9.機械仕掛け 「縁日」
 祭りや縁日の時の露店というものは、今も昔も大して変わりない。露店で売っている食べ物
は、焼きそばやたこ焼きといった昔ながらの定番が多い。またゲームの類(たぐい)も概して素
朴なものが多い。おそらく昭和初期の頃からシステムが定着されていて、そのまま現在にま
で受け継がれたような感じがする。昔と今とで変わったのが、商品の値段と、露店の照明設備
がランプから電球になったくらいであろうか。
 もちろん現代のグルメ志向や娯楽の多様性から、世界各国の料理が露店で売られていたり
くじの景品がTVゲームソフトなどに変化してはいるが、根本的なシステムは昔のままだ。
 そういった観点から見ると、祭の縁日はちょっとした昭和時代への哀愁やノスタルジーを感
じさせるものの一つになっている。
 最近の露店では少なくなってきたが、かつては「何でも透けて見える眼鏡」とか「ひとりでに
動くロボット」とか云う、ちょっと不思議な玩具(商品)も堂々と売られていたのである。もっとも
それらはいんちきな商品であったり、誇張販売しているものもばかりだが、買った人は香具師
(やし)の言葉巧みな口上やしぐさや実演を見たり聞いたりした勢いで買ってしまう場合がほと
んどであり、買った客も「騙された」と言うよりも「引っかかった」といった程度に思ってしまう事
がほとんどである。
 この場合はあくまでも祭でのほんのお遊び程度だと解釈してしまう。したがって、決して『金を
返せ!』と強気に出る人はいなかった。
 昭和30年代頃では、このようないんちきに近い商品を巧みな口上で売る香具師独特の商
売は、縁日の時以外でも町のあちこちで行われていた。例えば駅前・商店街・学校の校門前
と言った感じで、人が集まりそうな所に神出鬼没で現れるのが常である。また客の方も物珍し
さからついつい香具師の口上に耳を傾けてしまうのである。

 昭和33年。栃木県にある地方都市。大都会・東京に少し離れているので娯楽というものが
少ない。子供達は自ら手作りで遊び道具を作るか駄菓子屋に売っている駄玩具で遊ぶのが
一般的であった。普段は手ごろなもので遊んでいたが、年に数回ある縁日は、子供たちにとっ
ては楽しい年中行事の一つであった。
 縁日の時は、親からも特別に小遣いを多めにもらえたし、普段あまり食べられない食べ物や、
面白そうな玩具が売られているからである。しかもどの露店も単価がそれほど高くないので、
親からもらった小遣いで十分おなかも膨れるし、楽しいものも買えるのであった。もちろんその
中でもちょっと高級な玩具になると100円くらいするものもある。
 当時の露店は、このような高い玩具はたいてい単品で売られているものだった。しかも主な
購買者である子供心をくすぐるかのごとく、派手な装飾で〔特許〕とか〔夢のロボット〕とか書かれ
ている。
 この町にも夏になると小さいながらも祭りが行われる。沢山の露店の中に、〔夢のロボット
特別販売〕と派手なのぼりを掲げた露店があった。テーブルには見本として、いかにも立派な
素材で作られているように見えるロボットがいくつも飾られている。
 何人か子供が集まると、玩具を売っている香具師が頃合を見て「動け」といいながら上から
手をかざすと、今まで横になっていたロボットが立ち上がりその場で踊り出すのである。まるで
本物のロボットのように機械仕掛けで思いのままに動いているかに見える。
 そしてさらに香具師は、カバンからクマのぬいぐるみを取り出して今度は「歩け」と叫ぶと、ク
マはトコトコ歩き出した。そして台から落ちそうになると、クルッと向きを変えてまた歩き出すの
である。
 これをしばらく行っていると、玩具を売っている台の回りにだんだんと子供たちが大勢集まっ
てくる。
 彼らの瞳は燦然と輝いていて自由に動き回っている玩具に視線が集まっている。これを見
ている子供の誰もが「本当に夢のの玩具だ」と感じながらも(欲しいなあ……)と思っている。
 まるで機械仕掛けのように自由自在に動き回る玩具をまじまじと見てしまった子供の心は
揺れに揺れるのである。
(もしこれが小遣いで買えるものなら絶対に買いたい。けど高いものだったらどうしよう……。
けどやっぱり欲しい……)
 子供たちがめいめいあれこれ思案していると、香具師は突然こう言った。
「電気もぜんまいも使わないで動き出すロボットとクマは1個50円だ。両方買うのなら祭り特
別価格のたったの80円でいい。さあ買った買った!!」
(思ったより安い!)(小遣いでも買える!)(絶対買いだ!)
