10、ノスタルジア 「面影通り繁栄会」
 現在は「昭和30年代」が脚光を浴びている。レトロブームが続いていて、古きよきノスタルジ
な雰囲気が愛されるようになり、さらに日本で一番元気があった時代を懐古する人が多い。
 事実日本のあちこちに当時の雰囲気をイメージした娯楽施設も多く建設され、団塊の世代
以上の人には懐かしさを、若い世代の人には新鮮味を与えている。
 新宿駅前にある百貨店の一角に最近オープンした昭和30年代をコンセプトとして作られた
総合娯楽施設「面影通り繁栄会」施設内には昭和30年代の商店街の雰囲気を忠実に再現
ており、飲食店・衣料店・玩具店・雑貨店などが整然と立ち並んでいるのだ。ここではすべて
当時の紙幣硬貨(本物)で流通させている。よって利用者は入館してすぐの両替所で当時の
紙幣硬貨に両替してから各店で買い物をするのである……。
 賢明な方は拙著の〔夕焼け酒場〕と同じではないかと思ったかもしれないが、この話は〔夕
焼け酒場〕に登場した施設を舞台にしてはいるが別の物語である。

 埼玉に住む会社員、阿部武則さん57歳。阿部の年代はいわゆる【団塊の世代】である。昭
和40年代の高度成長時代を日本のため、会社のため、家族のために懸命に進み続けた企
業戦士の一人であった。
 時代が昭和から平成になり、日々の生活は飛躍的に向上し暮らしが豊かになってきた。け
どバブルが崩壊したときから阿部の会社での場所がだんだんと変化してきたのであった。や
れリストラだ人員削減だと言うトップからの圧力により長年働いていた職場から関連会社へと
転向された。また同志も数人がリストラのため職場から去っていった。
 幸い阿部は関連会社へ留まっただけ運が良かったのである。けど今となっては前より2割
程度給料が減っているし、定年後再雇用されるかも不安である。
 ……阿部にとっては、企業人間として会社のために捧げていた人生にもようやく終点が見
始めてきた感じである。
 しかし今まで仕事ばかり追い続けた人であったので、ふと、何かをどこかに置き忘れてき
たという思いも出始めてきた。確かにふと気がつくと新しい機械が家庭や会社にも置かれる
ようになったし、外の風景も前と比べてだいぶきれいになってきた。技術革新や環境改善と
いうものが根底に流れてはいるものの、何となく自分が世の中の流れに取り遅れてしまって
いるのではないか、と思うこともある。
 そうなると逆に(昔はどうだったのか?)と思うこともしばしば有る。歳のせいか昔の方が今
よりもかえってよかったのではないか、と思う事もある。 このように思うこと自体老化の現わ
れと思われても仕方ないかもしれない。
 けど阿部にとってはこう思うのであった。
(余りに日本が駆け足で高度成長してしまった。昔の風情が今でもそのまま残っているとこ
ろは関東でも少なくなってきている)
 そう思うと、「昔の雰囲気」を今のうちに少しでも体験しておきたい、と思うのが人情である。
 阿部は家族を連れて昔ながらの風情が残っている地域に時々出かけていたが、いずれの
町もすっかり観光地化してしまい、何となく騒々しい雰囲気しか感じなかった。また阿部は、「昭
和の時代」をイメージしたテーマパークが最近あちこちに出来ていることも、すでにニュースな
どで存在を知っていた。ちろんノスタルジアを追い求めていた阿部は家族を連れて何箇所か行
っては見たが、どれも阿部にとってはいまいちという感想なのである。
 彼が言うには、確かに当時の雰囲気は再現されているが、どことなく【とってつけた感じ】だと
いう事である。確かに昭和30年代くらいなら、今現在なら当時生きていた人もたくさんいるので、
そういった人にとってはこのような施設は物足りない部分もあるのは否めない。
 ある日阿部はテレビのニュース番組で、新宿駅前のデパート内にある、昭和30年代の東京の
商店街を忠実に再現した総合娯楽施設【面影通り繁栄会】の特集を見た。画面で見る限りでは
確かに当時の雰囲気がそのまま残っている。阿部の目には、今まで行ってきた施設のように変
に凝ってはいなく、どこか素朴な懐かしい感じすら見えたのである。
「今回はひょっとして……。けどやはり今まで行った所と同じような感じかな?」と番組を見なが
ら彼は思った。
