第 5 章 梅雨の日も楽し
6月。うっとおしい梅雨の季節に入った。
山崎家は6階建てのマンションの5階なので雨漏りの心配はない。
このマンションは老朽化が進んでいるので、6階の家では天井から雨漏りしている箇所もあるという。
まあ、その分家賃が安いからあまり文句は言えないけど。
「前のアパートよりはましだよ。前のアパートはダンプが通るたびに床がきしんだのだから」美佳がつ
ぶやいた。
今度のマンションは一応鉄筋コンクリートの造りだから振動やちょっとした地震にはびくともしない。
しかし、山崎家の503号室にも老朽化の波は進んでいたのだ。
6月のある日、浴室の天井から雨漏りがしていたのだった。
「ここ5階なのにどうしてかな?」と美佳が不思議に思い、マンションの管理人に問い合わせてみた。
数日後、管理会社から調査結果表が山崎家に届いた。
浴室の雨漏りは、上の階の浴室のタイルの隙間がひび割れてそこから下の階へと水や湯が漏れて
いたという事だった。
理由が分かると友之も納得した。
「浴室だから雨漏りしても特には問題はないけどね」
翌日603号室の主人が山崎家に訪ねてきた。
「上の階に住む者ですが、先日は大変も申し訳ありませんでした。翌日から修繕業者が入りますが、
約一週間くらいかかりますので、終了までの間もう少し辛抱してください」
ここの家の主人はいくらかお年を召しているが、大変に丁寧な言葉遣いであったので美佳は好感
が持てた。
(まあ、一週間くらいならそんなには問題ないでしょ)と軽い気持ちで思っていた。
しかし現実にはそんなには甘くなかった。
翌日美佳がたまたま浴室の掃除をしようと電気をつけようとしたが電灯がつかない。他の電気はつ
いているしブレーカーも切れていない。
【何かあったら管理人】という安易な考えが美佳にあったので、また管理人に問い合わせた。
数日後管理会社からの調査結果表が届いた。原因は上の階の水漏れが私の家の浴室の電気系
統に接触してショートしているとの事。
もちろん私の家が原因ではないので、これも上の階の人に責任がある。
その事を直接603号室の主人に説明したら、
「うちが原因ですのでそちらの修繕も私のほうで対応します」との事。
何と気前のいい主人なのだろうか。と美佳は思った。
美佳は暫く浴室の電気がつかないことを納得したが友之はあまりいい顔をしていない。
「修理費は向こうが払うのは当然だからそれはいいけど、その間どうやって夜に風呂に入ればいい
んだ?暗闇じゃなにかと危ないだろ」と言われた。
電気がつかないのなら懐中電灯かろうそくをつければいいだけの事。美佳はそう説明すると友之も
何とか納得した。
「ひげは洗面所でそっていいから」美佳は付け足した。美佳は暗闇でひげをそった事がないが、電気
がない所でひげをそるのを想像しただけで危ないことは目に見えている。
こうして山崎家は短い期間ではあるが不便な風呂タイムを経験することになった。
数日後、美佳が風呂に入ろうとして懐中電灯をつけようとしたが電池が切れていてつかない。仕方な
く結婚式のときにもらった大きいろうそくを風呂場の片隅に置くことにした。
そしたら暗闇の風呂にろうそくの火がほんのり灯ってとても幻想的な感じだった。
(なんてロマンチックなのだろうか……)美佳はついつい湯船でいい気持ちになってしまい、ずっと風
呂に浸かったままでいた。
「おい、美佳、いつまで風呂に入ってるんだ!」友之が怒鳴る声にはっとした。美佳は半分のぼせて
しまったのだ。
それに懲りたのか美佳も長湯をする回数は少なくなったが、風呂でろうそくというのもなかなか趣
があっていいのだ。もっとも風呂場といえども火気の使用には注意が必要だが……。
友之もそれには気に入ったらしく、
「電気が直ってもずっとこれにしようか?」とまで言ってきた次第である。
一週間後、上の階の風呂場工事も山崎家の浴室照明工事も終わり、普段通りの快適な風呂場に
戻った。
ろうそくよりも照明の方が快適なのは百も承知なので、山崎夫妻はろうそく入浴を取りやめ普段の
風呂タイムに戻った。
けど、ろうそくの炎の神秘的な美しさには魅了したのか、一ヶ月に一回寝室にそのろうそくに火を灯
して【ふたりだけの幻想的な時】を過ごすようになった。もちろん結婚式にもらった大きなろうそくは
大切な時のためにしまったのは言うまでもない。
毎月【ろうそくの夜】を楽しんだので、おかげで山崎家は家にある非常用のろうそくをあっという間
に使い切ってしまった。
「ちょうどうちにはこれしかなかったから……」と美佳がつぶやいた。
すかさず友之が、
「確かにあのときろうそくだは結構ムードがあってよかったな。けど災害の時に電灯つけようとして予
備の電池がなかったら?もしもの時はあのろうそくを使うはずだったのでは?」と話すと、
「明日スーパーに行って買っておきます……」と美佳は小声で答えた。今回も友之の勝利かな?
【続く】
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