。行けども行けども真っ暗闇の中を信一は歩き続けた。
「こんなところにきてしまった。一体ここはどこだろう」信一は心細くなってきた。もう9時を過ぎているだろう。一人で闇夜を飛び出したのも悪いがそれ以上に親が心配するだろうと思いはじめた。
 完全に道が分からなくなった信一は涙をこぼしながらススキ野原の中をとぼとぼと力なく歩いていた。
 どんなに親が嫌いでも「僕が戻るところは結局は僕の家しかないのだ」という事が段々と分かってきたのだった。
  そのとき自転車のベルの音がした。よく見ると自転車に乗っていたのはいつも家に配達に来る酒屋のおじさんだった。
「坊や、こんなところでどうしたんだ?」と尋ねられると僕はおじさんに訳を話した。
「そうか……分かった」とだけ言うとおじさんは僕の家まで送ってくれた。
僕の家はまだ電気がついていた。
 2人で家に着くと真っ先に母親が「心配したんだよ!」と抱えてくれた。
父も「お前が出て行ってから母さんと色々考えた。俺も酒の飲みすぎだった。これからは外で飲むのも控えるよ」と言ってくれた。
 両親は酒屋のおじさんに礼を言った。酒屋のおじさんが帰った途端ことごとく叱られるのだなと覚悟していたら、両親はさっきの出来事が嘘のように温和になっていた。
「さあ、疲れたようだから今日は着替えて寝なさい。明日は学校でしょ」と母。
 信一は着替えて床に入った。
 布団の中で信一はなんとなく調子が狂ったような感じだった。
 どうやら両親もあれこれ反省したらしい。そう考えると(僕がしたことはまんざら悪いことではなかったかな)と思ったのであった。
 それ以来夫婦喧嘩は少なくなった。父も酒を飲むのを控え、仕事に精を出すようになった。

 翌年僕は「あの時」に行ったススキ野原のある所に行ってみた。するとそこから僕の学校の校舎が見えた。学区外のススキ野原は実は学校の裏道なのだった。この事実を知った僕は思わず笑ってしまった。そして改めて闇夜の神秘さ・恐さを感じたのであった。
【完】
TOPへ
掲示板・メールフォームへ
お題小説TOPへ
小説置き場へ