 子供たちは思ったよりも安い事にに安堵すると、我先にと【夢のような商品】を次々と買い
始めた。何しろ機械仕掛けで動いている(であろう)玩具がこんなに安い値段で買えるのだ
から子供心に喜ぶ筈である。山積みされていた玩具の箱があっという間に無くなった。
 今のように複雑な仕掛けでないようなものであっても、魅力的な玩具が少ない時代にとっ
てはまさに奇跡のような商品であった。
「今日はいいものを買えた!」「早速家に帰って遊ぼう!」玩具を買った子供たちは満面の
笑みを浮かばせながら露店を後にした。
 この町に住む小学6年生の誠君も、この露店で夢のような玩具を買った一人であった。
 縁日でお好み焼きや綿あめを買い残りの小遣いが少なくなったときこの露店を見つけた。
 もちろん機械仕掛けのように動く玩具を見て眼が輝き心が踊った一人である。
 妹にあげようとクマの玩具と一緒に買おうと80円を渡すと、香具師から小さい箱に入った
玩具2個を手渡された。
 その2つの箱を小脇に抱え、喜び勇んで家に帰った。
クマの玩具が入った箱を妹に見せ、喜ぶ妹に「一緒に遊ぼう」と言った。
 わくわくしながら箱を開けるとその中には小さいクマのぬいぐるみと小さい石のようなもの
と紙切れが一枚入っていた。
 そこにはこう書いていた。
〔クマを紙や台の上に置き、その下から付属品の磁石を近づけます。するとクマは紙や台の
上を動き回ります〕
誠は「やられた!」と思った。確かに台の下から小さい石のようなもの(磁石)で操作すれば
自由に動き回る。誠はクマのおなかの部分を見たらやはり金属で出来ている。そう思うと、も
う一つのロボットの箱を開けると、なんとさっきまで見たロボットは操り人形だったのだ。
 やはりというか、これも単なる安い玩具であった。良く考えたらこれらはそれぞれ20円くら
いのもの。それを香具師の巧みな操作で、あたかに「機械仕掛けか何かで動いている」と勝
手に解釈していたのであった。
 確かに夜であったので薄暗い中では操り糸は細くて見えなかったし、香具師が台の下で
磁石を使って操っているとは思ってもいなかった。まんまと引っかかった己の行動に思わ
ず笑ってしまった。
 けど夢の玩具でなくても妹は喜んでいるし、誠自身もしばしの間夢を与えてくれたという
ことで悔しさは感じなかった。
 昭和30年代には、このような香具師の巧みな技と、縁日の不思議な魔力が作用してこの
ような不思議な商品が売られていた。
 科学全盛の今、現在の高度な技術で本当に動き回るロボットが開発され商品化された。
けど今でも時々路上販売などで一瞬不思議さと何らかの夢を与える玩具や商品があると、
つい立ち止まって路上販売に眼が行ってしまうのも確かである。
 どんなに時代が進んでも、インチキ商品であれ種や仕掛けがある商品であれ、口上やパ
フォーマンスを駆使して販売する商品が、いまだに存在している事とは、今も昔も根本的に
は変わらないな、と思う。
【完】
参考資料:駄菓子大全(新潮社)
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