5、ソーダ 「憧れのクリームソーダ」
 かつてはどんなデパートにも最上階には【大食堂】」があった。
 今ではデパートのレストランも専門店化されていて、高級料理から比較的安い料理まで
揃っている。けど昭和30年代ではデパートのレストランは【大食堂】一つだけであった。し
かしメニューは豊富で和洋中メニューの一応はそろっていた。面積的にはワンフロアのほ
とんどを利用して広々としているものの装飾はあっさりとしていた。けど当時としてはこれだ
けでも非日常の出来事であった。
「休日にはデパートの大食堂で昼食を食べる」と言う事は、当時の子供にとっては大きな
イベントであったに違いない。

 東京に住む小学4年生の島田芳子さんはまだデパートに行った事がない。芳子の母は
デパートにたまに行っているが、いつも芳子を連れて行かないのである。
確かに子供を連れて買い物に出かけると、「あれ買って!」と「これも欲しい!」とか言っ
て言う事を聞かないので、ついつい出費がかさむのである。
 子供だからある程度せがまれるのは仕方ないとはいえ、島田家の生活がそれほど裕
福ではないので、いつもそうだと大変なのである。その為よほどの事でない限り芳子を
連れて買い物に行かないのである。
 けど芳子は駅前に大きなデパートがあるということは知っているし、そこには大食堂が
あっておいしい料理が食べられるという事は同級生を通じて情報を得ている。
 今日も同級生がデパートに行ったという自慢話を聞かされた。
「この前の日曜日に、家族でデパートに行ってきたの。そしてお昼は大食堂でお子様ラ
ンチとクリームソーダを食べてきたんだよ」
 芳子にとっては【お子様ランチ】も【クリームソーダ】も夢の食べ物である。その子にどんな
ものかを聞いても漠然としたものとしか思い浮かばない。
(山のように盛った味つきご飯の周りに、肉を揚げた物と赤いウインナーと玉子焼きと【ポ
テト】と【スパゲティー】が付いてくる)
おいしいものだということはわかっていても【ポテト】【スパゲティー】という初めて聞いた
食べ物はどんなものかは芳子は知らないので味も形も想像がつかない。一方クリーム
ソーダならばまだ芳子にとっては理解できる。
〔緑色の砂糖水にアイスクリームが浮かんでいる〕
 けど芳子の知っている「ソーダ」とは、駄菓子屋で売っている粉ジュースのソーダ(袋に
入った粉末を水に溶かすと出来るインスタント飲料の一種)である。確かに緑色で、飲む
と少しだけ舌がピリピリする。多くの子供は「これはソーダの味だ」と納得してしまうので
ある。というか納得せざるを得ないのである。
 その子に聞いてみたところ「駄菓子屋のよりもずっとずっとおいしかった!」との事。芳
子には(あれよりもっとおいしい飲み物があるんだ)と子供心ながら思ってしまった。
 ましては当時はアイスクリームは季節商品で、菓子店では夏でしか販売していなく、庶
民は夏だけしか食べられないものであった。それがいつでも食べられるということも驚き
であった。
 芳子はクリームソーダを早く飲んでみたいと思った。少なくとも彼女にとって
クリームソーダは【夢の飲み物】である。
 けどデパートの大食堂にしかないのである。けどお母さんは一緒にデパートに行くのを
嫌がっている。(ならば……)芳子は一つの名案を思いついた。
 日曜日。芳子は父に、
「お父さん。今日デパートに行こうよ。デパートに行ってクリームソーダが飲みたい!」と無
理を承知でせがんだ。
 父も最初は嫌な顔をした。けど最近は芳子を連れて出かける機会も少なくなったし、たま
には一緒に行くのもいいだろうと考え、
「よし、それではちょっと行って見るか!」と重い腰を上げたのであった。
「やったー!」芳子は大喜びをした。
 二人は家の近くのバス停からバスに乗り私鉄の駅前にあるデパートに入った。
 芳子にとっての初めてのデパートである。まず建物の大きさにびっくりした。
「私の学校よりも大きくて高いね!」
 駅前なのでビルも結構あるがその中で一番高い建物である。
