4、梅の花 「桜の木のある家」
昭和30年代は東京でもまだまだ農業で生活ができた時代であった。農家も都下にはまだまだ多く存在していた。農家なので庭が広く、季節ごとに色とりどりの花が各庭に咲き競っていた。
 今村さんの家も例外でなく、春には桜・秋には柿と大きな木が2株育っていた。特にこの家の桜は樹齢100年を越えるもので、先祖代々からあったというから大変見事な枝振りであった。もちろん桜の時節となるとそれはそれは見事に咲き誇っているのだった。
 長女・真理子(11歳)も家の桜が好きで、毎年咲く花を毎年心待ちにしていた。そして開花時期になると連日同級生を呼んで花見をしているのであった。
 
昭和38年の2月、真理子はいつものように学校で遊んでいると突然目の前が真っ暗になりその場に倒れた。そばに居た生徒が慌てて保健の先生を呼んだ。保健の先生も胸を押さえ苦しくうなっている真理子を見ると大急ぎで救急車を呼び出した。
 市内の救急病院に搬送し手当てをした。処置が早かったおかげで幸い真理子は命には別条が無く、翌日意識を取り戻した。
 医師の腕が良かったのか3日で退院できるようになった。けれど医師から毎食後に3種類の薬を飲むように指示され、なおかつ運動も制限された。
 真理子は「何か悪い病気なのかしら……」と不安に思った。
 数日後同じ病院で精密検査をしたところ、真理子にとって芳しくない診察結果となった。もちろんこのことを直接本人にはとても言えないので両親に結果を報告した。
「お子さんは診察の結果、心臓に重い病気があることが分かりました。このまま放置すると最悪の場合あと1年持つかどうか……」
 ここまで聞くと母はショックで目が回りそうになった。介抱する父は間髪を居れずに
「真理子は助かるのでしょうか?お金ならいくらでも出します!どうか先生の手で真理子を助けてください!!」
 一瞬の沈黙の後医師は、
「今すぐ入院して手術をすることを強く勧めます。もっともここでなく優れた医療技術のある大学病院を紹介します。それでも成功する確率は6割……」
ここまで話すと「全くだめというわけではありません。どうか気を強くお持ちください。大学病院には私からも連絡しておきます。ぜひ一日も早い手術を希望します……」
 二人が診察室を出ると待合室で待っていた真理子に先ほどのことをそれとなく話した。
 真理子は、そのことにうすうす分かっていたらしく思ったほどショックはなかった。
「入院しないとだめ?」
「ほっとくとあと一年の命とか……」母は思わず口にしてしまった。
真理子は当然「12歳で死ぬのは絶対いや!!!」と叫んだ。
「お母さんだってそうだわよ。だからこそ医師は『なるべく早く入院してください』と言っていたし」
「で、いつがいいの?」
「医師によると、向こうの都合が2月の15日辺りならいいとか……入院から退院まで2ヶ月くらいかかるらしいけど……」
「それじゃあ、桜が散ってしまうじゃないの!もっと遅くにはできないの?」
「それも医師に聞いたけど、4月を過ぎての手術は手遅れになるかも、だって。家の桜なら写真機(カメラ)で撮っておくから」
「そんなのイヤー!!写真じゃ色がついてないからつまらない!今年もうちの桜が見たい!!」
 真理子が騒ぐのも無理は無い。当時は白黒写真しかなかったからだ。
「無茶なこと言ってはいけません!花見とあんたの命どっちが大切なの?たった一回桜を見るのを我慢すればこれからずっと見られるのよ!」
 二人の話がこじれ始めると、父がこういってきた。
「桜がだめでも梅があるじゃないか。今年はこれで勘弁してくれ」
母は、「2月なのに梅が咲いているところがあるの?埼玉の越生(おごせ)梅林はまだだってラジオで言っていたよ。
 すると父は「静岡の熱海では正月から梅が咲いているそうだ。今がちょうど見ごろらしい。どうだ真理子、今年は梅で我慢してよな。屋台の食べ物好きなの買っていいから」
 そう父が提案すると真理子はしぶしぶ了承した。
「絶対約束は守ってね!」
 母は安堵したが父は、やれやれ、といった顔だった。
 次の日曜日、今村さん親子は電車で東京から東海道線に乗り込んだ。7時53分発の浜松行き普通電車に3人は乗り込んだ。車窓から太平洋が見えると真理子は感激した。初めての遠出ということで電車の中から興奮している。
 10時8分に熱海に到着した。2月であるにもかかわらず比較的温暖でコートは要らないくらいだった。
 駅からバスに乗って梅林に着くと、真理子はさらに感激した。
「うわー!!梅の花がとてもきれい!!」真理子にとっては梅は初めて見る花だった。それだけに感動もひとしおだった。
 会場一体に梅の香りが漂っていて見ごろの梅の花に彩を飾っている。真理子も満足そうだ。もちろん両親も一足早い梅に酔いしれている。父は既に酒を飲んでいる。
 ちょうど会場を一周した辺りで昼時にになった。真理子は「お約束」どおり父親から屋台の焼きそばとたこ焼き、あんず飴を買ってもらい、梅の花が咲いているベンチでおいしくいただいた。
(桜もいいけど梅もきれいなんだな・・・)真理子はそう思った。
 3人はめいめいきれいな梅の花を心の中に焼きつかせると会場を後にした。
真理子はどこかで梅の枝を折って、それをかばんの脇に挿している。そのことに母が気づくと彼女は、
「入院のときこの梅も持っていってベッドの花瓶にさしてね。梅の花を見ているとなんだか元気が出てくるみたい……」
 黙って木を折った事を叱ろうと思った母だったが、真理子の気持ちを察したのか、真理子に向かって
「手術がんばってね」といった。
 真理子は小声で「うん」とつぶやいた。
 一家はその後熱海の海岸や松林などを見て周り、16時19分発の始発電車で東京へと向かった。

 真理子が都内の大学病院に入院したのはその2日後だった。そして手術の日。手術台に上る直前まで真理子は梅の枝を握っていた。その甲斐があったか手術も無事成功した。
 それ以来真理子は桜と同じように梅の花も好きになった。
 真理子が元気な姿で退院できたのは4月の20日だった。学校の桜も神社の桜ももちろん家の桜も散っていた。けど真理子の心の中では満開の桜の情景が浮かんでいた。
 あの一件があって以降、もう真理子は家の桜のことであれこれ言わなくなった。真理子も分別が分かる大人に成長したのである。
 そう、生きていればまた必ず春になれば梅も桜も見られるのだから。
【完】
取材協力: 熱海市観光協会
       越生町観光協会
参考資料: 交通公社の全国時刻表 1963年10月号
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