7、幻燈機 「父の趣味」
 今も昔もカメラは「思い出」を記録するためには便利な道具である。もっとも現代では携
帯電話にもデジタルカメラが付いていて、日常のスナップ写真や旅先の記念写真にも使わ
れ、写真を撮ることがとても手軽になってきた。
 デジタルカメラも年々低廉化かつ高性能になり、庶民の手にも届くようになってきた。さら
に家庭用プリンタによってすぐに自宅で簡単に写真にしたり、パソコンデータとして保存が
出来るようになった。
 一方、昭和の初期の頃のカメラは、今と違い高級品で、一部の裕福な人しか持っていな
いのが普通であった。
 昭和30年代になると、かなり大衆的な価格の普及品こそは発売されるようになったが、
それでも現像代は今よりも高かったといわれている。
 もちろん当時は白黒で画質もはっきり言ってきれいなものではなかった。けれど当時の
人はそれでも【思い出の記録】として心の中にいつまでもカラフルにしかも鮮明に覚えて
いるものである。
 また今ではあまり行われていないのであるが、現像の際に無料でもらえるフィルム(焼き
増しの時などに使用される)を使って幻燈にすることも出来た。
 今となってはほとんど見かけなくなったが、娯楽の少なかった時代には自分の撮った写
真が大きくスクリーンに映ると言うことで、家族など大人数で楽しむには適していた。
 その為、かなりの高級品から雑誌の付録についてくるような紙製の幻燈機まで販売され
幅広い人々に親しまれていた。

 東京に住む会社員、岡田さんは学生時代から写真撮影が趣味であった。当時は写真趣
味は高貴な人の趣味の一つであった。だからといって岡田さんが高収入でも家が裕福だと
いうわけでもない。新入社員のときから給料のいくらかを趣味に使えるお金として充ててい
るのである。もちろん彼が独身で親と同居だからできることなのは言うまでもない。
 当時から写真よりも幻燈のほうに興味があった。幻燈という画像を映す光に、どことなく
神秘さと独特な魅力があったのである。 自分の家にあるなんでもない襖や壁がスクリーン
となって色々な画像を映すこと自体が素晴らしいと思っていた。白黒画面で音声も出ない
し画像が動かないのであるが、小さいフイルムが大きく映るという事自体感動的である。
 独身時代はある程度動く事が出来たので、関東近県の風景などの写真フィルムを集め
ては時々家族や友人に幻燈を見せていたのであった。
 しかしこの趣味もそんなに長くは続かなかった。28歳の時に結婚したので、金のかかる
写真撮影の趣味をきっぱりとやめた。10年間続いた趣味を断ち切る事は辛かったが自分
たちの生活の方が最重要なので泣く泣く諦めた。
 その後岡田家に子供が生まれた。男の子ですくすく育っていった。

 時代は昭和40年代後半に入った。その頃になるとだいぶカメラもフィルムの現像代も安
くなり庶民の手にも届くようになってきた。また子供も小学生になりだんだんと育児に手が
かからなくなってきた。
 その頃になると妻も内職を始め、生活にいくらか余裕が出はじめてきた。岡田も少しずつ
であるが趣味としての写真撮影を始めた。なにしろ肝心の財布を妻が管理しているので、
息子との旅行を兼ねてといった口実で何とか許可されたに過ぎない。
 そうしていくうちに息子も写真に少しずつ興味が持ち始めてきたようだ。もちろんカメラに
触ることは許されなかったが、父の昔撮った写真を興味深く見るようになった。
 もっとも子供なので風景の写真は退屈な内容かな、と思ったが意外にも当の本人はそ
うでもなかった。
「だってこれを見るとその場所に行った気分になるから」と息子は言った。そのとき岡田は
(やはり俺の子だ!)と親馬鹿ながらそう思った。
 父親からすると気持ちのいいもので、息子にもっと色々な写真を見せてあげおうという気
持ちが高まってくる。
 ある日岡田は押入れの奥から幻燈機を久しぶりに取り出した。保存状態が良かったので
幸い破損などは無く、すぐにでも使えそうである。まあ埃(ほこり)はかなりかぶってはいた
がそれは仕方が無い。幸い当時集めていたフィルムも捨てずに残したものが何枚かあり、
どれも程度は良かった。
 コンセントに差込み久しぶりに幻燈を見たが、やはり時代の流れである。昔はとてもすば
らしく見えたのであったが、カラー写真が主流となった今(昭和40年代後半)に比べると明
らかに見劣りがあるのは否めなかった。
(果たしてこんな時代遅れのもので息子は喜んでくれるのか?)と不安にもなった。
翌日、夕飯を食べ終わると岡田は妻と息子に、
「風呂に入る前に寝室に行くように!」と言った。もちろんあの事はまだ公表していない。
 寝室には岡田が昔趣味で買った幻燈機がすでにセットされている。これは結婚してから
は一度も使う事なく押入れにしまわれていて、息子はもちろん妻にもずっと内緒にしていた。
 寝室に入ってきて幻燈機を見るなり、息子は「わー!かっこいい!」と叫んだ。
「これは【幻燈機】といって、写真のフィルムを光に当てて、その反射光をレンズによって大き
く写す機械なのだよ」岡田は説明した。妻は夫と同じ世代なので存在自体知っていたが息子
はこのようなものを見るのは初めてであり好奇の目で眺めている。
 岡田は息子の喜んでいる表情を見て、(思ったより反応がいいな)と感じると早速部屋の
電気を消して室内を暗くした。そして過去に撮影したフィルムを一枚取り出し、幻燈機にセット
した。
 襖のスクリーンに自らが趣味で撮った山の写真・海の写真が次々と映し出される。画面は
白黒で映りもあまり良くなかったが妻も息子も興味深く見てくれている。単なるフィルム画像
の繰り返しなのだがどこか懐かしさを感じたのだろうか。
「あなたにこんなすばらしい趣味があったとは思わなかったわ」と妻。自分の拙い撮影であり
ながらそれを素直にほめてくれたことはとてもうれしかった。岡田にとってその日は至福の夜
であったことはいうまでもない。
 妻が写真の趣味を認めてくれたからと言っても、写真撮影旅行を解禁させてくれたことで
はないとは自分でもわかっている。けどいつか時間と金に余裕が出来たら撮影旅行にまた
行きたいなと思う岡田であった。
【完】
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