中に入るなり、「うわー!たくさんの品物が並んでいるね!」
またまたびっくりした。普段は近所の商店街しか行かないので、色々な種類の商品が同じ
建物の中で売られていると言うのも驚きであった。
 父は売り場には見向きもせずにエスカレーターに乗った。ここでも芳子は感激している。
「すごいね。階段が動いているね!」
 驚きと感動と新たな発見に興奮し続けている芳子は、最上階に着くとまた大きな声を上げた。
「わー!!この階の全部が食堂?!うわー!こんなにたくさん料理がある!」
 ここの大食堂はエスカレーターを降りてすぐに入り口があり、その奥には数え切れないくら
いたくさんのテーブルがある。
 最近ではあまり見ないワンフロア全部使った開放感のある大食堂であった。その入り口
にはガラスケースに入ったたくさんの料理(の見本)が体裁よく並んでいる。
「お父さん、この料理はなんていうの?!」興奮してあれこれ聞きだす芳子と、それを丁寧
に答える父。傍から見てもほほえましい風景である。
 ガラスケースの一番端に【お子様ランチ】と【クリームソーダ】が鎮座している。
 お子様ランチの食器の上に赤い色をしたご飯が山に盛っていて、その上に小さい国旗が
立っている。その周りに肉の揚げたもの、ウインナー、細長い白い食べ物(ポテト)、赤い色
をした麺(スパゲッティー)が並んでいる。そしてお子様ランチの食器の脇に小さいホットケ
ーキとオレンジジュースのカップがある。これを見ただけでわくわくした。
 そしてその脇に緑色の飲み物の上に白いアイスクリームが乗っている。(これがクリーム
ソーダなんだ……)芳子はもちろんクリームソーダとは【初対面】であった。
父は「ずっと眺めてないで中に入ろう。」と言った。
 注文をして10分後。芳子の目の前にお子様ランチがやってきた。
 けどお子様ランチを良く見ると、ショーウインドウの見本には有った【スパゲティー】の姿
は無く、代わりに焼きそばになっていた。芳子は少し残念がった。父が店員に尋ねた所、
スパゲティーが品切れで、やむを得ず焼きそばに代えて対応したとの事。
「食堂の都合で仕方ないことなんだよ」と分かりやすく父は説明してあげた。
 けどそんな事情は少しも気にせず芳子はケチャップで味付けたご飯をおいしくいただいた。
「わー!本当においしいね。私生まれて初めてこんなにおいしいものを食べた!」もう感激
そのものである。
 そしていつも食べなれている赤いウインナーや、初めて食べるポテトもホットケーキもとて
もおいしく食べた。初めて食べたが、もうなんともいえない味であった。
 全部食べ終えると、まるで店員が芳子が食事を食べ終わったのを見届けているかのよ
うな絶妙のタイミングで、【真打】のクリームソーダが芳子のもとに運ばれてきた。
 喜びを噛み締めながらまずはストローで一すすり……。
(!!!)初めての感覚である。飲んだ途端炭酸によって口の中がはじけた。その直後
に甘ずっぱいソーダの味わい。駄菓子屋のソーダとは全然違う。
 ソーダの上に浮かんでいるバニラアイスも口にいれた途端自然に溶け心地よい甘味だけ
が口の中に残る。そして溶けたアイスクリームとソーダとが見事に調和して何とも言えぬ
甘美でまろやかなな味……。
 まさに芳子が憧れていた味であった。想像以上のおいしさであった。
(ああ、今日は人生最高の日だ!)と思った。そして自分のわがままを受け入れてくれた
父に感謝した。
 父も今日はなんだかうれしそうだ。
 結局父と大食堂で昼食を食べただけであったが、とても充実した時間を過ごせた。
 それから何日かはデパートの大食堂で食べたお子様ランチとクリームソーダの味の余韻
を楽しんでいた。お土産にもらって帰った菓子の空き箱とケチャップライスの上に乗ってい
た小さい旗を見るたびに、
(またいつかデパートの大食堂でお子様ランチを食べたいな……)とふと思う芳子であった。
【完】
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