3、キネマ  映画女優          (活字中毒サイト「novela」 作品テーマ【女優】参加作品)
 昭和30年代は日本映画全盛期であった。なにしろ各家庭にTVがいきわたっていない時
代、大画面で人気役者の姿が見られる手軽な娯楽として庶民に親しまれていた。
 この時代は【映画を作ればたいていは売れる】というだけあって、娯楽要素の強い作品か
ら現代でも名作に残っているものまで多くの映画が連日公開されていた。そして今ではほ
とんど見かけなくなったのであるが、夏になると【怪談モノ】の映画作品が必ず上映される
のである。もちろん今と違って冷房設備が十分に整っていない時代、怖い映画を見て気分
だけでも観客を涼しくさせようとする魂胆もあるのは言う間でもない。
 この話は怪談映画にまつわる話である。

 木村則子、25歳。映画女優として3年のキャリアを持つ。今までに人気映画の脇役を演じ
たのが最高の役で、主役を演じた事はまだ無い。けど所属している映画会社では次期有
望女優の一人と少し前から噂されていた。
 その年の春、彼女の所属している映画会社は初の試みとして【怪談】に挑戦する事に
なった。そしてその作品は【番町皿屋敷】と決まり、夏に公開する運びになった。
 もちろんこのプロジェクトは製作会社の上層部のみで粛々と決められ、役者陣にはその
情報すらも伝わっていなかった。
 けれど会社内の噂として「次期公開作品の主役は木村が演じるのでは……」と広がっ
ていた。その噂は現実のものになった。
 ある日、映画会社所属の俳優に「来週の午後に新作映画の発表があるので全員社員
食堂に集まるように」との通達の電報を出した。
 当日、所属俳優が全員食堂で待機していると、常務がやってきて、こう発表をした。
「わが社の次回興行作品は【番町皿屋敷】に決定した。本格的怪談時代劇の興行はわ
が社初の試みであるから皆、心を引き締めて演技に徹するように!」との事。
 所属俳優達には寝耳に水である。次期作品は時代劇だということは薄々わかってい
てはいたが、まさか怪談モノとは夢にも思っていなかったからである。
 俳優たちのざわめきを上司の一声で一掃すると、すぐさまキャストの発表になった。も
ちろん下馬評通り主役を則子が演じることになった。多くの仲間は主役発表の知らせを
受けるとほっとした表情を浮かべている。則子は、みんな主役になれなかったのになぜ
うれしいのかなと思った。
 ちなみに則子は【番町皿屋敷】という話自体全く知らなかった。けどそんな事は後で台
本を読めば判ることだろう、と安直に考えていた。
 すでに則子は【主役】の二文字に惹かれて心が舞い上がっていた。  則子は喜び勇
んで自宅に帰ると、有無を言わず台本を開いた。
 しかしその内容は彼女の意とは全く相反するものであった。
……主人公の腰元、お菊は青山鉄山の家宝の皿を一枚隠し、紛失の責任をお菊になす
りつける形で斬殺し遺体を井戸に投げこんだ……
 何と【番町皿屋敷】とは主人公が殺され、幽霊になった主人公が殺した人を復讐する物
語である。則子が頭の中でイメージしていた【主役】とは程遠い話である。時代劇なのは
致し方ないとはいえ、こんな主役ではとうてい嫌だと思った。
 翌日、則子は監督に向かい思い切って、
「昨日台本を読ませていただきましたが、こんな役では私は嫌です。申し訳ありませんが
私を主役から降ろしてください!」と嘆願した。
 しばしの沈黙の後監督は則子にこう諭した。
「私から見ると君にとってこんなにいい役はないと思うんだけど……確かに殺されはする
が幽霊となって旗本に復讐する場面がこの作品の一番の見せ場だし、この場面でお客さ
んが怖がるんだよ」確かに監督の言葉は的を得ている。
 そして監督は極めつけの文句を吐いた。
「怪談モノは客を怖がらせて何ぼの世界だ。君なら絶対に客を震わせることが出来る!」
(たしかにごもっともだ……)則子が無言で頷いているとさらに、
「所詮キネマ女優の寿命は永くはない。永く続けるにはインパクトのある作品で世に強く