 阿部は、会社に有給届けを出し、平日の朝、家族には会社に行くフリをして一人で新宿駅に
向かった。正直言って余り期待を持たずこのテーマパークに足を運んだのである。しかし入り口
にあるアーチを見てその考えが変わり始めた。
「本物だ……」
 このテーマパークは「実際にあった建物や建造物を移転復元する」を基本コンセプトとしてい
るのである。
事実このアーチも【奈良県にあった商店街のアーチを購入し一部を加工したものです】と、商店
街入り口の脇にある案内板にこのような説明がされていた。
 さらに感動したのは入り口すぐのところにある【両替所】であった。良く江戸時代の町並みを模
したテーマパークでは、当時の通貨である【両】に換金するところはあるが、当時の(昭和30年
代に流通していた)通貨に両替すると言うところが気に入った。
 阿部は両替所の係員に質問した。
「このお金はどこで手に入れたのですか?」
すると間髪をいれず、「この通貨は全て素人や古銭ショップで所持していたものをネットオークシ
ョンなどを利用して入手しました。もちろん本物のお札です」との事。(さすがに細部まで徹底して
いる!)と感心した。
 阿部にとってこの「面影通り繁栄会」はどうやら彼の要求に答える物であった。
換金を終えた阿部は早速「繁栄会」を散策した。商店も出来る限り当時の建物や装飾を利用
している。この手のテーマパークに良くある「いかにも古い感じですよ」と主張する部分が少な
いのである。さすがにここで売っている商品は現在流通しているものであるが、その商品でさ
えレトロに見えてしまう。そんな心憎さもうまく表現されている。
 手持ちのパンフレットを見ると、デパートの敷地内を一周するようにレイアウトされた【商店街】
にはいくつかの路地があり、その路地には住宅地や飲み屋街まである。
 こんな昼間から酒を飲むのは心苦しいので、ひとまずは我慢した。けど飲み屋街を歩くだけで
も当時の風情が感じさせられる。お世辞にも余りきれいではない酒場に、安い酒であるトリス
やホッピーと、定番の酒の肴を提供するのである。これを見ただけでも、阿部自身昭和30年代
に会社帰り同僚と一杯引っ掛けた酒場の雰囲気そっくりであった。何と無く中に入りたいと言う
気もあったが、今回のところは遠慮して、商店街の本道に戻った。
 丁度商店街も中盤に差し掛かったところの一角に大衆食堂が営業していた。この店も文字
通りノスタルジアを感じさせるものであった。決して派手ではない外観、文字だけのメニュー、
年季が入っていそうな暖簾。どれをとっても阿部の記憶の片隅にしまっていた風景そのもの
であった。
 お腹もすいたことだし、この店に入った。店内も当時の雰囲気をそのまま残していた。さらに
運営側の芸の細かい配慮からか、当時の雑誌が置かれていて、ラジオからは当時の番組を
録音したものが流れている。もっともこれはエンドレステープのようだが……。
「いらっしゃいませ」70歳くらいのおじいさんが店主をしている。このおじいさんは気さくな方
で、当時の話を客である阿部にたくさんしてくるのである。それもその筈。運営側も昭和30年
代に現役で働いていた人を積極的に雇用して、当時の様子を語る【語り部(かたりべ)】的役
割を果たしているのである。もちろんスタッフには若い人もいるが、このように高齢の人を活用
していると言うところも阿部は気に入った。
 今阿部が居るのは平成の時代ではあるが、【昭和30年代】を少しでも再現させようとする
意気込みすらも感じさせている。
 阿部も食堂の店主と当時の世相から風俗に至るまでの四方山話(よもやまばなし)を堪能
することが出来た。もちろん注文したラーメンも昔懐かしい味わいであった。
 こうして昭和30年代を疑似体験した阿部は満足して「面影通り繁栄会」を後にした。
(きっとこの商店街には俺が置き忘れた何かがきっとあるはずだ)と思った。
 古きよき時代を満喫し(また来月辺りでも、ゆっくりとこの商店街を歩いてみたいな)と思いな
がらも家路に向かう阿部であった。
【完】
※この作品に登場したテーマパークは架空のものですが、東京・台場にある商業施設「台場
一丁目商店街」をモチーフにしています。
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