焼き付ける事が大切だ。この作品で思う存分観客を怖がらせれば君の印象が高まるだろう」
 そして最後にきつい言葉を浴びせされた。
「そんなに嫌なら降りてもいい。代役はたくさんいる。けどその人がお前の人気を掻っ攫
う事にもなりかねないが……」
 ここまでうまく丸め込まれたら則子も了承せざるを得ない。
 怪談と言うものはそれだけ奥の深い作品なのかと思った。というか則子自身時代物の作
品は出演もしないし、過去の時代劇作品も好んで見もしなかった。
(怪談というのはやはり客を怖がらせて楽しむ作品なのか……)と思い、敵状視察とばかり
に、早速怪談作品を鑑賞しに、映画館に出かけた。
 昭和30年代は、今の様にDVDやビデオのレンタルショップ店なんかはもちろん無かった
ので、映画が見たければ映画館に行くしかない。幸い当時は映画は庶民の数少ない娯楽
であり、どんなに小さい町でも一軒は映画館はあり、しかも比較的大きな街ならあちこちに
映画館があったので、毎日新旧洋画邦画を問わず色々なジャンルの映画を上映していた。
その為見る映画の選択肢はあるにはあった。
 けど今は春なので怪談物を上映している映画館は少なく、新聞の映画上映案内欄をしら
みつぶしに調べ、都内で封切されている所をやっと1件見つけただけであった。
 早速その映画館に行って怪談作品を鑑賞(と言うか勉強)してきた。時期外れの為観客
はまばらであった。(……確かに怖い……さすがに演技も上手い……)
 則子が見た作品は、運良く幽霊が登場する作品であった。幽霊役の女優の演技が生々
しくて本当にこの世に存在しているかのようであった。見るからにも恐ろしい姿で、【先輩】
として見事な演技にすっかり感服した。
(果たして自分に出来るのかどうか……)と思いながら今日見た作品のパンフレットや過
去の幽霊映画作品のレビューを見ながら日夜研究の日々が続いた。
 そんなある日、幽霊になりきれる意外な方法に気づいたのである。
 殆どの幽霊映画は主人公がある特定の人を恨むことにより、死んで幽霊になっている。
(ならば私も誰かを恨めばいいのである。)という結論に達した。
 恨む相手。これはなんと言っても監督である。それ以外に誰も居ない。今まで青春映画
でもアクション映画でも主役にしてくれず、誰もが嫌がるであろう怪談映画の主役に無理や
りされてしまう。そしていざ降りようとすると適当に丸め込まれて相手にしてくれない……。
こう思っただけで監督が嫌になってきた。
 監督を敵(かたき)に見立てて恨み続けることによって幽霊の独特な雰囲気に体を張っ
て近づかせたのである。
 一ヵ月後。【番町皿屋敷】の第一回目のリハーサルが始まった。則子はずっと練習してき
た幽霊の演技を披露した。
「いちま〜い……にま〜い……さんま〜い……」有名な場面に差し掛かると日頃の練習
の成果が発揮し始めた。
「……怖いよう……」「さすがだ……」
 同じ仲間の役者さん達が次々と恐怖感を覚え始めている。監督も、
「そうそう。この雰囲気だよ。木村の演技は光っているよ!」と褒めてくれた。

 夏。【番町皿屋敷】の撮影が無事に終了し、各地の映画館で続々封切された。
 則子は立派な幽霊メークと衣装を纏い、幽霊としてなりきり、映画を見る人に恐怖と寒気
を与えた。なおかつ評論家達からも彼女の前衛的な演技力にかつてない賞賛を受けた。
 この作品は封切後結構な観客を集め、映画会社も今回の成功で時代劇作品の製作に
も積極的に力を入れたのである。
 勿論則子もお菊役が当たり、その後もいくつかの作品で主役やヒロインを演じたりするよ
うになり、比較的長い期間女優として活躍した。けど副産物として【お菊といえば木村】【幽
霊の役なら木村】という印象も大衆に与えてしまった事は否めないが……
【完】
※この作品は実際にあった映画(1957年封切・「怪談番町皿屋敷」)の内容とは異なります。
小説置き場へ
お題小説TOPへ
掲示板・メールフォームへ
TOPへ